記述式内観タイトル

内観体験談 NO.101〜200

 

 
NO.200
内観を受けるきっかけは、自分と娘の親子関係が今ひとつしっくりいっていないと感じた事、その元をたどればきっと母と私の親子関係に原因があると確信した為です。
 
自分と同じ道を歩ませない為にも早急に対策を講じたかったのですが、本などを読んで、頭では解っていても何か得体の知れない不快感に突き動かされ、どうにも理性ではコントロールできない状態にありました。そんな中 記述式内観と出会うことが出来ました。
 
母に対する内観は、今回で6日目でした。過去に5日受けましたが、あまり進展がなく 『もう内観はやらない!』と思いましたが、たまに母に会うだけで、毎回あまりに辛くなるので、再び受けることを決意しました。
 
出足はやや鈍りぎみでしたが、面接を受け、書き出しの取っ掛かりをアドバイスいただくと感情的な単語が一気にあふれ出ました。ひとしきりネガティブな想いを単語で書き出し、ひと段落着いたいいタイミングで再び面接!別の方法で書き出すことを教わり、母の潜在意識に語りかける様に今度は、手紙を書く要領で書き出しました。
 
書き出しを続ける内に、「前回、前々回と重なることが多いな~。」「同じ事を書き続けて意味があるのだろうか?」と、どこかで思いましたが、フッ!と 前回受けた内観のときに一番負担に感じていた想いが消えている事に気がつきました!
コレは、面と向かって母に伝えた文句ではなく、前回の面接者に言われた通りに母の潜在意識に向けて発信した内容でしたので、目からウロコ!! そこから先は記述式内観をやる事に対して全く疑問が浮かんで来ず、一気に書き進みました!
再びアドバイスに従ってかき続けていくと次第に書くことが無くなってきました。そして、母の幸せを願う想いや ねぎらいの言葉 母を愛しく思う想いがたくさん 溢れ出てきました・・・
 
やがて、書くことが全く浮かばなくなりました。今までは、散々文句を書きまくっても 母と顔を合わせると、ネガティブな感情が浮かんでくる感が残っていましたが、今回は全くそんな気がしませんでした。実際、母に会っても 以前のように条件反射的に『イヤ』という感情は浮かんできませんでした。照れくさいので、母への接し方がガラリと変わることはないでしょうが、母も何か変化を感じ取ってくれる事と信じています。
 
結婚をした時『母への手紙』を書き、アノ時以上の感謝など感じられるのだろうか?と少し疑問でしたが、今は自分も親になり、以前では味わえなかった想いや気付けなかった事柄もあったので、劇的な最後とはなりませんでしたが、納得のいく内容となりました。
『もう内観はやらない!』と思った時に、『諦めてはもったいない』と助言を下さった方々に心より感謝いたします。
 
NO.199
内観スタッフみなさま、内観ってなあに?な方、また内観に行き詰まっている方のお役に立てればの思いで仕上げました。
私は特別な人間ではありません。ごく普通の人間です。目に見えない何かを感じたり見たり、素直で心がキレイなわけではありません。むしろその反対な人間です。嘘つきで、ひねくれで、傲慢で、臆病な人間です。そんな自分にいいかげん嫌気がつのり、うんざりな毎日でした。
 
そんなある日この記述式内観に 、あふれんばかりにたまりにたまった自分のごみをすべて吐き出して心底からサッパリとしたいと思い内観を受ける決心をしました。
 
こんな自分に果たして内観が出来るか自信もなく、結果や答を切望することもなくただ、サッパリしたいが為でした。自分以外の人間に対して内観をする考えはみじんもありませんでした。もちろん、両親や他人に対してのごみが全くないわけではありませんでしたが自分のごみに埋もれていたので、他のごみを観る余裕すらありませんでした。
 
ところが、初内観を受ける20日前に遠方に住む姉からメールが届きました。内容は遠回しでしたが、どうやら病気で具合の悪い母が姉に八つ当たりをしたらしいのです。そのことに対して、久しぶりに私は母に対して腹が立ち気分が悪くなりました。そして、「これは、母に対して内観をしなさい」と言う事かもしれないとも感じました。このような過程で、急遽、母に対しての内観となったのです。
 
1回目 母に対してごみが無いわけではなかったのですが、いざ白紙に向かっても何も書く事が出てきません。たいした事を思い出す事もできませんでした。母を憎むと言う程の感情がありませんし、それなりに母の良さはわかっているつもりでしたから。とりあえず、先日私が母に対して怒った感情をなんとなく書いていましたが途中からピンクの紙に、ありがとうございますと書いていたり。わけの分からない事をしていました。そのうちに「わかってる?」と書いていました。面接官の方と何の事かと話しをしました。愚かなことに私は「内観をしている事」に対して酔っていたのです。
 
母はハッキリと物を言う人です。大人しい子供であった私や姉、また父親ですら母に対して言い返す事が有り得ませんでした。我が儘なところもあったので、家族は皆 母の言いなりで振り回されていた状態でした。ですから、母のご機嫌を伺う様な姿勢がありました。でも、私はこの母に対してはこれが当たり前な事で、やれやれと思いながらも1年前まで一緒に暮らしてきたのです。でも、面接の方に「お母さんなのに、ご機嫌を伺うの?それってどうなのかな?」と言われ、私も「そうだよ・・」と感じ、私の内観に火がついたのです。
 
先日の八つ当たりの件をはじめ、今まで母に対して我慢してきた事が次々と思い出されてきました。紙に書く言葉使いも変わり、筆圧も変わったのです。やっと書き出す感覚が掴めた所で初内観は終了の時間になってしまいました。
次の内観日まで2週間ありました。すると、また今度は、直接母が私を激怒させる事が起こったのです。
 
2回目・3回目 もう、母に対する怒りをひたすら書き続けました。最近の事も昔の事も、今までよく我慢をしてこれたものだと信じられないくらい多くの怒りが噴き出してきました。書く手が追いつかなくなり、文字ではなく速記のようでした。
4回目 怒りの書き出しも3日目になった午後、書く速度が落ちぺん習字状態になってしまいました。これは疲れか?逃げか?と思い、しばらく書いていましたが、怒りも何の感情も湧いてきませんでした。面接官の方が「感覚が麻痺したみたいですね」と、ヒーリングをして下さって3日間連続の内観は終了となりました。
 
その時に「どうも、ごみは怒りだけではないようですよ」とおっしゃっていましたが私には他に何があるのか、皆目検討もつきませんでしたし、気付く自信もありませんでした。
 
次回の内観までの2週間は、 上半身はとても軽く感じたのですが、心の方は複雑でした正月休みで久しぶりに会った母は別人の様に優しい人になっていたのです。母に会ったら自分の心を観察しようと決めていたのに、拍子抜けでした。
次の内観の日が間近なのに、母に対してこれと言った感覚のない状態が続きました。このまま書いても書いても尽きないのではないか、果たしてこれは終わるのであろうか?事実、書いていて終わりそうな感覚もなければ、どこへ行くのかの検討もつきませんでした。先が見えない内観。不安で不安でたまりませんでした。
 
母の内観が終わらなければ自分の内観が出来なくなると言う不本意さや焦燥感が否めませんでした。「あんたは人の悪口も書けないのか?書きたくないのか?いい人ぶるな!」
と言う声も沸いてきて、どうにもやるせない気持ちで落ち込む一方でした。しかし、自分を内観したいと気持ちが傾くのも母の内観からの逃げであるとも感じ「あきらめないで」と面接官の方に言われた言葉を信じて、やれるだけやるしかないと自分に言い聞かせました。少しづつでもいい。地道に手ですくって掘っていく内観でもいい。先に進み続けるしかない。
 
5回目・6回目 怒りの感情はもう出てきませんでした。私は子供の頃を思い出していました。母は働いていた為、保育園でお迎えを待つ寂しさなどを書いていました。一緒に住んでいた母の実母が亡くなり1人っ子であった母は精神的にまいってしまいました。母について病院を巡ったりした事、母が病弱になったことへの心細さも出てきました。具合が悪く寝ている母に、だいじょうぶ?何か食べたい?と話しかけてみました。すると母が「わるいね、寝込んでて・・」と言ったのです。子供に対して、謝ったりありがとうを言わない母が。
 
家族に対しては我が儘で言いたい放題なのに、心は人一倍繊細な私の母。そんな母に私が到底適わない事。それは、母が帝王切開で私を出産した事でした。私が母を心から理解するには、その痛みを 体験する事かもしれないとは思っていましたがそうそう開腹をする機会などありません。内観でその感覚とかも果たしてわかるのか?は疑問でした。
白紙にゴミを書くばかりが内観ではないと、面接の方に教えていただきさっそく大変な出産をしてくれたことへの感謝をピンクの紙に「お腹を切って痛かったよね。ごめんね。ごめんね。。。」と書いていました。すると、「…胎児であった私が、子宮の中で半回転すればよかったのだ!」と、来たのです。
 
以前から私には胎児も1人の立派な人間であるという考えがありました。お腹の中でも親や回りの人達の話はわかるし、お母さんにお願いされれば、お父さんが帰って来るのをお腹を蹴って教えたり、逆子であったら出産日までに頭を下に向けるよう自力で回転する事も出来る事があるのを書物で読み、そんな胎児の能力を信じていましたから。ですから、たとえ私が逆子であっても、自分で頭の向きを変える事は可能であったはずなのです。どうやら、私は自分の意志で逆子であった事がわかってしまったのです。
 
肉体的にも精神的にも、腹部を切り開くのはダメージが大きい事です。そして、母は胎児である私が逆子を選んだことを知りつつ、それを許し、帝王切開に臨んだのではないかとも感じました。そして、自分の母親を亡くして心細かったのはなによりも私の母の方だったと思います。精神的弱さと闘いながらも、子供を育てあげた母にはとうてい頭があがりませ
ん。母の無限大の愛を感じたのです。
 
こんな事もわからなかった自分が情けなく、母に申し訳なくて申し訳なくて仕方がありませんでした。面接の方は「お母さんもきっと許してくれましたよ」とおっしゃって下さいましたが私は自分の気が済みませんでした。そんな私に、母が私の背中をそっと押して、こう言ったように感じました。「母さんの内観をしてくれて、ありがとう。道草をさせてすまなかったね。さぁ、自分自身を許す旅(内観)へお行きなさい 」
 
NO.198
内観を3日間させていただきました感想とお願いです。今回は妹と姉について内観しました。始めは自分についてしようと思っていたのですが、妹に二、三週間位前から避けられるようになっていましたし、妹の体調も上がらず内観にも行けなくなったので、心のどこかで流しきれないものがあったようでやってみたら今までのごみがどんどん出てきました。
 
とてもドロッとしたものが出てきて多分なんですけど私と妹の間に母のお腹の中で流産してしまった子だと思いますが凄い嫉妬と憎しみの後で「ごめんね」となって最後は「ありがとう」となりました。底の方から込み上げてくる、ありがとうでした。自分だったというよりは手が動く感じでした。両親をした時はこんな感覚なかったしびっくりしましたが、感動しました。
 
2日間姉について内観しました。産まれた時から居て一緒に暮らしていたので喧嘩もよくしたのでいっぱいありました。妹の時のようにドロドロした感じになり、怒りが来て手が動くようになってきたのですが客観的に見てる自分もいて、どうしたいの? と、なげかけてみたら「あがりたい」となって、なんとなく成仏法がしたくなったのでやってみました。そうしたら勢い良く書いていたのがおさまったので、ありがとうございますを書いてみました。
 
でもなんかしっくり来なかったのでまた書いてたら「なんでこんなことしてるんだろう?」とフッと出て来て続いて「自分を知りたいからだよ」というのが出てきました。そうしたらもうどうでも良くなって来て、今まで自分が不満に思ったり怒ったりしたけど、みんな自分でそうさせてたし相手に見せてもらってたんだ。と思いました。家族を内観しましたが、それぞれに違う、感情がありました。家族と言うことはそれだけ縁のある、同じごみを持っている者同士、鏡というか見せてもらってたんだなぁと思いました。みんなありがたい存在です。今回の内観は私には自分のごみを出すために必要だったのだと思います。
 
NO.197
いろいろとサポート、ご指導をくださりありがとうございました。正直申しまして、内観というものを敬遠していて、受けずに済めばそうしたい、と思っていましたが(きれいに整理した事を蒸し返したくないなあ、と思っていたので)、いやいや(?)参加。
 
でも、終わってみた今、“とんでもない力を知ってしまった!”という驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。内観の後半、ピンク色の紙に2/3ほど書いたあたりでおなかの辺りに感じるものが強くなり、書く手を止めてずっとそれに意識を集中していました。なんだかわからない涙があふれてくるので、なんだろう、と考えても苦しいだけ。そのうち放心状態になって涙は出てくるのになにも感じなくなってしまいました。
 
しばらくすると、何かが自分の中で壊れ、パラパラと崩れていくようそれと同時に急に内側がコリがほぐれるように楽になっていきほっとしてまた涙。もうとまりません。ひとしきり泣いた後、気がつくと呼吸がとても深~く、静かになっているのです。まるで赤ちゃんが安心して眠っている時のような穏やかな呼吸でした。
お腹の底から感じる今までにない安定感。気持ちよくずっとそれを感じていると、今度はなんだか嬉しくなり、気がつくと自分がやわらかいオレンジ色のような金色をした大きな球の中にいるのです。
 
とても気持ち良く安心していました。そして自分の内側で何かがプツン、プツンと光がはじけ、魔法のように消えていくのです。
口ではとてもその感覚を説明できないのですが、その時、あるものの絶大な力(能力のようなもの)を見た、というか感じたというか。そのものに対して驚きと感謝の気持ちと嬉しさでいっぱいに(母への感謝の気持ちを書いていたはずなのですが…)。今度は嬉しくて涙がとまりません。(次々いろんな波がおしよせてくるようでアップダウン、アップダウン…忙しかったです。)
自分のすべてを完全に放棄し、その力に任せる、任せていいのだ、ということへの感謝というのか…それに気づかなかった愚かさの涙というか。良くても悪くても任せるのだ、という…これもどう表現していいのかわからないのですが。任せることの気持ちよさ、というか。なんか、微塵でも過信が残っているとそのすばらしい力(助け)を受けられないぞ、と言われてしまったような。
 
そして、感じたのは、“ああ、神様は助けたい方なのだ。良くも悪くもいつも投げてくださっているものを私が自分で受け取らなかったのだ。わたしにとっては悪い事、と思えることも、結果的にいい物を生むために神様はそれを与えているんだ。”ということでしょうか。
 
今ある状況も私の心の中にある私が自分で作ったヴィジョンが形になっているというのか。自分の中で何かが光がはじける時に一緒に消えていったとき、そのように感じました。まるで呪縛(思い込みのようなもの)がとけるようでしたよ。何かを見たり、受けたり、感じたりした時に、自分の捉え方が、そのものを実際につくり、その方向へ持っていってしまうのかもしれません。
 
内観が終わった後、母に対しては何も感じませんでした。母が、または相手がそれでいいならもういいじゃない、あとはお任せ!というか。相手が満足で、それが気持ちいいなら 私もそれでいいのだ。あとはお任せ!(悪い意味でなく)というか。きれいな金色の球体を感じたとき、もう大丈夫、自分が自分でいてもキズつかないんじゃないかなあ、という気がしました(実際のところは、わかりませんが…)。
 
今はなんだか嬉しくて、楽しくて。内観でエネルギーを使い果たしてしまったようでクタクタなのに、なんだか楽しいのです。それに頭の上がムズムズして、お腹がくすぐったくて笑いがこみ上げてきます。何もしてないのにおかしくて、楽しいのです。変ですね。おかしなところにピントが合ってしまったようで、脳波、大丈夫かしら、とやや心配なのですが。でも、楽しいからいいか、と放っておいてます。
 
あと、何か頭の上にいるような感じが。それがなんとも嬉しそうで。変だな、とそこへ注意を向けると、もっと嬉しそうにしているんです。(変なのは私?)“一緒、一緒”と言っている様なので、私も“はい、一緒、一緒、楽しいね。”と返しています。いつもニコニコとこんな嬉しい感謝の気持ちでいられたらいいなあ、と思います。すべての人がこんな風に絶大なる力のありがたさを感じて、楽しい気持ちになれたら地球上のいろんなことが変わるでしょうね。こんなステキなエネルギーの体験を分けてあげたい気持ちです。
 
NO.196
初めての内観ということで少々緊張しておりましたが、リラックスしながら、父に対するゴミ出しが行えました。
父のいやなところ、傷ついたことを書き出していると、何時の間にか、自分自身に対して内観をしているような気がしてきました。面接担当の方にそのことをお話すると、父と自分
がシンクロして同時に浄化されているとの事でした。正に、父は私の心の鏡となっていた訳です。
 
先生の面接の時、ここ5年ほどの、大きな出来事ではなく、さらに昔の、小さな出来事に意識を向け、ゴミ出しするようにとのアドバイスを頂きました。小さいころは、父の仕事の関係で平日が休みだったので、日曜日に父と過ごした記憶があまりありません。寂しかった。愛が欲しかった。と感じていたのかもしれません。ぼんやりとそのような感情に身をまかせ、瞑想していると、ふとイメージが浮かびました。
 
防空頭巾をかぶり、米軍の機銃掃射から逃げている父がいました。その瞳は少し悲しげで、それでいて、私の心を見透かしているように遠くを見ておりました。その瞬間、解りました。戦中、戦後の物のない時代を体験した父は、何にもまして家族に物質を与える事が、父の愛情表現だったのです。そのために、多大な借金をし、家族に迷惑をかけても・・・
父を赦す気持ちで一杯になりました。
 
さらに、何で今私はここで記述式内観を受けているのだろう?という疑問が湧いてきました。しばらく瞑想していると、気付きという言葉が浮かんできました。そうです。私に、この瞬間に、学び、気付かせるために、父はあえてそのような役を演じてくれていたことが、今はっきりと解りました。完璧なタイミングの完璧な筋書きのプログラムです。
これが父の本当の究極の愛だと解りました。「お父さん、色々学ばせて頂き、また、気付かせて頂きありがとうございます。」心の底から、感謝の気持ちが湧きあがりました。心が、羽根が生えたように軽くなりました。ほんの少しだけ、魂がバージョンアップしたようです。
 
NO.195
先日8日目にして私もやっと「抜け」たようです。ずっと「抜ける」というのがどういう事かわからなかったのですが書き進めていて突然感謝の気持ちでいっぱいになってすごく感動したんです。うれしかった~!すばらしい!ただ最後は時間がちょっとたりなくて涙が出だした時終了になってちょっと惜しかったのですが…
 
私はもともと吉本式内観を受けてよかったので内観に興味をもったのですが、吉本式内観はちょっとどこか難しいような気がしていたのです。でも記述式内観はすごい!
 
私は記述式内観を受けてほんとに人生変わりました。すごく暗い性格でビクビクしていたのに楽になったんです。半年前私は死にたいくらい辛くてHPを必死で読んだのを思いだします。今ではニコニコしていてほんわかした暮らしです。ほんとにありがとうございました。
 
NO.194
内観中はカタチのないものを言葉にするのにもどかしさを感じました。内観後、あふれる幸福感につつまれることもなく忘れていたトラウマを思い出すこともなくつつがなく日々暮らしています(笑)。内観を思い立った頃に比べると先月、今月と、おだやかな気持ちを感じる時間が増えました。
 
内観の目的は対人恐怖の解消が大きかったのですが、現在職場では不安は若干やわらいだように感じます。近頃感じたのは、「自分自身を愛さない限り、いつまでも、まわりを愛せず、誰の愛も受け取れないだろう」ということです。よく言われることですが、改めて感じました。
 
まわりの人たちが仲良くしている輪に入れないとき「自分もみんなと仲良くしたい」と思いましたが「他人と仲良くなるより、まず自分と仲良くなろう!」と今日思いました。対人関係から、自分関係を意識しはじめました。(まだまだ、これからですが)
 
NO.193
二日目朝、突然カラダに何かエネルギーが入った気がして、涙が自然と溢れてとまらなくなりました。母を助けてあげてくださいというコトバが何回もでてきて、それを書き綴りました。
 
母も父もどうにも変えられない。けれどその間に挟まれている自分はつらい。神様、母を救ってあげてください。そうしたらこの現実がかわるかもしれない。もっと楽しい毎日になるかもしれない。そんな希望にすがっていた子ども時代の自分を僅かに感じることができました。
 
そんな現実を自分のなかで、誤魔化すこと、感じないフリをすること、黙ること、無表情になることでかろうじて防御してきたこども時代だったように思います。今でもそうなのかも知れません。光にはまだまだ到達できないかもしれませんが、また次回の内観で少しでも自分の感情に触れることができたらと思います。
 
NO.192
内観を受けてから3週間ほどたち、色々な変化が見えてきましたので報告とお礼を伝えたいと思い、メールしました。
1日目は母についてゴミ出しを始めました。現在は母とは非常に仲良くしていますが、子供の頃はよく対立して反抗していたので、母のゴミ出しを終えれば、現在の人間関係の悩みもとけるのかな?、と期待していました。
 
そして1日目が終わる頃には、感謝の気持ちに行き着くことができました。数年前、母に感情をぶつけ、母もそれを受け止めてくれていたため、多少わだかまりが解けやすかったのかもしれません。
 
実は、母の性格をうらやましく思っていて、憧れていたことに気づきました。しかし、「今抱えている悩みとどうつながるのかな?」というのが疑問のままでした。
 
そして2日目は父。父は6年前に他界しているのですが、こちらの方が難関でした。私は父とは子供の頃から似たもの同士というか、性格上の共通点があるように感じていました。それもどちらかと言うと、ネガティブな点で。そんな父に対して否定的な気持ちがある一方、「亡くなった人を悪く言うのはよくない」と思い込んでいたこともあり、ゴミだしは難航しました。ゴミは出てくることは出てくるのですが、母のときのように涙と一緒に感情があふれ出すのではなく、白い膜がかかっているような・・・
 
私は父に対するいろんな感情に蓋をしていたことに気づきました。そして、父との関係が実は私の現在の人間関係に大きな影響を与えているんじゃないのか、と感じ始めたあたりで、2日目は時間オーバーでした。
その後しばらく会社のお盆休みがあり、1週間ほどしてから会社が始まりましたが、驚いたことに、今まで嫌で嫌でしょうがなかった人があまり気にならなくなっていました。
 
それと私の中の大きな変化としては、色々な事を受け入れられるようになってきた気がします。「なんで私がこんな目にあうんだろう?」とか「私のこういうところがダメなのかな?」とか考えがちだった私にとって、これはすごい変化です!「今まで私がピリピリしすぎてたんだな~、結局私の問題だったのかな~」なんて謙虚になってみたり。私の事をよく思っていない人がいても、あの人はあのままでいいんだな、なんて思えたり。少しずつですが、力が抜けてきた気がします。なんだかいい感じです。
とはいえ、まだまだ自分の中にゴミがあるのを感じているので、また内観を受けさせていただきたいと思います。今回は本当にありがとうございました。自分で話していてもわけのわからない話を真剣に聞いていただき、本当に感謝しています。
 
NO.191
今回の内観は自分のことでやるつもりでした。今回までに母をやり父をしました。でも、内観が始まってしばらくすると同時に悲しい気持ちがでてきたので、先生のアドバイスで父のことをしました。
 
「お父さんに手紙を書いてごらん」とのことでしたので、ほとんど私の側にいなかった父に、離れてからのことを手紙に書き始めました。言いたかったこと、伝えたかったことを書いていました。こんなにもたくさんのことを話したかったんだと思いました。書いているうちに感情が出てきたのでそれも書きました。
 
次の日も同じように続けました。自分でも気が付かないうちに泣いていて、ノートにボタボタと涙が落ちてきます。側に父がいないことを「何でもない」「何ともない」と思ってきたけれど、こんなにも悲しかったのかと自分でも驚くほどでした。
また、内観では「本音」が書けるんだと思いました。普段の生活で我慢していること、ごまかしていること、適当にしてしまっていること、見栄も虚栄もいい子になることも何もいりません。辛いけど有難いという不思議な気持ちでした。
 
書き続けているうちにいろいろなものに対する感謝の気持ちが出てきました。でも、まだ何か一つ残っている気がしていろいろな角度から自分の心を見つめてみました。あることにひっかかることに気が付きました。先生にもそこから書くようにとアドバイスをいただきました。
 
書いていきましたが、時間があまりありません。「個人内観にも来ようかな」という考えが頭を掠めましたが、ここであきらめてはいけないと思い直しました。すると急に問答のような形でノートに言葉を書いていました。そのうちに「じゃあ、お父さんは私を愛していなかったの?」という言葉が出ました。
 
答えは「そうじゃない。愛していたんだよ。愛しているんだよ。」という言葉が出てきました。ああ、そうか、そうだったのかと思いました。そして次の言葉が出てきました。「ただ、それは自分の望む形じゃなかっただけだよ」と。その瞬間、最後に残っていたかたいものが砕けました。
 
涙が次から次に出て、自分でも信じられないほど泣いた内観でした。今回、内観を受けてよかったなあと本当に思います。どうもありがとうございました。
 

NO.190
前回の続きで母親の事をやりました。私の母はすぐイライラしたり感情的になったりする人で、そんな母を見ててすごく嫌な気分になっていたので今回はその事を書き出しました。とりあえず始めは「なんでそんなに怒るんだ」とか「見てて気分悪いわ」とか「イライラが移ってくる」といった言葉を延々とノートに書いていました。そんな言葉を書き出しているうちに、なんでそんなにイライラするのかというのが分ってきました。
 
それは私の病気が、なかなか良くならない事と姉が結婚をなかなかしないといった心配事があるため、かなりのストレスを溜めているという事でした。母のイライラが私にも原因があると気付いたら母親に対して申し訳ないと思い、「ごめんなさい」とピンクの紙に泣きながら何度も何度も書いていきました。
 
丁度その頃、面接があって、怒りの言葉を書くよりも「ごめんなさい」の方が私に合ってるんで、それを続けてくださいとアドバイスしてくれて席に戻ってからも「ごめんなさい」と書き続けました。それをしている最中は頭の中のモヤモヤみたいなものが、どんどん取れていく様な感じでした。
 
「ごめんなさい」と書いてるうちに今度は母親が私や姉の事を物凄く心配してくれていると感じたら「ありがとう」という言葉が出てきました。またその頃に面接がありましたが、
「もう壁を突き抜けたんじゃないの」と言われて、ありがとうを味わって書いてくださいと言われたので残りの時間は、おだやかな気持ちを感じながら「ありがとう」と書いていました。
 
内観を終えて一ヶ月経ちますが、母親のイライラを見ていても「あー、また怒ってる」ぐらいの軽い気持ちで見れるようになりました。あと私自身の変化として、悩みの種であった、体を引っかく癖がだいぶおさまって来ました。これにはちょっと驚きでアトピーの克服にだいぶ自信がつきました。
 
NO.189
私の感想ですが、内観の何日か前からイライラしだして、内観があり(群馬の一週間前に個人内観、受けさせていただきました)そこで一杯ほこりをはらう事ができました。個人内観で気付いた事はさびしさが怒りになり、あきらめになっていた事です。それらの感情がぐるぐるしていました。さびしさから部屋がガランとした感じがして散らかしていたかもしれません。群馬では赤ちゃん位にまで逆のぼり、その頃の感情が出ました。子供の自分はもっと甘えたいが、その頃の環境ではがまんするのが当たり前の認識でした。
 
しかし「この場ではわがままになっていんだよ」という面接官言葉で涙があふれ、その時抑えていたものが湧き出てきました。自分では、産まれた時からその環境で、それから納得して生きてきたつもりが、どうにか自分の心に折り合いをつけてきたんだなとわかりました。そこで作ったゴミが一杯ありました。まだ途中段階ですのでこの先、光に向かってどんなものがでてくるのか楽しみに進んでいこうと思います。
 
NO.188
今回は母の内観をしました。母とは、普段仲がいいのだけど、子供の頃から自分の気持ちをぶつけ合ったり、本音で話し合ったりすることがなく、どこか表面的な関係になっているような気がします。(母とだけでなく、誰とも深く付き合ったことがないのかもしれませんが・・・)
 
私が幼い頃、両親はよく喧嘩していたようで、心が不安定になった兄はヒステリックに、現実逃避して空想癖があった私は、幻覚をみたりして両親から「この子は頭がおかしい
のかもしれない・・・」ととても心配されていました。その為か「私は頭がおかしいんだ、普通の人じゃないんだ」という思い込みが社会人になってからもあり、強烈なコンプレックスとなっていたのですが、数年前ピプノセラピーを受けて、ようやく自分は頭がおかしいわけではないと、潜在意識から納得できました。
 
だけど、今回の内観で、子供の頃、私が何かおかしな言動をした時の母の態度・・とても嫌なモノを見てキッーとなったような態度に、えもいわれぬ悲しさや拒絶感を感じていたことを思い出しました。頭がおかしくても、変な子だったとしても包み込んでほしいなんで頭がおかしかったらいけないの!?と、自分を受け入れてくれなかったことへの気持ちが、悲しい気持ちになったり、ムカムカとした怒りの気持ちになったりして書いていました。
 
それから、母は昔の男尊女卑的な思想を無意識に受け継いでいるようなところがあって(←いえ、私が勝手にそう思い込んでる部分も大きいかも知れませんが・・)何か兄の味方ばかりして、女の子は我慢するものよ、と言い聞かせられることがとっても不服でした。そのことでもずっとムカムカした気持ちで書き出していたのですが、だんだん、書こうとしてもムカムカした怒りのような感情だけがあって、何に対するムカムカなのか分からなくなって、本当に吐きそうになりながらともかくその感情を書き出しながら、終わりました。
 
NO.187
個人内観を受けました。終了時間の間際にようやく 本当の私に出あえたと思える瞬間がありました。その感想を送らせていただきます。父との間に生じたゴミだしは7回目になっていました。書きはじめはいつも他人事のような、怒りや悲しみの感情がついてこない感じでした。
 
4回目の内観のときに 面接で思っていることを 話しはじめると抑えていたものが ぐーっとこみ上げてきました。今度は 書いても書いても尽きることなく 同じ時代の父との出来事に対しての怒りを書きつづけました。その日は終了時間がきてしまったので、一週間後に個人内観をお願いすることにしました。
 
二日間連続で行いました。心の中にある大きなゴミの岩がやっとみつかり、一生懸命それを崩そうと紙に書きつづけても、砕け散る手ごたえは感じられませんでした。このままでも、いつか大きな岩が砕ける時がくるのかもしれないと思いました。そうして二、三日は内観のことを忘れていたのですが、急に「本当の自分」に会いたくなりました。
 
きっと会える、そう思って、個人内観を申し込みました。その日は 、父にしてもらったことをたくさん書きました。時々は怒りを書きながらでした。そのうちに、私が父に対してとった冷たい態度やひどい言葉を思い出しました。ずうっと被害者だと思ってきた自分が、父にとった非情な行為を思い出したのです。泣きながら何度も「ごめんなさい」と書いていました。
 
すると今度は、現在父が元気でいてくれることが、とてもうれしく、ありがたく思えて「今 元気でいてくれてありがとうございます」と書きました。とても晴れやかな気分でした。そして 目をつぶり自分の名前を呼んでみました。笑顔の私がいました。おなかの底から上がってきたような感じでした。私はこの人にずっと会いたかった、ようやく会えたね と笑顔の自分に涙しながら言いました。今もおでこのあたりに 自分の笑っている顔を思い浮かべることができます。本当にありがとうございました。
 
NO.186
先日の群馬での内観に参加させて頂きました。頭に思い浮かぶ言葉を紙に書きつづけるという単純な作業で、どれだけ心のゴミが掃除できるのか、終わった後にどんな気分になるのか、とても楽しみにしていましたが、終えてから3日を過ごした今、ゴミ出しの効果に、驚き、喜び、そして感謝しています。
 
とてもおだやかであったかな気持ちです。一緒に実家へ遊びに来ていた幼い甥と姪の様子を見て、「あ~、人は人を愛し、愛されたいと思うように出来ているんだな~」と感じました。そして、内観研修でそれを思い出させて頂いたんだな~と思います。ありがとうございます。
 
2日間でできる限りのゴミを出してやろうと意気込んで、精一杯集中して内観に取組んだことも確かですが、これだけスムーズにゴミ出しが出来たのは、小野先生をはじめ、スタッフの方々のサポートゆえと思います。あるゴミが出尽くしたかな~、次どうしたらいいんだろう?と考えたとき、怒りの感情が止まらず、気分の悪さが続いて、このままで大丈夫だろうか?と心配に感じたとき、など、絶妙なタイミングで面接に声を掛けて頂き、導きの言葉を頂き、丹田調整をして頂きました。ありがとうございました。
 
数年前にひどく落ち込んだ時期に、「心の灯が消えそうだ」と感じた時期がありましたが、研修を受けて静かだけれど、しっかりと、あたたかく命の火が灯された、そう感じます。
研修の帰り道、母校の校歌を思い出しました。
 
光を灯すものをこそ世は呼べ 
光を灯すものとわれらならめ
あだに日ごとを過ごすべきやは 
心ひそめて光の智慧とを 光の心を育むは今
 
在校中から好きでしたが、詞の意味が今になってようやく体感できたように思います。光あふれる人になって、周りの人に光を届けたいです。それには、日々の努力が必要なんですよね。毎日を大切に暮らし、心も部屋も清潔に...努力します。今後とも、お力添え頂きます様、よろしくお願いします。
 
NO.185
内観では大変お世話になりありがとうございました。お陰様で光(感謝)まで到達出来ました
 
前日父の供養をお願いしてある本部に泊まったので、朝、父にお願いしました「今日、光まで到達できるようお導きください「ありがとうございます ありがとうございます」と手を合わせていると浄化の涙が溢れました。
 
車の都合で九時前に会場に着きました。駅前で平和の集会が始まり「これも何かのご縁かなと!」と思い聞いていました
 
午前中「心配ばかり掛けてごめん」と書き続ける。そのうち頭の右側が三角錐の形で痛みが有るのを感じる。肩、腕も痛いので面接の後ヒーリングして頂くと、とても軽くなりスピードアップしました
 
父も発作の時は「頭が痛い」と言ってたので、こんな風だったのかなと痛みを感じ続ける。痛みの場所が少しずれた感じがする アレレ・・・・?中心に向かって形もおせんべいの用に平らになったな~!!??今度は百会に移動した!!??
水を飲む・・・・ごくんと飲み込むと同時にイメージで丹田まで下げて見る。ウン? もしかしてこれって光の道が出来たのかな?初めての体験・・・・どのくらいの時間だったのか、感じ続けていると次々に変化してここまで来たけど・・・・
 
書こうと思ってもパッタと言葉が出なくなってしまった。しばらく伸びをしたり体をほぐしていたが、後ひとふん張りと思い返し「ここは安全な空間だから全て出して良いんだよ」と自分に問いかけ続ける。胸がドキドキしてくる-まだ出し切れないのが有るんだろうな、と思い書き続ける
 
先生の面接で「出すことを意識している?この場を味わってみたら 大いなる力に導かれているのを」
「え!出さなくて良いんですか?」 思わず「楽しい」と出ました。うきうきして席に戻ると感謝の涙が溢れました
思いに寄り添って頂きありがとうございました今は流れがとてもスムーズになったと感じている毎日です。本当にありがとうございました
 
NO.184
内観を受けるのは2度目です。初回は2日間にわたって父親で内観を受けました。 初日は辛いものでした。あくびは止まらないし、眠気はする。そして頭が重くなっ て、何をしているんだろう?と思っていました。
 
子どもの時のことなんかは、もう済んでしまったことだから、何をいまさら?と 思って、書き出してはいるのですが、内容はすかすかです。その時、主人に腹を立てていたこともあり、面接の時「まずはそのことを書き出したら?」と言わ れ、そちらをしました。書いているうちに自分も悪いところがあるから、なんだか申し訳ないなーって気に少しなりました。
 
そして再び、父親です。ののしっているだけのような感じで気分はどんどん重く なっていきます。初日はそのまま幕を下ろしました。内観って辛いだけでどうなのか な?っという思いが残りました。
2日目です。始めから、すっかり記憶のかなたに追いやった事柄を思い出しました。あきらめてしまった子どもの件です。 急にふわーっと出てきました。
 
私は自分が許せず、きっと封印していたのでしょう。面接の時に係りの人にその子の話をしたいのですが、男の人もいて、ためらわれ、とうとう口に出来ませんでし た。このとき、初めて、その子が忘れられて悲しんでいることを感じました。当時、 私は苦しくて、忘れるのが一番だと思い込んでいたのです。
 
もう、忘れないから。寂しい思いをさせてごめんね。って声をかけるととてもう れしそうでした。私は泣いてばかりでした。
さて父親です。苦しんで来たことや、どうしてもつけて欲しいけじめがありまし た。書き進めず、頭が重くなったまま、時間がたちます。
 
小野先生の面接です。そのこだわっていることを思ってごらん。と 言われて、父親にして欲しいけじめを考えると、みぞおちあたり黒くて苦いもやもや したのが出てくるのがわかり、胸へと上がってきて詰まったようになりました。 のど近くにまできています。 「ちょうどいいから口を開けて横になって」と先生に言 われ、そうしますと目を閉じていたので何をしてくれたのかは分からないのですが、 口から先ほどの重たい黒いものが出て行ったようです。起き上がると頭が軽くなって います。
 
その後も書き出していました。こどもの時のうれしかった記憶とともに感謝の言葉も出ます。さぁ終了って時に、出てきた言葉がありました。
「お父さんがやっぱり大好き!」です。
なんだ、わたしはこんな簡単なことを言いたくて我慢していたのかと思い、ふい に出てきたその言葉に自分自身が一番驚いてしまいました。今でもこのフレーズを思 うと 私は小さな子どもになっています。父の暑苦しいくらいのぬくもりを思いだし ます。
 
2回目の内観では母でしました。素直に前回の話を 出来ました。母は本当に気の毒な境遇で、結婚してからも苦労の連続です。父が家庭 を顧みず、自分の事業と浮気に目が向いていました。浮気相手は心底憎く、これまで にあれほど人を憎んだことはありません。その人に対しても、父の時に一緒に書き出しをしていました。
こどもが多いのでよく笑い声を上げていた明るい家でしたが、父が荒れると家 の中が暴風地域になり、子どもたちは嵐が過ぎるのを待つばかりです。父が帰ってこないとこないで、母は暗い顔をして嘆いていました。生活費すらなかなもらえず、母 は深夜まで働いた時期もありました。
 
母が我慢してくれたお陰で良かったと思う面と、暗い顔を見続け、いつ離婚す るのだろうという不安な心をずっと抱え、いっそ、離婚してくれたら。と思ったこと もあります。人生はいやな事の連続・・・
きょうだい間の扱いの落差や母の愚痴につきあわされて暗い気持ちになったこと、結婚や人生に夢を描きにくかったこと。いろいろ不満も出ましたが、でも待て よ。
 
小野先生のHPを読んで理解していくにつれ、嫌な現象の意味あいが私の中で大 きく変わっていました。その人の身に起こったことは、すべて意味があり、嫌な現象 でもそれが起こったことで何かを浄化していってる。そう思うと、辛いことの多かっ た母の人生は浄化の連続であり、ものすごく幸せに近い人になっているのでは? と 思えました。それに気づいて欲しい。
私は母に、ただ、心から明るく笑ったくれたらそれでいいと強く思いました。母 がずっと笑顔でいることを想像しました。私はとても幸福です。こどもの時から望んでいたのは母の笑顔。それだけで私は安心し、人生もいいものなような気になりま す。
 
内観を受けて自分の父母に対する気持ちが変わっていきました。もしかしたら、 底部分にあった気持ちが顔を出しただけかもわかりません。それが分かっただけでも 内観に参加できて良かったと思います。
参加するまでがなかなかでした。今は参加希望の小さなサインを見落とさずに、 つないでくださった方に感謝しております。本当にありがとうござ います。内観の話となるとどうしても涙が出てきます。
 
NO.183
とても有意義で充実した2日間でした☆
今回で内観が4日・5日目で、お任せ~という感じで進めていきました。感情に筆先が追いつかず、ぐしゃぐしゃ書いていました。日本語は2行ほどしか書いてないかも・・!?
でもピンクの紙は日本語です♪
 
今回はひたすら書きました。こんなに2日間集中した日は今までなかったのでは?という感じです。お任せで書いていると意外な事が出たり、言葉にできない感情のごみなどがたくさん出ました!
 
お蔭様で両親のゴミを出し、感謝の言葉も出てきました。急にひょいと出てきてビックリしました。それからも小野先生のアドバイスで、白い紙とピンクの紙を行き来して書いていきました。感謝の言葉が出てもまだ書けたので、ピンクの紙だけにこだわったままでなくて良かったです。ありがとうございます。
 
両親のごみがすっきりしても、手の動きが止まらなかったです。両親のゴミを出したからと言って終わりではなく、まだまだ自分の中にあるゴミを再確認できました。
 
憂鬱になったり、怒り、悲しみ、寂しさなどなど、内観をやっていると色んなものが出てきて楽しいですね☆見ていると百面相!手が動くので作業を続けていると、なんと笑いが出てきました!笑いながら白い紙に書いているってのも変だよな~とか思いながら白とピンクを行き来しました。声を抑えたつもりでしたが、動作や抑える声?で目撃されました。その後笑いが納まったと思ったら憂鬱なものが出たり、本当に内観って不思議!!
私の出発点は内観です。内観と出会えて本当に良かったです。たくさん感謝も出てきました☆
 
 
NO.182
内観はまず親を対象に・・ということだったのですが、長らく離れて暮らしていたので、否定的な感情を思い出せず困ってしまいました。面接でその事を話すと、それでは今の家族に対する内観をしてみましょうということになりました。
 
最初は理論的に考え、分析のようになっていたのですが、面接で否定的な感情を出すことが大事と言われ、それからは誰が対象ということもなく、ただただ沸き上がってくる否定的な言葉を書き連ねていました。いちいち言葉で書くのが面倒になり、グルグルと線を書きなぐりながら、腹の中で言葉を唱えていました。
 
1日目はひたすらそれだけをし、終わりには書いた紙を破いてまさにゴミにし、帰りにゴミ箱に捨てました。1日中、否定的な感情を出していたので、きっとスゴイ顔になってるんじゃないかと思ったのですが、面接者の方に、「顔がすっきりしましたよ」と言われ、不思議な気持ちでした。
 
2日目は線を書きなぐりながら、口パクで言葉を唱えることにしました。腹の底から絞り出すようなかんじで言葉を唱えました。そのうち、「痛い」という言葉がきっかけで、幼児の頃に大火傷をしたことを思い出しました。自分ではその時の記憶がまったくないのですが、しばらく、「痛い」、「痛い」と言っていると、自然に「お母さん」の方に気持ちが向いていきました。どんどん母を求める気持ちが出てきました。寂しかったこと(母は私の生後すぐ働いていました)、自分が一生懸命がんばったこと、等の気持ちが出てきました。
 
自分に母親を求める気持ちがあるなど考えたこともなかったので、意外でした。小さい私は母を求める気持ちで一杯でした。「一緒にいたかったよ」、「がんばったよ」。涙が出て止まりませんでした。しばらくそうした気持ちでいると、今度は母の顔が胸の当たりに浮かんできました。「いつも心配してたよ」、「いつもここにいるよ」、「一緒にいるよ」と。最後には「ありがとう」、「ありがとう」と書いていました。
振り返ると、今まで随分いろんなことを我慢して、自分なりに一生懸命やってきたんだ、がんばってきたんだ、と自分を誉めてあげたい気持ちになりました。
 
今回、内観を受け、このシステムは誰かにお任せというのでなく、自分自身で浄化するという点が良いところだなと思いました。もちろん、補助的な力(メイン?)が働いているからスムーズに事が運ぶのでしょうが・・・、心の奥にある大事な気持ちに気づかせてくれる素晴らしい体験でした。
 
内観後は心の曇りが取れたのか、しばらく楽しい気分でいたのですが、日々の生活に流されて、またまた元に戻ってしまいました。悲しいかな、まだまだ修行が足りないようです。また、内観に参加して、あの楽しい気持ちを取り戻したいと思います。暖かいサポートをいただき、ありがとうございました。
 
NO.181
前回は母に対して内観をしました。
昔から折り合いの悪い母娘で絶縁していた時期もあったのですが、内観を受けた当時すでに関係は修復しており「人並みの親子の振りはできる」と思ってました。ところがどっこい。いざ書き出してみるとそんな私の思いを裏切るかのように醜い言葉が次々とわき上がってきました。。。
 
前回のこの経験をふまえ今回は父をと思ったのですが、先生のアドバイスで別の人をやってみることになりました。正直あまり気が進まないというか、苦手な科目を最後まで勉強しない試験前と同じというか自分の中で抵抗を感じました。いざ書き出してみると、前回の母と同じで自分でも全く想像のつかなかった醜い言葉が次から次へと湧いて来ました。それはもう何かの間違いじゃないかと思うくらい酷い言葉でした。
 
面接時に「私はこんな事は思ったことはありません!」と思わず先生に言ってしまったくらいです。今まで潜在意識に溜め込んでいたこれらのネガティブな感情、内観なしではその存在すら知ることはなかったでしょう。こんなものを抱え込みしかもそれに操られてきたわけですから、今までの人生うまくいかなかったのも当たり前です。
 
「自分のしたことは自分に返ってくる」明解かつ公平。顕在意識で認めている現実よりもずっと公平にできているんですね、潜在意識の世界は。ある意味安心もしました。今回の内観は私の人生に大きな意味を持つ出来事だった、大袈裟でなくそう思っています。ありがとうございました。
 

 
NO.180
内観より一ヶ月近く経ちましたが、感想を書こうと思いキーボードを前にするとなーんにも思いつかない日々で、どうしたものかと思いつつ過ごしてました初日は、自分の周りの壁、障害を取り除く作業だったようで、頭痛、吐き気、痺れ等いろいろ・・
2日目目にやっと怒りを中心に、内観らしくなってきたかなと言う感じで始まりました。
 
午前中、一通り書きなぐった後小休止、昼からヒーリング等していただき第2R良くもまあこれだけ自分の中に怒りの感情があるなあと思いながら、夕方、もう少しで終わりそう・・終わったあーと思ったら、次の扉が見えて(イメージ)ガックシ・・・で終了の御言葉
帰り道、確かに怒りは感じてたよーな気はするが、何故あんな些細な事に怒りを感じてるんだろうなどと思いながら、過ごしてました。
 
両親に対する感謝?と言う事は今の存在してる事に何らかの喜びを感じてるって事ですよね?
現実には、まあ楽しい事もあるし、両親に感謝の気持ちが無いということは無いですが もっと深いレベルでの話ですよね。 
地球上の何十億といる人たち、何が嬉しくて生きてるんでしょう?まだまだ先の見えない今日この頃・・ 長いトンネルやねえ、物心付いたときにはトンネルの中?とりあえず、全部だしてみると何か見えてくるかな?と思いつつ・・また、がんばるべー
 
NO.179
群馬の内観から10日がたちました。日常に戻ってからも心が静かで落ち着いています。 ちょっと元気ないんじゃない??なんて言われる始末ですが、私自身は落ち着いていて心地よいのです。
 
先日母が用があって2時間ほど遊びにきました。内観効果でどんな風に対応できるか楽しみでした。が。。。。。。。。
予想に反して、私は黙ってしまいました。ただ、その時、自分の気持ちが感じられました。以前だったら、ただただ嫌な気分が湧き上がり怒ってしまっていたのですが、今回初めて自分の心の風鈴がどんな風に鳴っているかが、感じられたのです。
 
母の、無理に明るく快活に振舞う姿に、自分が拒否されているのを感じました。私の状態、気持ちに添うのではなく、この場で明るくステキな母親を演じることに精一杯である一方的な態度に圧倒され、しらけて、体が閉じていくのが感じられました。私は夫と話す母の横で疲れて眠ってしまいました。
 
ああ、そうだったんだ。この人はいつも無理して、明るく如才ない賢い母を演じていたんだ。私の気持ちや要求には関心がなく、祖母や親戚や周りの人に明るく賢い人と思われることに気が行っていたんだ。周りの人も子供だった私もしらけさせ、体が閉じていったんだ。。。。。。。
今私の子供が幼稚園で不機嫌なのも、一緒に暗くなってはいけない、元気づけようと明るく担任の先生や他の子や親達と喋る私にしらけているのかもしれない。。。。。。。。
もっと今のツマンナイ気分に添って欲しいんだ。。。。。。と気づきました。
 
外で明るく振舞う位だったら、家の中でもっと明るく、やさしくして欲しいっという気持ちなのかもしれません。
今はこんな感じです。長い文で失礼しました。でも、あっ!!っと腑に落ちた(気づいた)ので、思わずご報告したくなってしまいました。
自分のことばっかりでいつもすみません。ありがとうございます。
 
NO.178
これまでの内観で7日目にあたる最終日、ついにピンクの紙に書き出しすることが出来ました。
二日目の午後、父に対してして思うこと、してほしかったことを書き始めました。最初は「オヤジ」に対する文句でしたが、すぐに「寂しい」「愛して」と言う言葉に変わりました。
 
そして、どんどん幼少の頃に戻っていき「だっこして」「おんぶして」の言葉と共に涙が溢れて止まりませんでした。
次に書き出しは父への手紙に変わっていました。そこには、これまでのような怒りは無く「~して欲しかった」と「あなたは私の父親です」という意味の文章を延々と書きつづりました。そして、 「お父さん お父さん お父さん・・・」と数ページに渡って書き出していると、小野先生にピンクの紙に書くことを勧められました。
そして、「私はお父さんが大好きです」から始まり「~しているお父さんが大好きです」と感謝の言葉を少し書き出して今回の内観は終了しました。
 
思い返せば、私は父のようにはなるまいと生きてきました。父の心ない言葉や行動、父親らしいことは一切されていない私には憎しみの感情しかないと思っていました。でも、心の奥では父の事が大好きな自分がいることがわかりました。
まだ、感謝で一杯という心境ではないですが、やっと光に近づく大きな一歩を踏み出せたと思います。本当にありがとうございました。
 
追伸:帰宅して父と会いましたが、以前と特に変わりなく過ごしています。表面上の会話だけです。しかし、今日ちょっとした気付きがありました。会話をしていないのは私だとい
うことを。これから、自分から親子の絆の修復にあたろうと思っています。
 
NO.177
先日はありがとうございました。あれからぼやーっとすごしてるんですが、まだまだあるみたいで・・・やっぱり背中になんかあるみたいです。なんか自分をだしてこう思っても背中を誰にも守ってもらってない感じというか違和感っていうか寂しさ、孤独感とか背中から発してる感じがしてならない・・・背中に意識おいた瞬間にゾクってくるんですよ・・・
あとすごく居心地がよくて、家はいつも時間に追われてる感じなんですがなんか・・なんか・・楽でした。
 
最後の日に思いっきり書いたんで紙もビリビリでした。書く紙を120枚も持ってきたんで大丈夫やろーって思ってたんですが、最後に数えてみたら残り10枚!自分でもびっくりでした。
昼からずっとやったんで三時間ずっと嫌わないでって書き続けてました。すごっ!嫌わないでから、嫌うな!! になっったんですが、そこから紙がビリビリ破けてったんで、その残骸を見てて、心の傷っぽいなーって見てました。とにかく群馬に行ってよかった。
 
いつも、なにしても、失敗ばかりやったんで、今回も無理かなー でも、せっかく遠くから来たしなーって あせりながら参加したんですがなんか、研修会場に居たら、なるようになるさって思えたんにびっくりでした。
家の影響か、あせらんだと自分を責めてしまう悪い癖がしぜんと抜けていくって感じでした。
終わってからもあせりが少なくなったんですが、まだあるかんじなんで(ゴミ)また夏くらいに行きたいんでお願いします!!
 
NO.176
内観ではお世話になりました。沼田のきれいな空気と緑の中にいるだけでも充分癒されて、内観でさらに体が柔らかくなって、今とても静かで落ち着いた気持ちでいます。この感覚がずっと続くことを願っています。
私の中にある自分の力では消すことのできそうもない、原因も思い出せない感覚を消してもらいました。ふと浮かんできた事は、母を反面教師にして学んだ事の大きさでした。まだ素直にストレートに感謝には至っていませんが、母は自分の人生を犠牲にして何かを私に気づかせてくれたのかもしれない。。。という事です。
 
埼玉に帰ってきて、また日常がはじまりました。足の裏がやわらかく感じます。地面にやさしく接している感じがして、いろんな事がやわらかく、ゆっくりと、やさしく感じます。息子ともたくさんじゃれて遊んでいます!自分がどんな風に変わっていくか楽しみです。ありがとうございます!
 
NO.175
今回、初めての内観ということで、様子をみるということで1日だけにしようと思っていましたが、先生が勧めてくださった通り2日間にして本当に良かったです。
私は今まで、カウンセリングを受けたりしていたのですが、父よりも母に対する気持ちの違和感が大きくて、母のことでカウンセリングを受けることが多く、父のことに触れたことはありませんでした。
 
しかし、父に対する違和感が自分の中にあり、それに触れるのを怖れている自分というのも感じてはいたので、今回は思いきって、父に対する思いについて向き合ってみようと思い内観に挑みました。最初は父を思い浮かべた時にただ自分に感じる気持ちを羅列していたのですが、なんでこんなに涙が出るんだろう?と思う程涙が出てきました。
 
書いている言葉は、普段ならとても父に向かって言えない言葉だったので、このまま、書き続けているだけでもある程度スッキリ出来る気がしていたのと人にどう思われるかというのをとても気にしてしまう私は、こんな悪口ばかり書いている自分がどう思われるのか? という気持ちから最初は面接があるのが嫌だなと思っていましたが、しかし、実際、面接をしていただいて、優しく真剣に話を聞いてくださった若子さんの姿に安心し、面接の度に、洗いざらい今の思いを聞いていただいて、その後の作業についてのアドバイスをいただきました。
 
書き出しの作業で詰まっても、面接後アドバイスをいただいた通りに作業を進めると、自分の中にあるもやもやが、どんどんはっきりしてきて、自分がこんなことを思っていたのかとか、この出来事がこんなに私にとって、大きな出来事だったんだと分かりとても納得できました。そんな作業を繰り返しているうちに最初は嫌だと思っていた面接の時間が、私にとってとても待ち遠しいものになりました。
 
1日目は父に対する怒りの素になる出来事を発見し、その時の気持ちを羅列して終わりましたが、2日目の午前中に、自分の欲していることと、父に対する罪悪感の中で葛藤していることが分かりました。
 
それと同時に自分がただの自分の思い込みによって苦しんでいたことに気付き、父に対する感謝の気持ちが溢れてきました。それに父に対する違和感に触れる のは怖いと思いながらも、そんなに大きなものとは思っていなかったので、今自分が抱えている悩みに大きく関係していたことと、それがたんなる自分の思い込みが作っていただけだけと分かり、力が抜けると同時に、おまぬけな自分がおかしくて笑いたくなりました。
 
午後は母に対してのゴミ出しをしましたが、なかなか作業が進まず、作業を続けようとすると、頭が痛くなったり、肩が痛くなったりして、全然作業に集中出来なくやりたくなくなりました。面接でそのことをお話すると、じゃあそのやりたくないって気持ちを見ていくのはどう?とアドバイスをしていだたき、それなら出来そうな気がしたので、や りたくない気持ちを書き出していると、母の顔が浮かんで来て、言葉がどんどんでてきました。私はこのやりたくないという気持ちを母に伝えたかったんだなと気付き、調子が出てきたところで今回の内観は終了してしまい ました。
 
今回は途中で終わってしまいましたが、次回も是非参加して、今度は母に対しての違和感をクリアに出来たらいいなと思っています。今回の内観で、小野先生をはじめ、スタッフの皆様一人一人がとても暖かく真剣に向き合ってくれているのを感じとてもありがたく感じました。皆様ありがと うございました。そして同席されてた皆様の自分のゴミに向かい合う姿に励まされました。皆様本当にありがとうございました。次回もまたよろしくお願い致します。
 
NO.174
今回で三回目の内観を受ける事になり、前回迄は周りの人に対する憎しみをテーマにしたもので、今回は自分自身の中のゴミ(自分の・・・がキライ)とかを書き出しておりました。
 
二日目の終わる一時間位前になって涙がいきなり出て、宮尾さんに「どうしたの?」と聞かれ自分では何故泣いているのかは、分からなかったのですが、「しんどかった」と、もう一人の自分が言葉を出した感じです。
 
では、これから終わる迄、「しんどかった」を書いては?と言われ、書き出しをしていると、ずっと涙が止まらなく、小さい頃の親からの抑圧に対しての辛さ、頑張り過ぎた辛さ、自分の体に傷を付けた申し訳ない気持ち、などで泣いているのに気付き、後はピンクの紙に親にありがとう。自分の体に、ごめんなさい。を書き続けて今回の内観を終えました。
皆様のお陰で、次からの内観のテーマがハッキリしました。本当に、ありがとうございました。
 
NO.173
今回の内観 『3度目の正直、きっと成果を出して帰る!』と決め、真っ向勝負!で挑んだのですが、敢え無く玉砕してしまいました・・・
でも、『いっぱい書いてやったぞ!!わっはっはっーー!』と気分爽快です。
 
スタッフの方々にヒーリングを施していただくとカッカ、カッカしていた心も次第に落ち着きを戻していったのですが、1日目にノート1冊分書き出したにも拘らず、2日目もまだまだ書けて、さらに感謝の紙になんてさらさら向かう気もなく・・・ そうとう根深いものを持っているようです。
 
駅でノートを2冊捨てた時、【何か】も一緒に捨てました。
何を捨てたか今はまだ分かりませんが、その後 さらに心が軽いです。
本当にお世話になりありがとうございました。
 

NO.172

本日は有難うございました。今は内観を終えた直後の気持ちのままでおります。
小野先生には大変申し訳ないのですが、内観に参加するまでは、目に見えないものをつかむかのようなもので、ここまでの気持ちの変化は正直期待しておりませんでした。(すいません)
 
それともう一点なのですが、内観に参加するにあたって、これは動機が不純なので先生には誠に失礼な話ですが、「科学では証明できない不思議な事が本当に存在するのか?それを体感したかった」というのが正直な気持ちです。(こちらもすいません)
 
今までの人生では、ゴールの見えない迷路をさまよっていました。さまよった挙句にまたスタート地点に戻る、それの繰り返しでした。
「どうすればこの複雑な迷路から抜け出す事ができるのか」
自分だけで考え、悩んでいたわけですが、しかし今、皆様の力をお借りして、3日間の内観を終えて「目指していたゴールがかすかでも見えてきた」のか、それとも「この迷路から抜け出す方法を発見できた」と言った感じです。
 
今までは嫌な事から逃げ、目を背けてきました。これからは目の前に立ちはだかる困難、問題にも真っ向から立ち向かっていけるよう、日々「ありがとうございます。ありがとうございます」で、精進してゆこうと思います。
 
内観以前は、「このような考えでいよう、このような気持ちでいよう」と、無理に思っていました。
「いよう」とか「いたい」ではなく自然に「いられる」この2つの違いはかなりあり、できれば後者の気持ちで毎日を過ごせれば前向きな人生が送れるような気がします。
 
 
NO.171
内観では大変お世話になりありがとうございました 
 
今回は父のゴミ出しで(93才で3年前になくなりました)
「一緒に食事をして欲しかった」・・・ 
「遊んで欲しかった」と午前中はこれのみです
 
菓子職人でまじめで腕も良くコンクールでは入賞するなど仕事一筋でした。
私が小さい頃、3食とも勤務先で食べていました
母がこれではあまり不自然だからと、夕食だけは自宅でとるようにしてもらいました。
父と遊んだ記憶は有りません。
絵が上手かったので宿題の絵を見てもらったのが楽しい思い出です
 
父は満州に自分の夢を賭けて行ったのですが、敗戦でリュックサック一つで引き上げてきました。今考えると家計のため3食勤務先で食べていたのだと思います
家族のため、店を持つため精一杯働いた人生だったんだと感じるとピンクの紙に書きたくなりました。
 
 
午後からピンクの紙に書き続けていると「後何を書こうかな?」と思うようになり、父を思い浮べながら休んでいると1つ思い出しました
 
私の父は災害で父を亡くし実母が再婚するので一時期親戚に預けられていました
実母が向かえに来た時父は拒否しました
そのときの父の気持ちを思うと「寂しかっただろうに・・・・・」「イメージで今私が抱きしめてあげるね」と肩を抱いていると面接に呼ばれました
先生から「感謝の言葉を出し切るように」と、アドバイスを頂き、目が覚めた感じで、又勢い良く書き出しました
アドバイスでスピードアップできました ありがとうございました
 
明治生まれの父は80代まで月2,3回店に行っていました
お菓子の最終チェックの大事な仕事が有ったのです
初めのうちはそこまで入れ込まなくてもと思ったりしていましたが、今の年齢になって私もやっと理解出来るようになりました
「信頼を得る」ということがどれほど大切なことか、相手も良く自分も良い関係!!
 
私もいつもこの関係でいたいと思ってる
父と同じ思いで仕事が出来ていたと気づき途端に涙が出て止まりません
だだ嬉しくてありがたくてこの感想を書きながら涙ポロポロです
仏壇の前で お風呂で トイレで 思い出してはポロポロ・・・・と、先生からのアドバイスの「出し切る」事の一つを今やっていると思いますここまで導いて頂きありがとうございました。最後まで読んで頂きありがとうございました
 

NO.170
16日は、初めての内観でした。
私は、子供の頃から父が厳しく、些細なことにもものすごく怒っていたので、怖く、嫌いでした。
現在は実家を出ているので、たまに会うときは、面と向かって話したりはできないけど、昔のような、嫌な感情は持たなくなっていました。
 
内観を始めてすぐの面接で話を聞いてもらっていて感情が昂ぶり、泣いてしまいました。
前半では、小さかった頃の感情がこみ上げてきて、こわいこわいをずっと書いていました。
予想では、憎しみや罵りが沢山出てくると思っていたのですが、「怖い」「もっとやさしくしてほしかった」というのが出てきて、本当の気持ちに気づかされました。
 
前半は勢いがあったのですが、途中は眠ってしまいました。
まだまだ出し切れてない感じです。
 
NO.169
4月16日の東京集中内観では大変お世話になりました。
しかも大遅刻!申し訳ありません!とんでもないことを!
しかし、皆さんの笑顔のフォローにより、無事内観をやりとげることができました。
 
はじめは母について書き出すつもりでしたが、面接で「お話を聞いてるとまだお父さんへの書き出しがあるみたいですよ」というアドバイスをいただいて急遽路線変更。
 
再度父へチャレンジしました。「むかつく」「ずるい」とその単語だけが延々と出てきて、そのうち睡魔と言葉の闘いになってきました。何時間もその状態が続いて、今日はもうこのまま終わりそう、という時に突然、はたと気づきました。
 
「なんでこんなに怒ってんの?」
そう思ったら急に目が覚めてきました。書く手もあまり進みません。
面接でそのことを言ったら「ピンクの紙に書いてみますか」と言っていただいたので早速ピンクの紙に移行してみると、ああ、
いままで父は大変だったんだな~。いっぱいいろんなことしてもらったな~。といろんな思い出がしみじみと出てきました。
 
試しに白い紙に戻ってみましたが、もう書けませんでした。
わ~、クリアさせていただいたんだ~、という感じです。
「よほーい!」と単純に大喜びする自分と心のどこかに「え?ほんと?」という思いがあるのは、もうその次が・・・?うわー、内観は奥深いですね。
 
面接を担当していただいた小池さん、本当にありがとうございました!百戦錬磨の強者のように頼もしい笑顔で的確なアドバイスをくださってとても感謝しています。
 
その後、父と最初に顔を合わせたのは翌日の夜でしたが、父が美味しい苺を買ってきていました。
私は勝手にお祝い?(その前に父が苺を買ったのがひな祭りの日だったので)なんて思って父が知る由もないのに、大喜びしてました。また、是非内観をさせていただきたいと思います。
 
 
NO.168
会場に到着するまでは、「たくさんのマイナス感情を出そう!」とヤル気になっていたのに、会場に到着してしばらく経つと、なんだか頭がボーっとするというか、フワフワした感じになってしまいました。 
1日中そのような感じで、終ってしまいました。
 
内観は父についてさせて頂きました。
昔は、父のことが嫌いで、存在自体を認めたくありませんでした。
しかし、私自身が色々な経験をしたり、他のヒーリング方法などにより最近は「嫌い」という感情や「怒り」の感情は、ほとんど感じなくなっておりました。
それでもまだ、父に対しての違和感や不満はあります。
それと同時に、父の優しさを感じたり、また、父の弱さや寂しさを感じて「父の事をもっと大事にしてあげたいなぁ」という思いもあります。
 
このような2種類の思いを持った状態で内観に臨みました。しかし、書き出そうとしても胸のあたりがザワザワしたり、「否定的な言葉」は出てくるのですが、「感情」が出てこなくて、ただ淡々と「否定的な言葉」を書いている状態でした。
 
小野先生にヒーリングをして頂き、胸のザワザワはだいぶ楽になったのですが、その後も思うように「マイナスの感情」は出てきませんでした。その後から、以前感じていた否定的な感情を書き始めることが出来ました。
しかし、思い出すだけで怒りが込み上げてくるような事柄を書き出していても、「怒り」の感情は出てきませんでした。 
どちらかというと、淡々とした客観的な感じでした。
もっと強いマイナス感情が出てくると予想しておりましたので、とても意外な感じが致しました。
 
そして、もっと奥に「マイナス感情」があることを、今まではボンヤリとしか感じられなかったのですが、今回の内観により、はっきりと自覚することができました。しかし、それを出す事が出来ず「欲求不満の状態」で、終ってしまいとても残念に思います。是非、また参加させて頂きたいと思います。今回は、お世話になりました。
 
NO.167
父について内観しました。
父とは母との離婚以来10年近く会っていません。
離婚の時に何の説明も無かった事、再婚した事を知らせてくれなかった事に不満を感じていました。父の再婚を偶然2年前戸籍を見て知り、父の事を信用出来ないと思いました。
 
財産分与の問題が未処理だったので、早く処理しないと大変だと母をたきつけました。
母の為と称して弁護士、司法書士の方の所へ行きました。
 
でも、結局解決出来ませんでした。
母は「こんなことならやらなければよかった」と言いました。
私は母の為にと思い、父への思いを抑えて動いたのに一体何だったのだろう?と思いました。
 
その時に母と私の関係が不自然な事、私は父への復讐の思いで行動してた事に気が付きました。
 
家族の中では私と一番仲が良いと思っていたのに、私にも再婚の事を知らせてくれなかった事がショックでした。
私はたぶん生霊になってると思う位、恨みの気持ちでいっぱいでした。
 
父に会いたい気持ちはありました。
でも、会えば父を傷つけてしまうかも、言いたい事も言えず、自分を傷つけてしまうかもしれない、それを考えると会いに行けませんでした。
 
内観を申し込むまでも、とても迷いました。
自分の中のどろどろしたものと向き合うのが怖かったからです。
でも、会う為に一歩前進できれば、、と申し込みました。
 
不思議な事に申し込んだら気持ちがスッキリしました。
子供のように「パパに会いたい!」と思えるようになりました。
内観当日、恨みの言葉などは出てきませんでしたが、ただ、とても悲しく淋しくて、父への語りかける手紙のような内容を書いていました。
 
父にこうして欲しかったという思い、
私もこうすればよかったという思い、
父に謝って欲しいという言葉と父に対するごめんなさい、
という言葉が交互に出てきました。
 
だんだん、父の方から会いに来て欲しいとか謝って、という言葉が出なくなり、何もこだわりがなくなりました。
 
私も許すから私のことも許して欲しいと書いていました。
父にだって幸せになる権利はあると思いました。
父は幸せになることを諦めなかったんだ、と思いました。
 
面接の時に「最初と全然違う、別人みたい、すごく幸せそう」と言っていただきました。
 
意外な展開に「これでいいのかな?」と戸惑っていたので、その言葉を聞いてとても安心しました。
 
時間が余ったので散歩に行くことにしました。
フラフラと歩いていたら神社がありました。
境内の桜が葉桜ではありましたが、風に舞う花びらが美しかったです。
とても幸せでした。
 
お参りをしておみくじをひいたら大吉でした。
びっくりしました。
とても嬉しかったです。
何かもったいないなぁ、と思いました。
内観後も幸せな気持ちが続いています。
しばらくこの気分を満喫しようと思っています。
小野先生、スタッフの皆様、大変お世話になりました。
ありがとうございました。
 
NO.166
先日は一日内観でお世話になりました。
なんだか、心が軽やかになった気がします。
鎧がひとつなくなったような、何かがいつのまにか消えたような感じです。
 
私が母から、知らず知らずのうちに受け継いでしまったクセのようなものを、無くしたいとずっと思っていました。
特に子供が生まれてからは、母を反面教師に、母とは違う接し方、子育てをすることだけに心を砕いてきました。
にもかかわらず、息子は私の子供の頃とにかよった欠点を顕してくるようになってきたのです。
あれだけ、気をつけて育てたつもりなのに、何故だろう???
 
内観ではそこのところを解決したいと思い臨みました。
けれど、私は自分の正直な感情を自分で感じ取る事ができないために、なかなかゴミにたどりつけませんでした。
(このことに気づけたのは大きな収穫でした。)
 
息子の気になるところ、を書き綴るうちに、そのひとつひとつが、私とそっくり根が同じであることに気づかされました。
息子を変えようといろいろ試みる前に、私が問題なんだと心から納得しました。ストンと腑に落ちる感じです。
 
では自分の中にある根をなくすにはどうしたらいいのか???
というところですっかり筆がとまり何も書けなくなっていると先生からアドバイスがありました。
 
一見、息子のこととは関係ないような、私が子供時代にしたかった事を、書きつづけるようにとの事でした。
たくさん思い当たり、書き続けるうちに終了となりました。
そしてそれらがいつも、なんとなく母によって阻まれている事実を実感できました。
 
途中ではありましたが、この事を書き綴るうちに自分の本当に感じていることを感じ取ることがかすかにできたように思えました。自分の力ではない、誰かの力添えをものすごく感じる展開の一日でした。
なぜなら、書けなくて困っていると、必ず先生やスタッフの方に呼ばれて的確なアドバイスをいただけたし、自分の予定と違う切り口なのにいつのまにかゴミにたどり着いていたからです。まだ途中なのかもしれませんが、私の中で何かが、消えた気がします。それは自分では意識することがなかったクセのようなものです。
 
普段自分で嫌だなーーーと意識すらしていない、自分でも気づかずに私のまわりを覆っていた透明の雲みたいなものが消えている感じです。それが、日常生活や子供にどんな風に影響していくのか、楽しみです。それから、群馬で受けた気功は効果が実感できています。!!あと、私は、すぐに他人を”かわいそう”と感じてしまうことが多々ありました。何故かわからないけれど。
 
その感覚に振り回されることが多かったのですが、なんとなくそれが消えている気がします。
ある意味クールに、平常心でいられるというか。。。。。とてもありがたいです。
 
今まで感じていた”かわいそう”って私の本当の感情ではなかったんじゃないかと思えるのです。同じ”かわいそう”でももう少し冷静でいられる感じです。この感覚ずっと持ち続けたいです。以上、今、感じている変化を書いてみました。今回も大変お世話になりありがとうございました。
 
NO.165
今回、内観を受けた日を数えて、10日間目・・・
父、母、祖母のゴミを出し、他には・・・?
自分のことをやりました。
 
最初から、「不安」、「心配」について攻撃していくと決めていました。
この2つのキーワードが私の行動する上でいつも邪魔になっていたからです。
でもこのことは1時間も書いているうちに、消えていき、「いいじゃん、人間なんだから不安になったってねえ。」と思い、納得しました。
 
今回のテーマは心の方ではなく肉体の方だったようです。
 
私は、5~6年前から、毎日、疲労感や倦怠感が抜けず、精神力でもたせたというか、誤魔化してきたというか、仕事もやっとしていた時期がありました。
でも、この不定愁訴は心の問題をクリアーすれば治るだろうと思っていました。
 
ですが、「健全な肉体には、健全な精神が宿る」というように、どちらか片方だけでは私の場合はバランスが取れない。魂と肉体が融合されていない違和感を感じました。
 
「身体」、「コンプレックス」・・・そんな言葉が、出てきました。
思えば、思春期の頃とても体のことで悩みました。
今考えると「なんだ~そんなこと~!?」って笑ってしまうようなことなんですよ。
 
それから中学1年の頃でした。
頭の先からほとんど全身にかけて赤い湿疹のようなものができ、鏡を見ては泣き、「こんな顔のまま生きていくなら死んだ方がましだ!」とか何とか考えてしまって、学校に行けない。
よく晴れた外を遠く眺めては、それが私には眩しすぎて、薄暗い部屋の布団に包まってまた泣き・・・。
共働きのうちでしたので、独りでいた寂しさも重ねて悲しみました。
 
あとは、十代の頃、とても好きな男の子ができて、その子が華奢な細い女の子が好きだという情報を得て、必要以上に痩せようとしたり。
 
そして最近だって、治療の勉強をしていく中で、骨が動きやすく、練習台になっているとすぐ痛くなってしまい、勉強が、思うように進まないこと・・・なんでこんなにもろい体をしているんだろうと、いつも考えていました。
 
本当に人に聞かせれば、「大したことないじゃん」ってことですし、今の私もそう思いますが、当時は大事件だったんですね~。 心さえ開放すればよいと考えるのは、甘かった! 私は、自分の体を受け入れて、愛したことがない!
ありがとうございました。
 
 
NO.164
あれから、長男がなにかするたびに、イライラしながら、怒り狂いながらも、自分の怒りに、ありがとうございます。を唱えていましたところ、私が子供のころは、こうだったのに、ああだったのに、何でこいつは好き放題、好き勝手しているんだ、と思うようになりました。
 
これがゴミなんだな~と思いながら過ごしておりましたが、ふと、私は、親としてどう振る舞ったらいいのか、さっぱりわからない、
という事に気づきました。
 
長男が暴れているときも、何かを言っているときも、何かをしているときも、親としてどうあるべきか、どうしたらいいのか、と、とてもとまどっていて、どうしたらいいのか、さっぱり分からないんだ、と思いました。
 
昨日、急に長男が訳の分からないことで、暴れ始めました。
今までなら、怒り狂うところでしたが、ああ、私はこうなられると、どうしたらいいのか、わからないんだなぁ、ありがとうございます。と唱えていたところ、怒るどころか、落ち着いて子供の話を聞くことが出来ました。
 
ずっと、親としてどうしたらいいのか、わからない、ということがわかって、よかったな~~~。と思いました。
 
夜、布団に入ってから、長男を私の子供として授けて頂きまして、ありがとうございます。と唱えたところ、沢山涙が出てきて、今まで、私のゴミのせいで、長男には沢山ゴミをかぶらせてしまったと思いました。
 
私のために、長男はたくさん辛い思いをして、それでも、かあちゃん、かあちゃん、って。
自分はかあちゃんに愛されていない、って不安な毎日を過ごし、こんなに辛くて不安な思いをずっとさせてしまって、ごめんなさい。それでも、一生懸命いつも私のそばにいてくれて、ありがとう。とにかく、色々な思いが出てきました。
 
お腹の中にいたときのことを思いだし、お母さんのお腹の中に来てくれてありがとう、と思いながら、生まれたときのことを思い出し、心から、生まれてきてくれてありがとう。と思いました。
私が、内観で母のお腹から生まれたときに、生んでくれてありがとう。と思いましたが、それと同じく、生まれてくれてありがとう。と思いました。
 
お腹の中に宿ったときから、とまどいと不安の毎日でした。
喜びよりも、どうしたらいいんだろう、という思いばかりで、今までずっと、そうして過ごしてきました。
本当なら、降り注ぐ愛情をいっぱいに受けて育つべき子供時代に、私は長男に沢山の愛情を与えてあげることが出来ませんでした。本当に長男には申し訳ないと思います。
 
長男は光り輝くとても可愛い子です。
たくさんの愛と優しさと、豊かさが長男に降り注ぐことを願っています。
お導き下さいまして、ありがとうございます。
 
 
NO.163
4月11日、12日に、関西で個人内観を受けさせていただきました。
一日目は、子どもの頃お酒を飲んで暴れる父親を思い出しても、何故か他人事のような冷めた感じで、「父もかわいそうな人だなぁ」なんて思ったりしていました。
 
二日目に「自分でバリアーを張ってしまいそこから見てるから冷めて感じるのでは?」と言われて、まさにそうだと思いました。ヒーリングをしていただくと、のどが詰まったような苦しさがあり、子どもの頃 夕飯を食べている最中に急に父の機嫌が悪くなり、口の中に食べ物が入ったまま怒鳴られたり、こづかれたりしたことを思い出しました。
 
思い出す というより、そこへ戻った という方があっています。
そして食べているものを飲み込もうにも飲み込めず、涙をためてのどが詰まり苦しかった私に戻りました。
そのあと死んでしまえとたくさん書きました。
気持ちは落ち着いて楽になりました。
 
帰りに駅から家まで歩いているとき、ふと「ご縁があってと○○さんと会わせていただいたなぁ」と思った瞬間、ゆかりという名前は父が縁という意味のゆかりと名づけてくれたことを思い出しました。あの人は父親だったんだなぁと 改めて気づきました。
 
そういうメッセージを送ってくださる方がいる
受け取れる私になれるよう助けてくださる方がいる
そのことにとても感激し、感謝しています。
正直に言いますと、今はまだ父に対して感謝はあまりでてきません。
でも、ありがとうございます。を続けていくうち、きっと感謝にたどりつけると確信しています。
 
NO.162
まず内観の雰囲気の感想としては、もっと厳格で静かで堅苦しいのを想像していたのですが、(出入り口の近くの席だったので特に思ったのですが)皆さんわりと頻繁に出入りをしていらして、後半は席を離れている方も多く、思っていたよりもずっと自由な雰囲気だと思いました。なので、あまり緊張せずにできました。
それから、一日書き通しだったので、首、肩、腕がひどく懲りました。
 
つぎに肝腎の個人的な感想ですが、今はまだ目覚しい効果は感じられないのですが、これを続けたら、やがて大きな変化が起こりそうだという予感は確かにします。
今のところ、母に対してのネガティブな思いは書き尽したような気がしています。そのせいか、今現在は、母に対して、以前のようにはネガティブな思いを抱いていません。
 
でも、それは、正直言って、母に対するネガティブな感情がすっかり消えてなくなったというよりも、あんなにたくさん書いたから、もう少なくとも日常では、母に対する不満を考えることに疲れたというか飽きたというか、面倒になった、というような気持ちです。
 
それだけでも明らかにプラスであるとは思うのですが、まだ自然に感謝の気持ちがこみ上げてくる、という段階には達していない、というのが正直なところです。
母以外の人(夫など)に対するわだかまりが減ったというところにも到達していないので、やはりまだ母をクリアしていないのかもしれません(それは父をやっていないせいかもしれませんが)。
 
ですので、もう一度内観をすれば、母に対しても新たな、もっと奥に潜んでいるネガティブな気持ちが表面に出てくるのかな、なんて思っています。
先日書いたことはまだ、これまでも顕在的に一度は思ったことがあることばかりで、潜在的なものが奥から湧いてくる、というような感じがなかったので。
 
いずれにしても、私にはさらなる内観が必要だと思いました。
ぜひまた参加したいと思います。今後ともよろしくお願いします。
 
NO.161
とりあえず・・になりますが、気持ちは安定しております。
先日、内観を受けてから1ヶ月が過ぎ、”もう後少しだけ前の主人に対して、内観する事を先生に聞いていましたが、自分では1、2時間時間があれば・・くらいに思っていたのですが、やはり落ち着いた気持ちでしたいですし、なんかいい加減な(途中来客が来たり・・など)気持ちでもしたくなかったのでそして、結局、 内観を受けさせてもらってから1ヶ月が経って、ようやく、4月の初め頃、内観をさせてもらう事が出来ました。
 
2時間ぐらいの予定が、お昼1時くらいから始めたのですが、結局、夕方6時半まで時間が経ってしまってました。
出来たから良かったのですが・・でも、それは途中で、仕方なくその日は終わりました。
 
それからまた、2日くらい経って、先週です・・もう1度やれる事が出来ました。
 
そして 今、心は落ち着き、表現するなら・・
とてつもなく、大きな何かが・・本当に大きな私のすべてを支配していた何か・・・を・・取り去って行かれた・・
無くなったというより、取り去って行ってくれた。
 
ゴミ・・というなら、とても大きなゴミを取り去ってもらったんだ・・と 思います。
ブルドーザーで、掻きだし、その大きな固まりを持って行ってもらったような気がします。
 
今だけ・・というのではなく
この元に戻って来ている自分は、日に日に時間が経って行けば さらに進み、いつになっても『あの内観が きっかけで、あの時で 私は変われたんだ』と、それまでの地獄のような日々と共に、思うと思います。
 
私は救われた・・のでしょうね・・。
自宅で行った、2度目の内観が終わった時そう思いました。
なんだか少し、書くつもりがいろいろ書いてしまってます。
 
とりあえず・・で 始まったのですが、と、いう訳で、まだ日は浅いですが、
ありがたく、安らかな、すばらしい日を頂いております。
うれしいです。
先生、ありがとうございます。
導いて頂いて、本当にありがとうございます。
うれしいです。
ありがたいです。
ありがとうございます・・ありがとうございます・・
 
 

NO.160
今回は3回目の内観でした。
いつも内観終了後はすっきりというよりも、夢うつつのような状態で帰ります。そして次の日からもいつもの日常が始まり、内観が遠い昔のような記憶になります。
しかし、とても大きな流れが確実に起こっているような気がします。それは知らないままに、地球が回転して朝や季節がめぐるように、自分の意識レベルにとても作用されています。
内観を受けたからといって、幸運な出来事ばかりではありませんが、どんな出来事にも、前向きに・・・というか悪い事も良い事も
「ありがとうございます」という気持をもてるようになりました。
そして、そんな自分が好きになりました。
 
 第一回目は「父」でした。
内観後、父は入院し、手術を受ける事となり、必然的に話す事もなかった父と接することとなりました。
きっかけもありましたが、私の心に父を受け入れるスペースができていまいした。今ではこの父を自分の父と認めることができました。両親の関係も良くなり、この歳になっても、「親の仲がいいと子供はとても安心するんだ」ということを初めてしりました。そんなにひどい両親ではありませんがどこかでバカにしていたようです。
 
 今回は「母」に対して内観をしようと思いました。
母とはとても仲がよく、友達に近い感じですが、私の出産の時に難産?で私が障害をもってしまったからです。今では人から見ればたいした障害でもないのですが、小さい頃からの通院や人からの中傷は、私の今までの人生に大きな影響を与えました。
中傷する人を憎むわけでもなく、「どうして普通に生まれることができなかったのか」と努力しても治らないことへ、いらだつ葛藤と神様のようとな存在に対して救いを求める気持をもつ反面、神様に怒りの気持を持ったり、普通に生まれている人に対して心のどこかで怒りの気持があったんだと思います。
誰も悪くない自分も悪くないと思うと、これは私に科せられた罰なのかと考えたり、私なら耐えられると神様が選んだのか、などなど小さい頃から考えすぎて、無邪気な子供時代は少なかったです。
 
母に対して内観を進めましたが、小野先生に「神様」に対して思いをぶつけてみたらとアドバイスしていただきました。
それから神様に思いの内をぶちまけました、でも怒りの気持ははじめだけで、あとはただただ、泣いてばかりでした。
神様はどんなことを言っても微動だにせず、ただただ微笑んで見ていてくださる感じでした。だから文句をかけなくなりました。
 
今は毎日楽しく過ごしています。なにか大きな幸せがあるわけでもないのですが・・・ありがとうございます」の言葉は私の大きな力となっています。
 
この前、通院先の先生と出産時の話をしていたら「そんな状態でこの程度の障害だったらラッキーだったね」と言われ、目からうろこでした。そんな風に考えたこともなかったので・・・私の大難を小難にかえていただいてたんだと思いました。(ありが
とうございます)
 
内観でマイナスでいっぱいだった心に隙間ができてとても軽い感じです。考えも明るくなるし、幸せになることへ以前は恐怖があったのですが(いいことがあるとその分、罰があると心の中で思っていたふしがありました)今は悪い事もすべて「ありがとう精神」ですから、悪い事がないんですよね。長々と読んでいただき、ありがとうございました。
 
NO.159
先週の内観では、ありがとうございました。
 
内観の感想ですが、土曜は父に対してゴミ出しを行いました。
内容的には、
・もっと父らしく私に人生の生き方を教えて欲しかった。
・自分の劣等感を癒やす為に私や弟をバカにしたり、
「どうせ○○にはできやしない」等ネガティブなことを言ってほしくなかった。
・ 酔って泣きながら私に「たのむから大学へ行ってくれ」と言ってほしくなかった。
・私の友達が自殺して、それがテレビで報道されて動揺している私をからかったこと
等々。
 
今、思えば父へのゴミ出しは全然できていないな~と思います。
・酒乱で仕事から帰ってきては、家で暴れて母や私、弟と言い合ったり、喧嘩したり。
・私が・・・をしてしまって、母が苦しんでいるのを見て「おまえは男か!」や「どうせだったら、もっと思いっきり・・・をすれば、よかったのに」と、言われたこと。
 
父は酒や仕事、そして母に依存しているように思います。
しかし実際に、私のことで母を苦しめていることに良心がとがめているのは確かです。
それが、私が内観で両親を責めたくないという足かせになっていると思います。
 
話が脱線しましたが、初日の最後には「愛情が少ない」→「愛情がない」→「愛がない」「愛がない」「愛がない」・・・・と、繰り返して書きました。
でも、愛がないのは私のことだと自分を責めつつの内観でした。
 
2日目は、・・・もう、記憶はうろ覚えですが、誰にゴミ出しをしていいか分からず、両親よりも私を苦しませてきた他人を意識し、その人達に対してゴミ出しを行いました。
最初に対象にしたのは、中学の頃私をいじめた人。
今の会社で「会社が倒産する」とか会社の悪いところばかりを言って私を不安の渦にし、・・・の原因の一つになった人。
「お前に負けるのは許せない」と言った人々。
そして、最後には不特定多数の他人に対して「死ね」「死ね」「死ね」・・・・
 
宮尾さんとの面接の時、もうきりがないし、やっている自分自身も怖いと相談しましたが、せっかくゴミ出しが始まったんだからと2日目はそのまま続けて終了しました。
 
貴重な二日間で先生や宮尾さん、米谷さん、小池さん、岩出さん達スタッフの方々にご足労頂きましたが、中途半端な結果に終わってしまいました。
 
私の「バーストラウマ」は、かなり根が深いのだなぁと改めて思いました。
 
「バーストラウマ」には
(1)無意識的に、ついつい言葉や暴力で他人を傷つけてしまう
(2)理由もなく、緊張してしまう、もしくは、不安を感じてしまう
(3)与えられても、与えられても、満足できないことが多い
(4)人が嫌い、人と接するのが怖く感じる
(5)両親に対して違和感、嫌悪感を強く感じてしまう
(6)物事を何でも否定的に考えてしまう
(7)人の幸せを憎たらしく感じてしまう
(8)他人に物事を強制してしまうことが多い
と、あげられていましたが私はほぼ全てが無意識に行われていることが多いです。
 
私は物事を論理的でなく感情的な視点から捉えて言動することが多いです。
特に「恐怖感」に捕らわれて生きてきました。
 
親戚に会うたびによく言われますが、私は出生後1日中泣いていて、その為に母が鬱病になったほどだったそうです。
 
去年、母に自分は「バーストラウマ」かもしれないと話して見ると私は結構無理矢ひっぱりだされて生まれたそうです。
その病院は母の実家の近くの産婦人科だったそうですが、私と歳の近いいとこもそこで同じように生まれ、知恵遅れです。
 
やはり先生のおっしゃる通り出生がトラウマの「一番危険性の高い瞬間」だと思います。
 
私の小さな頃から記憶をたどると、私の人生は恐怖が行動原理になり人間嫌いになっていったと思います。
 
・幼稚園に入る前の記憶で、何歳かわかりませんが、父にけん玉の玉を目の前でぐるぐる回されて酷く恐怖を感じた覚えがあります。
・幼稚園で大きな積み木を使って遊ぶ時に仲間外れにされた記憶。
 (その頃から人に嫌われる気質もしくは人の中に入っていくような性格を持ち合わせていたのかもしれません)
・幼稚園の朝礼の後、玄関の下駄箱に向かってみんなでなだれ込むように走って玄関入り口のドアに頭をぶつけ倒れているところを何人かに踏まれていった記憶。
・小学校1年生の時に好きな女の子のランドセルを後ろから引っ張って倒して泣かしてみたり。
・小学校の低学年や中学校ではいじめられていました。
・逆に小学校の高学年の時は、いじめをしたりしていました。この頃は授業中でもふざけたりして落ち着きのない子供でした。
 
中学校の頃から特に人目を意識して行動していたように思います。
世間一般からみて「よい子」を演じていました。
 
高校の時はクラブ活動をせずアルバイトしながらテレビゲームばかりしていました。
この頃気づいたことは、自分は内向的で友達作りは下手な方だけど、「この人は自分の事を傷つけない」と感じると、バカにしたような態度をとるということでした。
 
親の期待に応えて特に志すこともなく大学に入りました。
そこでゴルフサークルに入りました。(当時よくあった遊びのサークルです)
この頃から自分は他の人と違う、生きづらいと感じ始めました。
多くの人が集まって他の人は楽しそうなのに楽しめない自分がいました。
 
社会人に入ってからは、会社や上司の期待にそえる為に、自分自身から逃げる為に仕事に没頭してきました。(仕事への依存)
恋愛も自分をださずに好きな人が好感を持つように意識して付き合ってきました。(恋愛への依存)
 
その為、今まであまり恋愛で長く付き合ったこともなく、人を好きになっても愛したことはありません。自分自身を受け入れずに仮面をかぶってきたので当然ですが・・・。
 
そうして対人緊張は強くなり、頭痛がしたり息苦しかったり(これは学生の頃からでした)
30歳に拘束時間の長いプログラマーの仕事で鬱病、不安神経症を発症しました。
 
あと、これは誰にも話したことがないのですが私の中には「悪魔」がいます。
人の死に対しての受け止め方、感じ方が異常です。
人の死に対して悲しむ心もありますが、時に軽くというか「死んでよかったね」みたいな言葉では言い表せないような感情を持っています。
 
最初おかしいと思ったのは、中学校の時、ひいおばあちゃんが亡くなったのですがその葬式の席で焼香した人が感情的になってひいおばあちゃんに話かけたところを笑ってしまいました。
 
そして、もっとも自分自身で恐ろしく感じたのは、アメリカ同時多発テロで火災したビルが崩れ落ちましたが、その時あのビルの中で人が死んでいってるんだと思うと歓喜していた自分がいました・・・・。
 
私の父は私の友達が自殺して、それがテレビで報道されて動揺している私をからかいましたが、それ以上に私は・・・クズです。
 
酒に母に仕事に依存している父ですが、それでも人から「仕事好き」と言われるほど誠実に仕事をこなし子供をほったらかしでも、私達兄弟を育ててくれました。
 
それに比べ私は、自分から逃げ、責任から逃げ、自分自身に不誠実で、人を愛せず、親から自立もできず恨んでいた父以上に最低な人間です。
しかも、自分が「誰」か分からず、自分が無い為に「意志」の無い人形ような人間になってしまいました。
もし私に並ならぬ恐怖心がなければ、犯罪者になっていたかもしれません。
まともな人間になっていたかもしれませんが・・・・。
 
昨年末の「死の瞑想」で私が目標にしたのは「まっとうな人間になること」でした。
今すぐ死ぬとしたら?という問いには困ったという思いしかありませんでした。
 
弥勒氣功研究会に参加希望したのは、「人の為になる事をしたい」という思いからです。
長い間の強烈な緊張で脳の海馬がやられてしまったのか、「記憶力」が大変弱くなっており、精神的にも魂のレベルにおいても今の状態では遙か遠い夢ですが。
 
今は、仕事をこなしながら「ありがとう貯金」「便所掃除」「笑い」を続けていくことに意識を集中して生活しています。
 
ぐっすり眠ることは、まだできていませんが、おかげさまで大分改善できてきました。
ありがとうございます。
 
NO.158
先日の内観ありがとうございました。
 
今回は父への内観をさせていただきました。
前回の母への内観では、自分の気持ちをひたすら出すことで母への引っかかりがないような状態になり、とてもすっきりしま
した。
内観後、母とは手紙のやり取りなどでお互いの気持ちを言い合い、二人の微妙だった関係も徐々に変化しています。
 
母への気持ちが解消に向かうにつれ、父への想いがちらちらと現れ始めていました。そこで、今回は父への想いを出してしまおうと内観に向かいました。
 
父は約10年前に病気で他界しました。まず、最初にでてきた想いは「なんで母と私のことを残して一人で逝ってしまったの?」でした。父と母は結婚という形をとっていませんでしたので、父が死んでしまってから母と私はよりどころを失ったと言うか、私達はこんに辛い想いをしているのに自分だけ先に行くなんて無責任だという想いをもっていたようです。(私は父が大好きで、今まで父を責める気持ちは全くなく、最近気付くようになりました)
 
ひたすら「なんで母と私のことを残して一人で逝ってしまったの?」を書き続けました。結局私の大元の気持ちはこれにつきたようで、細かい感情や想いもでてきましたが、すべてはその一つにつながっていました。
 
書いているうちに最初は涙が出そうになったり感情的だったものが、だんだん落ち着いて、そのうちにその書いている言葉に気持ちが引っかからなくなってきました。ちょうどその頃米谷さんの面接で、そのことを告げると私が、父が死んだときに仕方なかったんだと自分を納得させたことに「なくなったそのときの自分の感情をだしてあげて」というアドバイスをいただきました。
 
そこで、父が亡くなったときの自分の気持ちを出して(やはりここでも寂しい。なんで逝っちゃったの?につながりましたが)もう出てこないなと思った時に先ほど米谷さんに言われた「なぜ逝っちゃったかっていう質問にお父さんは答えてくれた?お父さんも家族を置いて逝きたくなかったんじゃないかな?」という言葉を思い出し、父に直接聞いてみようと思い立ちました。
 
ペンを紙の上に置いて「任せるから好きなように書いてみて」と父に語りかけました。そうしているうちに頭の中に言葉が浮かび始め、そのまま字に変わっていくという感覚でペンが動き始めました。
 
 辛い思いをさせたのも全部分かってる。
 わるかったな。ママのこともどうもしてあげられなくて悪かった。
 今ももちろん見守っているよ。
 辛い思いをさせたのは悪いけど、必ず幸せになれる。
 
(普通の家族の形をとってほしかったという私の思いに対して)
 
 それは、そういう運命だったんだ。パパとママと○○(わたし)でそういう道を選んできたんだよ。普通なんてないんだ。
 
3人で決めてきたことだから。みんなそれぞれ決めた道を進んでいるだけなんだ。そっちでは苦しい思いをするかもしれないけど、もういいんだよ。正解も間違いもないんだ。ただ決めてきたことなんだ。その道を幸せに進んだらいいんだよ。みんながそうであればそれでいいんだ。
 
(もっといろんなことを言ってくれたのですが、省略しています)
 
この父の(と思っています)答えを聞いているうちに「そうだ~、3人で計画してきたことなんだ。誰を責めることでもないんだ。私は私の道の中で、いろんなことを学んで幸せに近づけばいい」とすごくすごくホッとして、体中の力が抜けたような感じになりました。
 
そこからしばらくピンクの紙に感謝の言葉を書いていましたが、それもそのうちにでてこなくなり、ただぼ~っと「これで良かったんだ~」にひたり今回の内観が終わりました。
 
要所要所に面接での導きがあり、今回もゴミ出しができました。
生まれてきた意味のようなことにも実感として触れ、すごく気持ちがよかったです。
小野先生をはじめスタッフの皆さん、あの場に導いてくださったすべての存在にありがとうございます。
 
NO.157
今回は母親に対して内観をさせて頂きました。
前回父親を内観して突き抜けた実感が有り、今回もあわよくば?達成したいと思っていました。
前日に父の古稀のお祝いで家族全員集合していました。その席で母から僕に「将来どうしたいのか?」と、再三質問が有ったのですが、はぐらかしていました。
 
実は、僕は将来地元を離れて開業したいと思っていたのですが、それを言うと母が傷つくと思ってなかなか切り出せずにいたのです。その時、兄が気を利かせて僕の考えを言ってくれ「そうしたいんやろ?」と聞いてくれました。「できたらそうしたい。」と答えたのですが、案の定母は涙ぐんでしまい、気まずい雰囲気になってしまいました。
 
そういうことがあったので、母に対する内観ではすごくたくさんごみが出るのでは?と期待と不安を抱えたまま、ごみがあふれ出しそうな予感を感じつつ内観を始めました。
 
実際にやり始めると最初は「すきなようにさせてくれ!」「干渉するな」などの言葉が次々に出てくるのですが、1時間から1時間半程度で言葉が無くなって行きました。
 
その後、何度か面談して頂きアドバイスをもらい、その直後はスラスラ出るのですが、30分もすると眠気が襲ってきて紙の上にミミズがはってしまう有り様でした。
 
なかなか、大ボス?への糸口がつかめずに悶々としていたとき、小池さんが声をかけて下さり、
心のフタを開けるヒーリング?(ホロトロピックブレスワークに似ていると思ったのですが、どうですか?)をして下さいました。
 
特にはっきりとしたヴィジョンや言葉は浮かばなかったのですが、胸が詰まったようになり、次第に心臓を片手でわしづかみにされているような感じになりました。その感覚が続いているまま、内観を再開して1時間ほどでしょうか、
 
これはもしかして日常の常識からは想像できないところからの感覚(もう一つの世界といったら良いでしょうか?)なのかなと思うようになり、即座に僕が生まれる前、母が一度流産していることを思い出しました。
 
また、母の兄弟が若くして数人亡くなっていることも思い出し、もしかして母はこれらの事から、その人たちへの期待を僕や兄弟に賭けているのではないかと感じたのです。
 
そこから、僕は僕だ。自分は他の誰でもなく自分なんだ!と気付くことができました。言葉にしてしまえば当たり前のことなのですが、自分にとっては何故かとても心にしみる言葉が次々にあふれて来ました。
 
自分は自分でいいんだ、無理しなくていいんだ
人にあわせなくていいんだ
人の顔色を見て生きるのはやめにします
自分は自分で自由、勝手にあなたのせいにしてごめんなさい
などの言葉がどんどんでてきました。
 
その時、感じるがままに書いた詩があるので、紹介して今回の感想を終わりたいと思います。
すべての人たち、すべての物に感謝をします。ありがとうございます。
 
まぶしすぎるあなたの愛におびえていました
その愛にむくいるために何をすれば良いのかわかりませんでした。
 
それで逃げたりなやんだり、いっぱい心配かけました
でも今は正々堂々、体いっぱいその愛をうけとります
そしてその愛を栄養にして、大きな樹になって枝を精一杯にのばします
そしてあなたの望んだようにその樹の下にたくさんの人を集めて
雨や風をしのぐ一本の大きな大きな樹になります
 
NO.156
今回も母についての内観でした。
暫く前から母は体を悪くし、自分ひとりではどこへも出掛けられない状態になっており、そんな母を見て、いろいろ助けてあげなくてはと以前は優しい気分になれたのですが、なんだかこの頃では、一緒にいると物凄くイライラとするようになり、そんな自分も凄く嫌で、ゴミを出したい!早く内観したい!と、待ちに待った内観でした。
 
最初の面接では、
”辛くてもそれを思い続けてみる。そして、やらなきゃいけない事は、結果がどうかではなく、目の前の大きなゴミをひたすら消していく事ですよ”というアドバイスをいただき、今日は絶対妥協せず、最後までとことん自分と向き合ってやる!と気がひきしまりました。
 
ヒーリングもしていただいた効果もあってか、とにかく今までなかったほど、たくさんのゴミが出てきました。
また、白い紙は一杯になるものの、ピンクの方に書く事が全く出てこないので、面接の時、少し違うスタイルのやり方もアドバイスいただき、感謝が一杯になったらピンクの紙に書くというのではなく、何か肯定的な事が浮かんだらそれを書いていくことにしました。
そして、それに対してマイナスな事が出てきたらまた白い方、またその反対も。とにかく交互に書き出していると、またまたたくさんでてきました。
内容は、母に束縛されているとか、離れたい、ほかっておいてほしいというような事が延々と出てきました。
 
内観2日目、前日のペースで書き出しを続けました。
午後、面接の時、とても小さな事なんですが、母の顔を思い出す度に思い起こされる不快な場面があり、そのことをお話しました。
”そう感じる根っこの部分は実はちっちゃなもので、それに幻想でいろんなものがくっついていって、ボタンを掛け違えていったような状態になってしまっただけかもしれませんよ。”
そんなお話をしてくださり、自分でも、確かに被害妄想的なところがあったかもしれないと思いました。
 
まだ感謝には至りませんでしたが、最後に少しだけ、母と顔を合わせていて自然な心の状態でいられた時の感覚を思い出し、またあんな風に話ができたらいいな。という気持ちが湧いてきました。
 
小野先生が内観終了後に言ってらしたように、この後、日々の生活の中、また新たなゴミを増やして、一からやり直しにならないよう、日々ありがとうございますでいきたいと思います。
 
最後になりましたが、面接の時、本当に親身になってアドバイスをいただきありがとうございました。
また、いつも ”大丈夫!” ”その調子で!” ”行けますよ!”と激励していただいたお陰で、その度にパワーをいただけ、2日間を過ごさせていただくことができました。
本当に、本当にありがとうございました。
 
NO.155
関西での2日間、本当にお世話になりました。
 
前回の内観で、父のゴミを書き出したのですが、父のそばにいるだけで、そわそわした落ち着かない気持ちというのがかなり軽減していました。
 
でも何か、まだ感謝の紙に書き出せない自分がいて、今回も父の内観をしたのですが、もう消えてしまったと思っていた「父に拒絶された、邪険にあつかわれた」というゴミはまだ出し切れていなかったのだと、あらためて気づきました。
 
前回の時は、怒りの気持ちがたくさん出てきましたが、今回はすがるような気持ちや、かなしい気持ちで
「私を追い出さんといて」「のけ者にせんといて」「わたし、そんなに邪魔なん?」「なんで私だけ一人ぼっちなん?」「かなしいよう、かなしいよう」ってひたすら書き出していました。
 
しばらく、ぼっ-としていたら「お父さんは 父親 だったんだ」という言葉が浮かんできました。
そういえば、海に連れて行ってくれたりして子供達を楽しませようとしてくれる、そういう父親としての気持ちが、父の中にもあったんだ。 そう思って胸がじ~んと熱くなりました。
まだ本当の、心の底からの感謝の気持ちには至ってない感じなんですが、やっとそう書けたのは私の中で大きな進歩だったと思います。
 
2日目に、面接で小池さんに母のことを聞かれて、表面意識で反発してきた父よりも実は母との関係のほうが溝が深いのかもしれない、という事が浮き彫りになりました。
 
普段、母とは楽しく会話をしたりして仲がいいのですが、本音をぶつけた事がなくて、どこか気を使いあって、親子というより嫁と姑みたいな関係でした。
母のゴミを書き出そうとするのですが、途中から現実逃避するかのように眠くなってしまったり、何にも言葉がでなくなったりして、小池さんに「無理に書き出そうとしなくてもいいから、今のその感じを感じてみて」とアドバイスされ、うつうつとした感じを感じながら
2日目の内観が終りました。
 
とてもゆっくりとかもしれませんが、自分なりのぺ-スで前に進めたと思います。
内観をして、改めて、普段自分の心を見つめることから逃避しているなあ、自分の気持ちを大切にしてないなあって、感じました。
 
あのような場に参加させていただいて、自分一人ではできない事に向かわせてもらったと思います。
小野先生、面接してくださった小池さん、事務局の方々、本当にありがとうございました。
 
P.S 
小野先生、内観の時、ヒ-リングしていただいて、ありがとうございました。
何か水の中に浮かんでるような感じがして、とても気持ち良かったです。
胸に手を当てて頂いている時、「こんな自分なのに、それでも許されているんだ~」っていうような感謝の気持ちでいっぱいになって、涙がとまりませんでした。
その後、しばらくしてまたうつうつ感がでてきたのだけど、あの時、あの瞬間の私は、ミナモトの光をかい間見たのかもしれないと思います。
 
NO.154
先日の個人内観ですが、お世話になりました。
あのあとしばらくは放心状態に浸りたかったのですが
その暇もなく昨日祖母が亡くなりました。
まるで私の内観を待っていてくれていたかのようでした。
 
以前は「こうるさい」とか「けち」とかいつも祖母のことを悪く思っていたのですが
生前祖母の愛していた部屋でぼーっと座っていると一番目のつく場所に私と私の子供の写真が沢山飾ってくれてあるのが目について思わず祖母への思いがあふれ内観を受けていなかったらこの思いは決してなかったな。と深く深く感じ入ってはありがとうと感謝がとまりませんでした。
 
きっと祖母も安心してくれたと思います。
私と母がよりよい関係が結べるようになったことに。
「おつかれさま」
「ありがとう」
と祖母に伝えたときなんか生きているかのように微笑んでくれたような感じでした。
 
NO.153
内観2日目は「自分」に対して行いました。
気がつけば、誰か(自分?)との対話のようになっていました。
最近、独り暮らしの気楽さと同時に「寂しさ」を感じることが多く、「そこから入っていったら」という面接の宮尾さんからのアドバイスを頂きました。
 
「寂しい 寂しい…」と書いていたら「虚しい 虚しい」という気持ちが出てきました。
 
何となく‘何で寂しくて虚しいの?’と問い掛けてみると、
「ほんとの自分に会いたい」
「人と仲良くしたいけど、人が怖い」
「怖いけど人とつながりたい」
という返事?が返ってきました。
 
そして、「光の輪 光の輪」「光の輪を作ること」
という言葉が、何故か出てきて、ここから自分でも思いもよらない展開になってしまいました。
(人とつながること=光の輪ってことでしょうか?)
 
宮尾さんには、
「それがあなたの本質じゃない?」「いい感じで進んでるよ」と後押しして頂き、さらに書き進めてゆくと…。
 
「書くこと」 (自分の好きなことをして人とつながるという意味?)
「伝えること」
 
‘何を?’
「自分の思いじゃない」「自分のことじゃない」
‘でもどうしても自分が入ってしまうよね’
「空っぽであること」「ゆだねること」
‘そのためには?’
「謙虚であること」「自分を出さないこと」「匿名であること」
‘で、何を伝えるの?’
(それぞれの字を分解すると)「人に云う」「人に可と」
 
…??? 正直なところ自分はおかしくなったかと思いました。と同時にもしかしてこれはすごいかも?とも思いました。
 
その時、
「それが自意識」「自意識を明け渡すこと」
という言葉が…、
 
‘じゃあ私の自意識を消してください’
そして、急に気だるさに襲われ…。
 
そのあと、私は時々‘自分は人よりスゴイ!!!’という過剰なまでの自意識に悩まされていることを思い出しました。
それは、例えば
‘自分は人よりかしこい、きれい、なんでもできる’などなどの根拠のない思い込みの数々…。(お恥ずかしい)
 
‘人が怖い’‘人よりスゴイ’
相反する思いが自分を人から遠ざけていたのかも知れないと感じました。
 
それは‘誉められたいから’そして、自分の中では、誉められること=愛情をもらえる、ということで、すべては「愛情が欲しいから」
だったことに気づき…。
(例えば、恋愛していても相手の男の人より一段上をいっていたいという気持ちが常にあったなあ、それって逆効果だったような?)
 
そして、ひたすら自意識のゴミだしを続けました。
 
最後に出てきたのは、
「自分というのは愛情そのものなんだよ」
「自分を出すことは愛情を出すことなんだよ」
という言葉でした。
自分でもこの展開に少々戸惑いがありましたが、冷静に受けとめて頂いた宮尾さんありがとうございました。
 
NO.152
今回は父に対する3回目の内観でした。
いるかいないかわからない、存在感のない父。複雑な家庭環境からくる自殺願望、自己憐憫などなど…。「情けない」父のイメージ。
 
でも本当は、「もっと安心していたかった」「大きな愛情に包まれていたかった」「素直に甘えてみたかった」そんな気持ちがどんどん出てきました。
 
そして、父はああいう風でしか在り得なかったんだという諦めと同時に、父の在りのままを認めてしまうと、自分の気持ちの持って行き場がないという苛立ち。「ばか!」という激しい言葉が出てきました。
面接して頂いた宮尾さんから「バカ!バカ!バカ!と300枚くらい書くつもりで」とアドバイスを頂きひたすら「バカ!」と書
き続けました。
 
そのうち、ふいに結婚式での出来事を思い出しました。
教会式だったのでバージンロードの途中まで父と歩くのが一般的だったようなのですが、
「そんなの気持ち悪くてできないよ!」「あの人だって迷惑なはず」と最初から(今となっては、元)夫と腕を組んでの入場にしても
らいました。
 
でも、あの時、父親は心のどこかで寂しいと思ったに違いないと何故か感じたのです。
勝手に、「父親とは所詮こういう人なんだから!」と決めつけ、バカにし、自分から拒否していたことに気づきました。
 
その時に、「ごめんなさい ごめんなさい」という言葉と同時に涙がぼろぼろ溢れてきました。
 
そして、「もしそんなチャンスがあったら、今度こそ一緒に歩いて欲しい」という気持ちまで出てきて、今度は驚いてしまいました。
 
ほんとは父親が好きだったのです。
 
宮尾さんに「終わったね」と喜んで頂き、その後は父親のゴミ出しにもなるし、徳積みにもなるということで、ひたすら、「ありがとうございます」を書き続けました。
 
その間は、こんなに満ち足りた時間はないというほど充実した時間でした。そして、書いてる最中いろいろと感じることもありました。
 
何回書いたとしても、同じように見えて一字たりとも同じようには書けないし、同様に、毎日同じことの繰り返しでも一日たりとも同
じ日はないし、毎瞬毎瞬が神さまからのプレゼントなんだなあと…。
 
内観に出会えたこと、感謝しています。
お導き頂いた小野先生、サポートして頂いたスタッフの方、本当にありがとうございました。
 
NO.151
先日の2日間お世話になり、ありがとうございました。
前回は自分のトラウマのゴミ出しをしたので、今回は父のゴミ出しをしようと思い、家を出発しました。
 
内観の日が近くなるにつれ、父と私との距離は遠くなっていきました。
父と距離をとらないと自分が保てなかったのです。
父が、私の楽器や電化製品(ビデオ)を無断で質屋に持って行くという事が起こりました。かれこれ計3回ぐらいあったので、自然と冷たい言葉が口を出ました。
冷たい怒りでした。
生活費が足らないのなら納得できても、ギャンブルで消えていくのはなぁ・・。
 
そんなことがあったので、内観1日目は父についてドバドバ書けました。
ギャンブル、タバコ、咳、鼻すすり、胃薬に依存、批判、押し付け、質屋などバラエティに富んだ内容が次々に出てきました!
 
何回か面接をしていただき、アドバイスをもらって更に書いていきました。
 
どんどん書いていくうちに、「あれっ?これ私も当てはまるわ・・んぶっ(笑)」というおもしろいところで1日目を終えました。もうスタミナ切れで続行できませんでした。
 
そして2日目。
最初は父の続きをしようと思ったのですが、やはり自分の事が気になり、自分のゴミ出しになりました。
 
咳、鼻すすりが気になる。
前からのトラウマがようやく出た気がします。
そして驚いたのが、わずらわしい。めんどくさい。人間に生まれたくなかった。というゴミでした。
いくら書いてもなくならい気がするぐらいたくさん出てきました。
そして、ネガティブいらん。すてる。とかが出てきました。
書いても書いてもまだある、という感じでした。
 
それを続けているうちに、なんだかよくわからなくなった時、丁度いいタイミングで面接になりました。
 
そして、父のゴミ出しに戻りました。
批判なんて聞きたくない。というのがたくさん出てきました。
そこで今回の内観はタイムア~ウト!
 
トンネルから突破はできませんでしたが、兆しは見えてきたような気がします。
次の内観、突破を目指すぞ~~~!!!!
 
面接の際、親身に話を聞いて下さり、色々ピントがずれていたのを軌道修正していただき、ありがとうございました。
ヒーリング、とても温かく、疲れがほぐれました。ありがとうございます。内観スタッフの皆様、2日間ありがとうございました。
 

NO.150
初内観から2日たち、現在なにか変化が?と言えば 「ん~?」 とくにこれといって無いのですが・・しいて言えば多少穏やか、というかボーッとしてると言うか・・
 
んーそれより最近ボケが出てると言うか記憶障害と言うか、済んだことはあんましよく憶えてないんですよね?
たまに仕事にも影響が出たりして・・ まあ大事な事はなんとか憶えてるのでなんちゅう事は無いのですけど、ひょっとしたら、実は・・どえらい変化してたりして? ひゃっひゃっひゃ!てな感じなんですが がんばって振り返ると・・・
 
今回、期待半分、不安半分(ワクワクとドキドキ)で望んだ内観でしたが、先生をはじめスタッフの方々のサポートもあり(見えないサポートも?)実際に上手く言ってるのかどうかは疑問なんですが(自分では良く判らない)、思った以上に書き出しが出来てちょっとビックリ!でした 
 
私の場合、それほど両親に対して否定的な感情を持ってない為、いえ全然無いわけではなく、否定的な感情もちゃんと持ってますし、同じ位感謝も感じてますが、あまり関心が無いというのが本音であまりに両親に対して関心が無いため、自分で気付いてない何か大きなものが在るのだろうかと思っての参加でした
 
まず母親に関して、腕が痛くなるほど書きまくった結果、かなりすっきりした様に思いますが 想像外のものは出てきませんでした
 
初めは、怒りに関することから悔しさ、悲しみ、苦しみの順に出てきて終わり頃には出てくるのは、いいことばっかし。でも何か全然物足らない感じで、父親もやってみた後次の何か見えるのカナと思ったりして・・
それより、私には内観の作業自体がなんかとてもおもしろくてもっともっとやりたい感じでした。(思わず片っ端から参加しようかなと思ったりして)
 
最も感動したのは、スタッフの方たちが面接で最も必要な時期に最も適切なアドバイスをしていただけた事です。
まさか計算してやってる訳では無いでしょうけど、「すごいな~~~」と思ってしまいました。
本当にありがとうございました。
 
どうやら私はかなり自分勝手な人間なのか?私自身の両親との関係を良くしたいとか、人間関係を改善したいとかにはあまり興味無いみたいです。2日間で私が最も興味を持ったのは、これほど集中出来るのにはどういう作用が働いてるのだろうか?
 
内観をしながら、幼児虐待をする母親が受けると良いだろうなと思いながら
「今の自分には関係ないだろうがぁー」とつっこみ入れたり、そして宴会の時に先生が「ゴミを全部出したらいろんな事が自然に解かる」様な事をおっしゃってた時「それさえ解かればもうこの世から消えても良いんだけどな~」などと思わず思ってました。
 
もしかしたら、本当は私は病気を治したいのではなく、治す方法とか仕組みが知りたいだけなのかも・・・?
こんなんで良いのでしょうか? 良いような?何かが違うような?そんなことをふと思う今日この頃・・です
やっぱり、なにかおかしいですよねぇ もっと現実に目を向けねば ネバネバ
えー 先生、スタッフの皆さんお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
 
NO.149
先日は、大変お世話になりました。とても、意味のある1日になりました。
 
2日経ちましたが、体の状態は、昨日、日曜日はほとんど放心状態・・というのか、脱力感があり、今日も 少しですがまだそんな感じです。出来るなら、1日布団の中に居たいといったところです。(調子が悪い という意味ではありません)
 
帰ってきてから感じた事ですが、とても いい感じです。
先生に「帰ったら、罪悪感は もっとなくなってるよ」と言って頂きましたが、昨日はすごくそんな感じでした。
 
一から歩いて行こうかな・・と いう気が 湧いてきました。
やり直したい、間に合うかなぁ(体が不調だったもので)と思いました。
 
先生が電話で(内観前に、先日お話しした時です)
「(受け入れたとき?!)その時が来たら、今までの悪かった日々はいったいなんだったんだろう!と、なる 」と 話して頂きましたが、その感じも、分かるのです。
 
それくらい、心が軽く・・軽くなんてものではありません、
すごくすごく、暗く重くしんどい、自分で持ってるのがやっとの心が、今、もう忘れていた心を感じることが出来ます。
 
内観を終えて帰宅してからの2日間の間で体のどこかが痛くなったり、胃がムカムカしたりとあったとき、もちろん怖くなりました。
でも、「これが、普通の人のパニック障害くらいの症状かな」と恐怖に対して思いました。
 
「これを治していけばいいのか・・良くなってくるわ」と落ち込んで恐怖の中、そう思いました。
家の中に閉じこもらずに、活動的に過ごしてたら治ってくるのではとも思えました。
 
人の事でくよくよ悩んだり、いろんなもろもろのこと、快復の方向に行く気がします。
すごく、すごく、うれしいです。
 
気力も、全くここ6年間、まったくありませんでした。
もう、買い物も 食事を作るのも 遊びに行くのも、本当にしんどかったです。もう、全部です。
息も苦しく、何度も泣きました。
 
それに加え、私の母親ですが、社交的て明るく楽しく、料理も上手で いつも人に慕われている母で(感謝しています)、その環境で育った私は、そう出来ないこと、それどころか 何も出来ないでしまっているという苦しみも相当なものでした。
 
でも、気力って体の中から、足や手や胸や全身で湧いてきて感じるものなのですね。
今まで、がんばろうとか やる気とか・・ですが 湧いてきたこと、何度かありました。
でも、今回感じているものは違います。
 
本当に今回、参加できて良かったです。
全部良くなるには、少し時間はかかるかもしれませんがとても、いいものを感じます。
 
感謝の言葉を伝えても 伝えきれません。
本当に、本当に ありがとうございました。
ここまで導いていただいて心より感謝致します。
スタッフの皆様にもよろしくお伝えください。
ありがとうございました。
 
NO.148
二日間お世話になりました。ありがとうございました。
 
内観を終えての感想ですが、まず初日の午前中は、母に対し「あんなところが嫌だった こんなところが許せなかった」と普段の生活でちょこちょこと出ていたことを書いていました。それが午後になって、憎しみや強い嫌悪感が出てきました。帰りは頭痛と吐き気にみまわれ、やっとうちに帰りました。
 
二日目は「昨日、具合が悪くなるくらいゴミが出たから、今日はどうかな?」と机にむかいました。
色々思い出しているうちに、後ろの席の方のペンを走らせる音が、怒りに満ちて聞こえてきました。するとそれが伝染したかのように私も怒りの感情がどんどん湧いて、まるで罵声をあびせかけるような内容を乱暴ににペンを走らせ書いていました。
 
前日よりもさらに強い嫌悪感でいっぱいになり、母に対してひどい言葉を書いていました。その間は胸が詰まるような苦しさがありました。
 
小野先生に面接をしていただいたあと、急に母がかわいそうになりました。のどに何か詰まらせたようになり、先生にそのことを言うと「書けば治るよ」といわれ、黄色い紙に書き始めると涙がとまりませんでした。
 
その涙は前日に流したものとは違う涙だったように思います。
流れる涙でつかえた物が小さくなって、無くなっていくような、そんな感じがしました。ピンクの紙にはもっと書くことあるような気がしていながら時間が来てしまいました。
 
書けなかった「ありがとう」は日々の暮らしの中で母に伝えていこうと思います。
スタッフの皆様 ありがとうございました。
そしてこの内観に導いてくれた「何か」に感謝しています。
 
NO.147
内観参加させていただきありがとうございました。
私の育った家はゴミだらけでした。
祖母と母はうまくいっておらず、間に入れる父は最初から逃げてました。
祖母は母の悪口を私に聞かせ、母は祖母や父への不平を私に聞かせ、父はほとんど家庭から逃げていました。
父は家に居場所がなく家を出て消息を絶ってしまったり、結局うつ病とアルコール中毒になって亡くなる数年前に家に戻ってきました。
 
療養しているというより自滅して死に突き進んで行っているのです。
私は直視することができませんでした。父親だから尚更認められなかったのです。
その姿はみっともなくて汚くて、ものすごい目で世の中をみていました。
私は自分の存在をずっと否定していました。
 
無感情になり、平気だと装ってその家庭で生きて来ました。
なぜ私はこの世に生まれたのか本当に分からなかったのです。
父は破壊的なエネルギーを持っていました。他人に向かって行くのではなく自分自身を破壊して行くとてもネガティブなエネルギーです。
 
私自身にそれがあるのをもの心ついた時には感じていました。
でもそれを認めることは絶対に出来ないしそれは私にとって恐怖でした。
ずっと蓋をしてきたのです。
私が結婚し出産した数ヵ月後父は亡くなりました。誰にも見取られず病院で一人で亡くなってしまいました。
ショックでした。いったい何のために父は生まれてそして死んでしまったのか。
誰一人父を本当に理解している人はいませんでした。
 
子育てをしてきて娘が成長してくると同じエネルギーを感じました。
自分には蓋をしてきたけど、娘自体を否定できないししてはいけない。
どうすればいいかと思っているとき内観を知りました。
怖いけどやってみたい、そんな気持ちで申し込みました。
 
父に対して「逃げるな」、とか、「向き合え、私を認めて」、などという気持ちが沸いてきました。
同時に私も父から逃げ、向き合わず、認めてなかったことがわかり、そうしてあげたかったという気持ちも出てきました。
私は自分の存在を親に認めてほしかったのです。
ただ甘えたい、抱っこされたい、感謝されたい、そうしたら私が存在することが許されるからです。
でも父親が父自身の存在を否定し、自滅していなくなってしまったので、尚更私は自分の存在を許せない。
どちらの気持ちも癒えない。
 
私の根っこは父と繋がっています。
父も彼のゴミ(ネガティブな根)に向き合い、私も向き合い、小野先生に浄化していただきました。
蓋を開けても怖いものは出てきませんでした。
そして安心が少しずつ体に広がっていきました。
 
私が怖い、見たくないと蓋をしていたものは私自身が膨らまして大きくしてしまったのかもしれません。
父がそういう生き方をし、そのエネルギーを背負ったことで私のゴミは減った。それがあるから蓋をして見ないように出来た、父が背負ってくれなかったら私もそのゴミにつぶされていたかも。と先生に教えていただいた時にすべて理解できました。
 
父の存在にもきちんと意味があった事、その存在に自分が守られていたこと、父なりに愛してくれていたんだと。それを理解するのは彼と姿も考え方も似ている私の役目だと。
 
感謝しかありませんでした。私がそれをわかったことで亡くなった後ですが親孝行できたと思っています。父も自分の存在した意味を受け入れ喜んでいるのが分かりました。同時に私もこの世に存在していいんだとこの上ない安心感で満ちていきました。
 
余談ですが、内観終了までまだ半日ありましたが、私はどうしてもこのことを母に伝えたくて実家に向かいました。よくは母「あの人は何のために生きてたんやろ・・・理解してくれる人もいなかったし。」と人間として同情していました。
 
私が感じたことをそのまま母に伝えるとと「あんたが理解したことでお父さんも喜んでるやろうな。人間としてあの人には同情するけど、自分が受けてきた仕打ちや裏切りや屈辱を思い出したくないし向き合う勇気もないから私は蓋したままだし、やっぱり許すことは出来ない。」といっていました。
 
そのゴミを消したいと思うのも本人ですから私はそれ以上何も言えませんでした。誰が悪かったなんてことはないのです。母がいつかそのゴミを出してくれる事を願っています。私がこの内観で、私自身の存在を肯定できるという一番根本的な部分の安堵を得ました。ありがとうございました。
 
NO.146
昨年末あたりから心の重要性を思い知りました。
何よりも大事なのは、心にいろいろ与えることも大切ですが、心のごみや垢をそのままにしておいていくら頑張ってみても、落とさなければ意味がないという気づきがありました。
 
内観は、それを実現してくださいました。まだまだ、落としきれてはおりませんが、悪口を言わないようにしたり、いつも前向きな言葉をアファーメーションしたり、周りの人を幸せな気分にさせる言葉をかけたりとこつこつと幸せなこころを身に着けていきたいと思います。
 
15日の内観が終わってから結構良い展開が起こったり感謝した気分が沸いてきます。
いろいろとありがたい日々を送れるようになって内観を受けてよかったと思う次第です。
ありがとうございました。
 
NO.145
先日は大変お世話になりました。あっという間の1日でした。
前回の群馬での内観が母について始めた所で時間切れだったので、その後から今回の内観までの 間その事については何も触れず考えず、今回は『続き』という感じで挑んだわけですが、1日だけでしたが想像以上に効果があったのでは、というかゴミ出し が出来たのではないか、と思っています。
 
母についてのゴミ出しをしたのですが、今回の東京の会場が私の出生地で、まさに母が私を産んだ土地(今はそこにはおりません)だったので、懐かしさや哀 愁の想いが湧いてきて、そういった小さな偶然から、『1日だけどしっかりゴミ出しするぞ!』という気持ちで始める事が出来たわけですが、
子供に戻ったかのような感覚で怒りと悲しみを紙にぶちまけ続け号泣していたのですが、わりと早い段階でその涙が許しの涙というか感謝の涙というか、そういう涙に質が変化していったので、『時間的にまだ早いんじゃないかな?』とどこかで考えてる自分がいたのですが、先生方のアドバイスや丹田調整をしていただいた時に気の流れがスムーズになるのが実感できたのでゴミ出し効果が早かったんだと確信しております。
親身になっていただき感謝しております。ありがとうございました。 
 
そして内観後すぐは、ボ~~っとなっていたのですが、数時間後『目覚め』のような感覚があってやけにすっきりしている自分がいました。
 
そしてその数日後海外出張があったのですが、今までかなりの飛行機嫌いで(乗る事は多かったのですが)毎回毎回フライトの度に『恐い』と思ってしまって 少しでも揺れると心臓がドキドキするほどの恐怖心につきまとわれていたのですが、今回はそういう感覚がまったくなくて、リラックスした楽しいフライトを 経験する事が出来ました。怖がってた自分を思い出してそうなろうとしてみたりもしたのですが『何であんなに恐かったんだろう?』としか思えなくなってい て、帰りも同様でした。
 
もちろん母との関係は『本来の姿に戻っている』という感覚があって、私が子供の時から引きずっているように見えた母のイヤな面や不満は消えました。もし も私が母を深く憎んだりしたとしても母は私の事をただ深く愛し続けるだけなんだろうなぁ~ということがわかりました。感謝という言葉と愛という言葉がぐるぐる回っている感じです。 本当にスタッフのみなさまどうもありがとうございました&ご苦労様でした。
 
NO.144
また一段とゴミ出し?があったので書かせてもらいます。 実は主人と離婚も視野に入れての大喧嘩がありました。事の始まりは主人のギャンブルです。額はそんなに多くないものの、生活費から黙って持ち出したり子供名義の預金から引き出したり…といったものでした。
 
以前はこんな事があると鬼のように罵倒し怒っていたのですが、今回は怒りというより、「来た、来た!」という感じで口で怒りながら、心で゛ありがとうございます。を唱えてました。
 
こんなんで離婚を口にしていいのでしょうか~ とたずねながらも、心に浮かんで来るのは、腹を据えて出せ~という思いです。そうか、何でもありだ!と思い話あっていくと、出て来ました。質屋の札が…。私が良かれと思い、してきた事のつけが相手をこんなにも追い詰めていたのかと思うと、唖然としました。
 
結局は今まで何がお互いつらかったのかを話し合い、元の生活に戻りました。主人は隠し事がなくなって、ホッとしたと言ってました。私はひどい事を言ったりもしましたが、初めて主人の事を受けいれたような気がしました。何か変なのですが、このくらいで良かった!免除された~と思い、この揉めごとが出てきてくれて感謝です。ありがとうございます。
 
小野先生、暮れの内観がなかったらこのゴミ出しは乗り越えられなかったと思います。ありがとうございます。報告したくなりお便りさせてもらいました。 今後ともよろしくお願いします。
 
NO.143
今度は何が出るんだろうと全く予想もできないまま参加いたしました。
 
最初は顕在意識が邪魔をして、頭で分析して書いている詰まっている感じでした。
でも、途中の面接でアドバイスをしていただいてからどんどん出てきてびっくりしました。
自分で今までの内観でも出したくなかったと思っていた部分が出たのです。
 
それが重くて、まだ残っているな、という感じがしましたが、それが出始めただけでも、良かったと思います。
ありがとうございました
 
NO.142
15日は本当にありがとうございました。
あの日から数日が経過しましたが、父に対してイライラすることがなくなり、以前より穏やかな気持ちで過ごしています。
 
内観をするにあたって私はまず父からだ!と決めて参加したのですが、最近は昔より父とも仲が良くなっているのでゴミは出にくいかも?と不安でもありました。やはり、すいすいゴミが出てくれる時とまったくなんにも出てこない時があり、その度に面接でアドバイスをいただいて「そっか~!」と目からウロコの連続でした。
 
父から焦点がずれてしまいそうな時も、なにも浮かばずにいた時も。当時は怒り爆発だったのに歳月とともに蓋をしてしまっていた事があり、思い出せてよかったなあ、ということを面接でお話しした時に「そのゴミは確実に消えたね!」と言っていただいて、同時にふっと気持ちが軽くなったのもとても嬉しかったです。
 
しかしまだピンクの紙にあまり進めないので、まだまだほんとは出てくるはず!
次回以降の課題ですね。
それでもこんなに心もちが違うことがとてもありがたいです。
 
実はもうすでに出てきたがっているゴミがありそうな感じなので、今は日々「ありがとうございます」を貯金するのみです。あとは「笑い」ですね!
 
そういえば、当日書き出す作業をしながら私は何度かどうにも眠くなって、居眠りしてしまったのですが、午前中に(この時間でもう寝ていた!)不思議な夢をみました。私は発掘現場の穴に入っていて上から二人の人がこちらをのぞいているのですが「もう時間だから仕方がない」といって二人はその穴のふたをゴトリ、と閉じてしまったのです。えええ~!?と私は思ったんですが、なぜかその穴は真っ暗ではなく下の方に太陽のような、マグマのような光がありました。
 
私はその光の方に堀り進んでいくんだなあと思ったとき身体がぽかぽか~とあったかくなって目が覚めました。穴に閉じ込められたのに
全く怖くなかったし、ぽかぽかなんて素敵!なんて勝手に思っていました。
 
後から考えると丹田を調整していただいたときのあったかさに似ていました。
あの光に届いたらじゃんじゃんピンクの紙に書けるはず!早く届きたいなあ。
 
スタッフの皆様、本当にありがとうございました。
また、是非参加させていただきたいです。その時にはよろしくお願いいたします!
 
NO.141
内観スタッフのみなさま心より御礼申し上げます。
前回に引き続き、たくさんの応援をいただき、本当にありがたく感謝しております。
 
内観初参加のときは、だいぶたくさんのゴミがでたのかなと思います。帰りの車中、自分では何一つ変わった気がしなかったのですが、家に戻り、家族に会って、自分の気持ちの大きな変化に驚きました。
それまでイライラしっぱなしだった子供に対してもまったく心がざわつかず、自分でも「おかしい!!?」と思うくらい穏やかで優しい気持ちでした。
今まで感じたことがないくらい子供を愛しく大切に思い、また今までの自分を振り返って、子供に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
そんな中、ここ1年くらい距離を感じていた娘(小3)が繰り返し繰り返し「ママ大好き」と抱きついてくるようになりました。それだけ今までの私の中にはすさんだものがあったのだと、あらためて反省しています。
 
でもその後、時間がたつにつれ、またむくむくと怒りの気持ちが湧いて出てきました。前ほど強いものではありませんが、一度ゴミが出たからといって「これでおしまい」というわけではないんですね。
 
まだまだゴミ出しが足りないということで、2回目の内観に臨みましたが、今回はまだ何かが残っているようなすっきりしない気持ちが1日続き、そのままタイムオーバーになってしまいました。
すっきりしない、その原因となっているものが何なのか、今後もじっくり見ていきたいと思います。母へのこだわりを解消することで、母としての自分が好きになっていけそうな気がしています(ほとんど確信です)。
 
また内観には参加させていただき、お力をお借りできれば幸いです。
よろしくお願いいたします。
 

NO.140
こんばんは。東京の○○です。
遅くなりましたが、暮れの内観の感想を。。。と思いお便りさせてもらいました。
その節はありがとうございました。
一日だけでしたが、私の中にある大きなゴミの存在に気がつく事ができました。
ありがとうございます。
 
私がずっと文句をつけていた正体はゴミに対してだったのですね。
ゴミに文句を言って、ゴミをゴミの上に上乗せして。。。。。
自分が正しい、人は間違っていると批判して。。。。
これの繰り返しをしている!そう気付いた時、本当に自分自身にあきれました。
 
自分の視野の狭さ、何でもわかっているつもりで、実は何にもわかってない自分が恥ずかしいです。
先生がおっしゃっていた「判断しない」と言う意味も全然わかっていませんでした。
 父の事、母の事、会社(仕事)の事。今もめている人間関係。
全部、私のエゴからきていました。
脱力でした。
 
内観をした翌日、改めて’それはお前に丁度いい の詩を読みました。
以前は(ふ~ん、丁度いいのか~。そうかもね。)なんて軽く読んでいましたが、今回は、(丁度いいなんて、もんじゃない。私の人生 いろんな神様に守られていて、まわりの人たちに助けられていてありがたすぎる。。。。もったいない。。。)と感じてしまいました。  いろいろな事に気付け、守られている事に感謝です。ありがとうございます。
 
その後まだまだゴミ出しがあるようで、このお正月もたくさん妙な夢をみました。
人を怒る夢。人に怒られ車に飛び込もうとする夢。そして、目が覚めると’ありがとうございます。を必死に唱えています。(笑)本当にありがとうございます。
 
NO.139
スタッフの皆様
先日の内観では大変おせわになりました。
 
今回の内観では「内なる光」にたどり着くことは適いませんでしたが、満たされた気持ちで帰途に着きました。
子供たちに対してイライラや怒りがまったく湧き上がらず、穏やかな気持ちでいられるのがとても不思議です。
帰宅後二日目の今日(28日)も、自分の中に子供たちに対する怒りの感情はみつかりませんでした。
 
これがずっと続くとよいのになあと願っているのが正直なところです。
また子供に対するイライラが消えたぶん、愛しさを大きく感じています。
そしてまたその分、自分が今までに受けた愛情や親切が実感できて感謝の気持ちが強く湧いてきます。
 
本当に今回内観に参加させていただいてよかったと思います。
本当にありがとうございました。
 
NO.138
私は、親のゴミ出しは何とか一段落着いており、最近では存在自体がありがたいな~と言う感じで過ごしています。
・・・ですが、なんとなく気になる存在の人(祖母)がいて、小野先生に相談してみたところ「いずれにしろ、ゴミなんて少ないほうがいいからやってみたら?」と言うことで、やってみることにしました。
 
祖母はもう80歳を過ぎていますが、とても強く、私たちに任せることをしてくれません。
子供や、孫たちが何かしてあげても、満足することが無く、文句ばかり言う人です。
 
最近、特に自分の両親のゴミが減ったせいか、周りの事が気になりだし、祖母の子供たち(私にとってはお父さんとその弟、妹)や
嫁姑関係にある私のお母さん、そして私の姉までもが祖母との関係の間で、とても苦しんでいるように思えてきました。
 
そして何より、私自身、両親が共働きでしたので、祖母と過ごした時間が多く、もしかしたら、親以上に、ゴミがあるかもしれないと思ったのです。
 
内観を始めてみると、とても苦戦しました。
なんとなく、私がやっているのではなく、○○家の人たちが、やってきて内観をしているみたいでした。
そして、今度は祖母自身が内観をしているかのように、祖母の思いが出てきました。
でも、そこで、祖母のゴミが見えてきたのでやりやすくなりました。
祖母自身も心の内に「わびしさ」、思い通りにいかない「無念さ」を抱えて80年間を生きてきて、とても苦しかったようなのです。
 
それから、自分もちょっとズレてきているのでは?と心配になり、何度か自ら、面接をしていただきながら進んでいきました。
宮尾さんに「自分のゴミを出しに来ているのだから自分の思いを書いてみて。」といわれ、それから、小さいころ、私の「思い」、「気持ち」を大切にしてくれなかったことを思い出して、心が痛んだことを思いきり書きました。
それから、手が止まらなくなり、うるさいほどに書き殴ってしまいました。
 
「心が痛い」・・・という言葉。
私は健康診断では何も異常は無いのですが、よく心臓がきゅ~う~と痛むことがあり、もしかしたら、このゴミが痛みを生んでいたのかな?と思いました。
 
今まで、祖母が○○家の爆弾!だと思っていましたが、祖母自身もゴミによって苦しみと共に生きているのだなと思ったら、祖母を責める気持ちが和らぎました。
そして、祖母のゴミは私のゴミであり、それに気づくことによって祖母と私の両方のゴミが処理されていったように思います。
 
心の中の潜在意識とは面白いものですね。
それは、自分以外にもみんなが持っていて、日常の生活の中では蓋をして姿を見せないし、見ても見ない振りをしてしまうもの。
「潜在意識のマイナスを処理していくこと。」なんて今まで考えないで内観をしてきましたが、少し考えざるを得ない内観になりました。
 
あともう一つ、一年半ほど前に亡くなった祖父が大変喜んでいるように感じています。
あちらの世界に行きたくても、祖母のことが心配で行けないようでしたが、内観の終わったあとは、ピンクや黄色や、オレンジの光に包まれて祖父がニコニコ顔で上に昇っていく感じがしました。
 
祖父は最後、トイレに一人で行けなくなり、祖母に憎まれ口を言われながら、世話をしてもらっていました。
祖母の相変わらずの強さに祖父も何も言えず、悔しかったんじゃないかな? もしかしたら、祖父は祖母を恨みながら死んでいったのかも?と思っていましたが、全くそんなことは無く、私の知っているやさしい、最後まで思いやりのある祖父が見えた気がしました。
 
先生が、「答えや結果を見たいと思わないで、もう書いていることが答えだから」「突き抜けることが目標じゃないし・・・」とおしゃったので、最後まで、ピンクと白い紙を行ったり来たりして書いていました。
あえて終わりにこだわらないで最後までやったので、出るものは出たと言う感じです。
 
今回の内観は、親のゴミだしとはまた違った感覚でした。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
みなさま本当にありがとうございました。
 
NO.137
先日の東京内観の後の、しみじみした感じ、その前の個人内観を受けた後の、高揚感を心の中で味わい続けるのは、気持ちのよいことなのですが、言葉にするのは、難しく、お便りが遅くなってしまいました。
 
私の祖母、母は助産婦で、自宅が兼助産所になっていました。出産して、入院している方がいつも数名いらっしゃいました。
母は、私と弟三人を育てながら、助産所を切り盛りしていました。
昔は、今と違って、紙おむつなどもありませんし、食事作り、洗濯、暖房など全てにおいて今と違って非常に手間がかかりましたので、母は朝から晩まで、家兼助産所を飛び回っておりました。
私も、自分が這い這いしている幼い頃から、オムツたたみを手伝っていたよという話が残るほど、物心付いた頃から、機転を働かせ、家事や助産所の仕事を手伝っていました。
 
父はまじめな人で、早く帰っては、子供たちを、お風呂に入れたり、寝かしつけたり、する人だったのですが、お酒が入ると、人が変わってしまい、私は母からそのぐちを聞かされ続けてきました。
 
我が家は、いつも時間に追われていて、家族そろっての団欒、ゆったりと会話を交わした思い出もあまりありません。
 
私は、期待されていた、医療関係の仕事にはつかず、結婚し、母も体調を崩して助産所をやめました。
その頃から、家出して、生死が分からぬ弟のことを心配した母からの電話が続きました。
母は心配のため、どんどん体調をこわし、私は弟のことも心配だけれど、母のことも心配で、母が悪い方に物事を考えない様にと努めて明るい声で電話を切ったあと、私自身は、胃が痛くて吐き気を催していました・・・
 
二度の内観では、母は何でも、私に相談し、私はそれを実際の内容以上にどんどん心配し、どうしたら母の心の重さが軽くなり、体調がよくなるか心配し続けてきたのに、母は私のことを何も知らないこと。
自己中心的なこと、自己反省がないこと、私も苦しい。がまんしない、あるがままの私でありたいこと甘えたい、抱っこしたい、など、どんどん言葉が出てきました。
 
群馬での個人内観では、ウチは親子で情愛のこもった会話など交わしたこともなく、楽しい思い出も少ないけれど、自分がこうして、満更でもない人生を送っていられるのは母(父)に、愛されたからに違いない。
親の悪いところはたくさん目につくものだけれど、「愛」というのは、目に見えない、気づき難いものかもしれない。と、感謝の気持ちが出てきたところで時間切れでした。
 
先日の集中内観では、午前中は不満もたくさん出ましたが、ペンが止まったところで面接して下さった宮尾さんが、自分は、内観で胎内に居た時までもどってしまった、とのお話に、私は、母のお腹で何を考えていたのかなぁと、考え続けました。そしたら、この様な言葉が浮かんできました。
 
あなたを選ばせていただいてありがとう。
あなたを手伝わせていただいてありがとう。
あなたによって成長させていただいてありがとう。
私はあなたを助けるため、それを選んで生まれてきました。
あなたもいろいろなものを背負い苦しかったのですね。
私を呼んだのですね。私は、あなたと歩むために生まれて来ました。
この、あなた以上にあなたを思える力を、他にも向けて生きて行きたい。
(今、読むと恥ずかしい言葉ですけれど)
 
そしてまた、内観をしているうちに、幼い頃、自分がおさえつけていた本能的感情・・・・甘えたい、抱っこしたい、いやなものはいや!etc・・・が、今の自分を生き難くしていることに気づきました。
 
わが子に対しても、泣いたり、わがままを言うことに対して非常に怒りを感じていた理由がわかりました。
これからは、うまく言えませんが、母に対しても、他の家族や友人に対してももっとバランス良く、自然に関って生きて行ける気がします。
 
NO.136
先月の内観は前回に続いて母に対して行いました。
会場へ行く前から、母の愚痴について書いていこうと決めていましたので、書き出しはとてもスムーズでした。
 
その母の愚痴に対しては「いつものパターンが始まったなぁ・・・」と思いながら聞いているのですが、午前中の面接で小野先生より
「そういった思いは許しになるので、感謝の紙に書けますよ」とアドバイスを頂き、「そうなのか!」と思い、書き出してみるけれど、なぜか続かない…。
「91歳になる母へこんな事を言ったら酷だよなぁ。私だって出来ないもの…」。
 
他に何かないかな? と意気込んで紙に向かえどやはり当初の勢いはでない…。
皆さんの感想に「筆が止まる」等書いてありますが、それはこういった感じなのかなぁ、なんて思ったりしていました。
 
自分では気付かずにだんだんと横道にそれていっているのを小野先生に指摘され、修正して頂きました。
そして「酷だよなぁ・・・」という自分といやな思いをした自分の両方を書くようにアドバイスを受けたら勢いが戻ってきました。
一番最後に出た言葉は「気を使いたくない」「のんびりしたい」とう言葉が出てきて自分でも驚きました。
そんなに母に対して気を使っていたかしら?書き続けていて思い出しました。
 
我が家の団欒の場は台所兼食堂にある掘りごたつで、です。
私はコタツの中に足を入れますが、膝の悪い母は専用の低い椅子に腰掛けます。
 
この高低差で私は首を上げていなければなりません。
目が悪く、思うように開かない私には、この高低差がとてもきつく、辛く、「早く(話が)終わらないかなぁ~」と思う事がたびたびありました。
 
何度も瞬きをして目をこする私を見て「具合が悪そうだからお風呂に入って早く寝たら?」と言ってくれた事がありました。その時、なぜか私は嬉しくなかったのです。
(罪悪感のようなものが出てきて)素直になぜ喜べないんだろう…とずっと気にかかっているうちに、内観後1週間がたちました。
 
そうしたらやっと気付きました。というか思い出しました、小さい頃、人から「親の言うことを良く聞く子だね♪」と言われていましたが
私にはそれが非常に「イヤ」だった事を!
 
今私は61歳。長い間私の人生目標となってしまっていた、自分を縛っていた「親の言う事を良く聞く子」の呪文を解きます!
今まで、お疲れ様! そして頑張って来てくれてありがとう、ありがとう、ありがとう。
 
そういえば、ヨガのインストラクターである私自身、50代の頃は60代になっても教えられるだろうか・・・と不安はあったけれど今はお陰さまで不安より、具体的にどうしたら思いを伝えられるかに焦点が合っています。
 
先日も発表会用にレッスン中の写真を撮りました。
私の目に力が出てきています!
我ながら顔もスッキリといい顔に撮れています!
(娘にもそう言ってもらえました!)
 
NO.135
内観は頑固な父の事をすると決めていたものの最初は何から書こうかと悩みました。
でもその悩み?も束の間で父への不満がどばどばとでてきました。
悲しみの涙と鼻水でティッシュの減りも早く、これまでずいぶん自分は我慢していたものだと思いました。
 
ノートに書きこむ言葉は「怒鳴るな」「怖い」「負けてたまるもんか!」などなど・・・
面接をしていただき丹田の調整もしていただきながら、どんどん書いているうちに母に対する父の態度が許せない!という私が出てきて「仕返し」とか「かたき」とか意識したことのない言葉が出てきました。
この言葉には自分でも驚きました。
 
あぁ、これが私を苦しめ父への反抗的な言葉につながっていたんだと思いました。
たくさんノートに書いた後にぴたっと書くことがなくなってしまいました。
「書くことがなくなりました。」と書きました。
面接をしていただき、そのことを伝えるとゴミが出たんだと思います。と言っていただきました。
 
最後にピンク色の紙には「お父さんありがとう」と一言だけ出てきました。
泣きたくなるような感謝の気持ちまではいきませんでしたが、父も私と話したいに違いない、私も父と話しがしたいと感じました。
帰り道はなぜだか体がふらふらして力が抜けたようでした。
 
実は東京駅で夕飯を食べている途中、急に父への感謝の気持ちがじわじわでてきて、カレーを食べながら涙がでてきました。
(カレーが辛かったわけではないのですが、こんなことってあるのでしょうか・・・)
 
自宅に帰ってから、父を「怖い」という気持ちはほとんどなくなりました。
張り詰めた気持ちもなくなりました。
胸の辺りが軽くなったような気さえします。
 
スタッフの皆様、私のゴミだし作業に時間を割いていただきまして本当にありがとうございました。
 
NO.134
スタッフのみな様、お世話になりました。
私は、母に対してのゴミ出しをしたのですが、最近体調が悪くなって辛そうにしている母を毎日見ているせいか、出てくる言葉は、”全て、母は私のために良かれと思ってやってくれていたんだ。”というような、まるで母をかばっているような言葉でした。
 
面接の時にも、”スッキリした気分になりましたか?”というような質問があり、その時は母の気持ちが理解できたような気がしていたのですが、でもそれは、頭でわかっているだけの事であって、本当の感謝とは違いました。
実は私はおっとりとした性格のせいか、子供の頃から、正反対のてきぱきとした性格の母にいつも世話を焼かれ、手や口を出されていたように感じていました。
 
そして、それをどこかで常に煩わしく思っていたようです。
でも、今回はそんな嫌な部分を素直にはきだせなくて、なぜか紙に向かっても書くのをためらってしまう自分がいました。
 
そんな気持ちと同時に、もう内観は何回目かになるのに、未だにつき抜ける事ができないということにあせりも感じていました。
(その時は”天にお任せする”ことを忘れてしまっていました)
最後の方でそのこともお話させていただいたのですが、”その部分(私の場合母に煩わしいと思ってる部分)を書いていかないと感謝にはたどり着けませんよ”という言葉をいただき、その後の残り少ない時間、”私のことはほかっておいて!干渉しないで!”とひたすら書き出しをしました。
 
その日はソコまでで時間になってしまいましたが、最後の面接の時に”どこを掘っていくか絞り込めただけでも、もう半分くらいいったようなものですよ”と言っていただいたことで、とても気が楽になり、希望が持てた気がしました。
 
面接の時、途中、なんだか自分が何を言いたいか解らなくなってしまい、話がどうどう巡りしてしまったみたいなところもありましたが、そんな時でも、親身になって話を聞いてくださり、軌道修整し、導いていただき本当にありがとうございました。
 
例えて言うなら、霧の中で迷ってオロオロとしている時、こっちだよと手を引いていただき、道に出たら「さあこの道を真っ直ぐ進んで行きなさい。」と言っていただいたといった感じです。
本当に本当にありがとうございました。
 
NO.133
先日は、内観でお世話になり、ありがとうございました。
 
あの日は、朝からとても落ち着いた気分でした。特に行きの新幹線の中では、心の中があたたかく満ち足りていました。きっと集中内観の皆様のおかげなんだろうなとふっと思いありがたかったです。
帰りは、行きとは違うなにか自分の中でピンとするものを持って帰ることとなりました。新幹線にのったら疲れているから寝ようと思っ
ていたのにぜんぜん眠れませんでした。
 
集中内観の感想ですが最初は、苦しかったです。感情が次から次へとあふれてくるからです。声をあげてわんわん泣きたい気分でした。しかし皆さんと一緒なので抑えなくては、という思いの間で自制することにエネルギーを使いました。
 
母について内観をさせていただきました。
わたしは、最初から終わりまでずーーと書き続けていました。我慢していた思いがたくさんあることに気づきました。父と楽しく仲良くしてほしい。いつも笑っていて欲しい。母の笑顔が見たい。そんな思いがとても強く 自分がそのときどんな思いを感じていたのかを何度も何度も紙にかきだしました。そのうちにだんだん自分から母へと意識が移ってきました。母の気持ちがわかるのです。
 
母も私と同じ一人の人間なんだなあ。ずるい時だって弱い時だって悲しい時だっていろいろあるんだなあ。それなのにいつもあきらめず私を産む決意をして育ててくれていたんだなあ。ありがたいなあ。お母さんありがとう。私今、ここにいることが出来てとても嬉しいです。といった思いが次から次へとあふれだしどんなこともありがとうにつながるおもいをたくさん書き出しました。
 
内観から戻って先日母と会ったとき最高の笑顔に久しぶりに出会えました。
その瞬間私の中で幸せな気持ちがぶわーーと広がるのを感じました。
そして今日、内観から1週間がたちました。私の中で内観へ参加して以来確実に変わったことがあります。
しかし言葉にするのが難しくて感想が遅くなりました。
なにかが生まれた感覚なのです。それは、そして私の中で育ちはじめているような感じです。”確信””いさぎよさ””覚悟”・・・
 
ネガティヴな感情が減ったわけではないですが思いに引きずられることは、少なくなりました。
そのたびに川を汚すまいと思っています。(笑)
そして内観で感じた自分の体験を大切にして人の役に立てる自分でありたいです。
 
皆様に暖かく寄り添ってもらい内観をし続けることが出来たと思います。
ありがとうございました。
 
NO.132
母との関係で良いことがありました。
先日、いつもメールで相談にのって頂いている方とお会いする機会があり、家族のことなどお話していたら、「○○さんは我儘なのよ、自分が望む形の愛を受け取ることが出来なかったから、ダダをこねているんです。他の人のことも考えてみて、片親だけ の子、施設で育てられた子今戦争の起きている国の子供。。。」と言われ、頭では理解できても心は「そんなこ とない、私はいつも我慢してきたのに・・・」と思っていました。
 
でも、その言葉が気になったので心に留めて生活をしていたら、ある時「やっぱり、我儘だったんだ!」と気付きました。
 
両親が不仲という事で家族関係が歪み私と母の関係が逆転してしまっ たりしたけど、確かに私は愛をたくさん受けてきました。理想の親という枠の中に自分の親をあてはめたくてもがいていたのかもしれません。その掃除機で吸い取るかのような「欲しい、欲し い」と叫ぶ心に気付いたら穏やかになれました。
 
自分では欲の無い方だと思っていたから、とてもびっくりしました。
あきれて思わず笑いが出てしまうほどでした。
しっかりした娘を演じていたのも、母の心を私のほうに繋ぎ止めたかったからだと思います。
等身大ではないので疲れ、不満に思っていたんだな、と思いました。
 
「もういらない」とは思えないのですが「もういいや」という気持ちです。お腹がいっぱいになった時の感覚と似ています。
 
最近、自転車との事故で母が捻挫してしまい何かと接する時間が多いのですが穏やかな気持ちで居られます。
6月の内観でたくさん不満を書く事が出来たので、自分の真実の心に気が付く事が出来たのだと思います。
 
思いがけずこんな気持ちになれてうれしかったのでご報告しました。
 
NO.131
なんだか、とてもありがたいな~という気持に包まれています。
内観ってすごいですね。
 
母は6年ほど前に脳内出血で倒れたのですが、その後、色々な病気をして、今は、何でも週に3回点滴を受けているそうです。
病気したのは、母の負債のためなのか、一向に良くなる気配もなく、このまま色々なところが悪いまま、一生を終えてしまうのかな、と思うことも多くありました。
 
父は母の看病のために定年前に退職し、家事をしています。
昨年90才の祖母と同居を始め、年寄り3人で暮らしています。
母が倒れたのは、祖母のわがままのせいだ、祖母が悪い、と毎日のように、祖母に言っているそうです。
そんなこと、言ったって、祖母は変わらないし、母が倒れたのも、祖母のせいではないのに、、、と思っていました。
 
でも、母は病気したおかげで、やっと父と向かい合い、お互いを思い合い、お互いを必要とし、今、こうして、夫婦関係を築いているのではないかと思いました。
病気がなかったら、やっぱり自分のことしか考えず、お互い違うところをみていたと思います。
 
父は、会社を辞めて、母と祖母の間にはさまれて苦労しています。
私には、昔散々なことしたから、罪滅ぼしだ、と言っていましたが、どうしても、ひっかかるものがあり、素直に受け止められませんでした。
でも、そうなんですね。
 
あれほど、父のことをぼろくそに言っていた母が、病気してからは、父がいなければ生きていけないようなことを言い、どこに行くのも父と一緒、何をするのも父と一緒なのが、許せませんでした。
 
でも、病気が二人の仲を取り持ってくれたというか、これがなければ、向き合えなかったのですね。
私のなかで、病気が治らないことは、どうでもよくなりました。
あの二人には、病気が必要だったし、もしこのまま患ったままでも、母は今、とても幸せだと思います。
やっぱり、ありがとうございます。なんですね。
 

NO.130
初めての参加でしたが、説明が終わるとすぐ自分のノートに、書き始めることができました。
母についての内観でした。「うるさい、うるさい・・・・・」の言葉が次から次へと書き出され、自分では意識しないまま、ただただ、文字が自然と書き出されていく感じでした。
 
そのうち、「手をつないで、手をつないで・・・」「おこらないで、おこらないで・・・」「さびしい、さびしい・・・」「嫌な顔しないで、皆の前で」と続きました。
字も大変乱雑な字で、何度も大きく書かれていました。
その後 「押し付けないで、あてにしないで・・・」と書く頃には、ピタッと手が止まっていました。
 
まさに 丁度そのとき、面接をしてくださり、「自分の中で、さらに気になっていることはありませんか?」とのお言葉に、促されて2つほど気になっていたことをお話しました。
そのあと、自席に戻りまた書き始めましたが 何故かいつのまにか寝てしまっていました。
 
丹田のあたりがグルっとした後、自分のイビキにびっくりして目が覚めたときには、すっきりしていました。
このときには字も小さくなり、文章として書くことが出来るようになりました。
右ページには今までどおりの言葉を書き、左ページに感謝にちかい言葉を行ったり来たり、並べて書きたくなりました。
 
じわっと染み出てくるように、感謝の気持ちが出てきているようなのですが、強烈なものではなく、まだ何かあるのではないかと思いました。もう一度、自分に問い掛けると「さびしい、もっと一緒にいてほしかった、抱っこして欲しかった」とでてきました。
 
「本当に困った時に必ず助けてくれて、ありがとうございます」
「いつも笑顔で迎えてくれてありがとうございます」
「親を捨てて家を出た私なのに、お母さんは私を見捨てませんでした。お母さんのために出来る事を考えます。」
と自然に湧き出るように、言葉と感情と涙があふれてきました。
 
再度、面接していただいた時に、「本物ですよ」と言われて、ああ これがそうなのかと思いました。
この日は、初めのうちは悲しい涙、終わるころには うれしい涙で終わりました。
 
丹田の調整もして頂き、ありがとうございました。とても気持ちが良かったです。
面接の時に、信じられないくらい必要な時に 声をかけてくださり、ありがとうございました。
今日も、心穏やかに過ごしています。感謝の気持ちでいっぱいです。
 
NO.129
今回の内観は、前回に引き続き父に対して行いました。
 
父自身の不幸な生い立ちからくるかたくなさや自己憐憫・被害者意識などに対して、「情けない!」という苛立ちと軽蔑を強く感じ、父親を蔑むような言葉が溢れてきました。
 
そんな状態なので、期待など全くしてないと思い込んでいたですが、「普通の父親であって欲しかったのに」という気持ちを随分溜め込んでいたことに気づきました。普通って何なのかよくわかりませんが、ただ自分の思う世間一般の父親像から大きくズレていたことに、大きな羞恥心を持っていました。
 
普通のシャツやセーターを着て欲しい、人に会った時には普通に挨拶して普通の振る舞いをして欲しい、普通の感情表現をして欲しいなど…。
 
「人に(父親を)見せたくない」とか「(そんな父親だから)何とかとりつくろわなくては」「(同じタイプの人間に見られないよう)自分だけはしっかりしていなければ」などと必要以上に気を張って、母親にも心を開いていなかったこともあり、いつも「誰にも頼れない」という孤独感と不安感の中で暮していたことを思い出しました。
 
以前結婚するにあたってもあの父親(&母親)でも受け入れてくれ、そのことで私のことを馬鹿にしたり軽蔑したりしない人というのが重要な条件でした。(今思えば随分尊大で失礼な思い込みだなあ~と思います…)
 
そんな気持ちを書き出しているうち、「もう重荷は降ろしたら」という言葉が出てきました。一人でキリキリして疲れたことにようやく気づいたということでしょうか。
 
けれど、父親に対する期待や苛立ちは虚しく宙に浮いたままで、そのことを面接して頂くと、「人の意識には何でも受け入れられる深い部分があるので、お父さんのそういう部分に向かって自分の気持ちを伝えてみたら」とのアドバイスを頂きました。
 
終了まで、ひたすら自分の気持ちを父に向かって書き綴っていました。
心の中でさえ、父親に訴えかけるというのは初めてのことでした。それに対する反応は残念ながら感じることができなかったのですが、次回も引き続き父に向かい合ってみたいと思います。
 
NO.128
父は女性にだらしなく、妻子ある身でも、女性とおつきあいしたり、女の子がいるお店に行くのが好きでした。
ゴミ出しを始めてすぐに、女に対してのだらしなさに怒りを感じて、ひたすら、そのことを書きました。
 
その後いくつかかき出していくうちに、ほとんど家にいなかった父なので、書くことが無くなってきました。
私は父と直接関わることがなく、私対父で見てみると、そんなに嫌なことがあったわけではないことに気づきました。
そして、直接父と話をしたときは、父は私を一人の人間として、きちんと対等に話をしてくれていたことに気づきました。
 
感謝の紙の方に、そんなことを書いていたら、とてもすがすがしく、爽やかな気持ちになりました。
でも、ありがとう、という感謝の気持ちが湧いてこないので、面接をして頂きました。
 
私と父との関係は綺麗になったけど、お父さんとお母さんの関係に対するゴミがまだ出てきていないから、お母さんが可哀想、という思いも、お父さんに対してのゴミなので、書いてみてください、とご助言いただき、そのことに取り組みました。
 
父と母との夫婦仲は大変に悪く、私はいつも母が可哀想でなりませんでした。
一人で寂しくて惨めな思いをしている母に、必死になって、寂しさを感じないように、いつも寄り添っていました。
学校から帰っても、母を一人にするのが心配で、友達と遊ぶこともなく、ずっと家にいました。
 
母は気持のやり場が無くて、私に辛く当たりました。父のせいで、母は私に辛くするんだ、父のせいだ。父が母に対して不誠実なことばかりをするから、私は母のために尽くし本当なら楽しく子どもらしく過ごせるはずの子ども時代を過ごせなかったと思いました。
全部お前のせいだと思いました。そのことを書いて書いて書きまくりました。
 
ある瞬間に、子どもらしく子ども同士で遊んだことはなかったけど、私にはその方が心地よかったのかもしれない、という思いが湧きました。
同じ年代の子と遊ぶことは、私にはとても苦痛でした。思ったことが言えず、傷つくのが怖くて、一緒に遊びたくありませんでした。
母を守るんだ、私が幸せにしてあげるんだ、という思いは、そういう自分にとっては厳しい現実を避けるためのいい口実でした。
 
その瞬間、すべて父のせいにしていたんだ、私は父を憎み嫌うことで私の中のバランスをとっていたんだと思いました。
私は誰かのせいにしなければ、いられなかったのです。
私が人付き合いが苦手で、友達と遊べなかったのは、父が悪いのではなく、自分自身の問題でした。
 
母と一緒にいることが、一番安全で安心していられたのです。
そうしていられるように、一番いい環境を作ってくれていた。
これは源様が与えてくださった愛なんだと気づきました。
 
自分の問題をみることなく、変わりに何十年も、私に恨まれ続けてくれた父には感謝の気持ちしかありません。
これからは、親のせいにはせず、自分ときちんと向き合っていこうと思います。
ありがとうございました。
 
NO.127
実は、内観の前に両親を交えて3人で飲む機会があり、いつもと違う雰囲気で、語り合うチャンスがありました。
うちの両親は仲がいいんだか、悪いのだか、二人が近づくと、やんややんやとけんかが始まります。
(父は、家族だから許してくれるだろうという、勝手な思い込みの強い人です。家族でも踏み込んではいけない個人の領域があることが理解できないのです。)
その日もいつもの調子で、父の失言が母の逆鱗に触れ、せっかく和気藹々と3人で飲んでいたのに、ケンカモードに入ってしまいました。
 
父は人の気を引くため、他人の(主に私の母について)悪口や毒を吐きます。そうすることでしか会話の輪の中に入れない人です。私はそういう父が大嫌いで、いつもシカトすることでの対処しかできませんでした。
 
その日、このままでは父は自分の言葉が、どれほど人を傷つけ決して自分もいい気持ちにはなれない、そんな悪循環に気づいて欲しくなりました。
父自身では気づかないかも知れない一言で、どれだけ人生「もったいない」ものにしてきてしまったか!父が哀れにすら見えました。
 
そして、幼い頃、(多分)言うことを聞かない私に痺れを切らして父が私に言った「妹のほうが、お姉ちゃんであるお前より、可愛い。」が、どれだけ当時の私を傷つけ、そしてその傷を今もひきずっているのかを例に出し、「そうやって父さんは、私より、もっと多く母さんを傷つけてきたんだよ。」と、自分の言動に責任を持ってもらえるように言ったつもりです。
 
すると、母が父に代わって、「申し訳なかった、そんなことを言ってしまったなんて。そんなことは絶対に口にしてはならないことであり、たとえ怒った勢いであっても言ってはいけないことだと思う。大切な子供を比べることなんて、できないし、父さんは心にも無いことが口から出ることがあるんだよ、お前のことを、とても愛していることは、分かるでしょう?お前にもしものことがあったら、母さんよりも早く、真っ先に飛んでいくのが父さんだよ。決して本気ではないんだよ、許してくれ。」と、うつむき、私の顔を見て話すことができないほどうなだれて、涙をぽろぽろ流していました。
 
父は、想像力にかける人です。人の気持ちや、場の雰囲気が読めない人なので、私の知っている範囲でもかなりの爆弾を爆破させてきました。
母は、父方の親戚の人から面と向かって「よく、あんな人と一緒になったわね。」と言われるほど、親族から見てもおかしな父です。
 
だから、まだぴんとこないらしく、母が泣きながら、続けたこのような言葉、
「お前が父さんの言った一言で、ひどく傷つき、それを20年以上も根の深いところで持ち続け、何かある度、その言葉を引きずってきたかもしれない。父さんに褒めてもらおうと、必死に頑張ったろうね。」そう言うと、母は私が頑張ってきたことをピックアップしてあの時はああだった、こうだったと、思い出を語り、嬉しかっただの、誇らしかっただの、たくさん褒めてくれました。
 
そして、「その裏にはそんなことがあったなんて・・・・・・・・・。」父もようやく私の辛い気持ちがどれほど根深いかを知り、とんでもないことをしたという実感がわいてきたのか、顔を覆い、肩を震わせていました。
 
今回の私は、父を責めるのではなく、本心から、父のこれからの幸せのきっかけになればと思っています。
(以前の私は、問題に直面したときは感情が先走って相手を傷つけることがおおかったのですが。)
 
そのような背景があったので、父のゴミを出すことは、結構スムーズでした。
自らすすんでピンクの紙に感謝を書くまでにはいたりませんでしたが、勧められて一応は書いてみたら、かなり感謝でいっぱいでした。自然と出るようなくらいまで次回もチャレンジしてみたいです。
 
NO.126
今回の内観で分かったことは「愛を感じるために、もう一人の人間がいる必要はない。愛は私の中に既にある。」です。
 
内観の前の日、私はなぜかすごく不安になり恐怖感がありました。
「内観も三回目なのにこんなネガティブな気分じゃ、今回も出きらないだろうな…」そんな気分でその日は寝ました。
 
次の日、シャッキリしない まま内観にのぞみました。
私は父のことが終り、前回からの母のゴミだしの続きをし ようとしました…が、全く書けないのです。でも内観が終了した感じもありません。
私は懸命に天にむかい言葉を求めました。
 
「私を苦しめているものは何ですか?縛っているものは何ですか?」 しばらく待っていると、「もういらない、必要ない」という言葉が出てきました。
私は、はっとしました。
「欲張ってたんだ!」私は親からの愛が足りない、もっと欲しかった!そういう思いがあり内観というものにも興味を持ちました。
 
しかし、よくよーく考えてみ ると「私はすでに愛されたうえで産まれ、育ったのだ、もう十分足りている、必要以 上に愛をほしがることはないんだ、もうあるんだ。私は満たされているんだ。」
それから、いらない、いらないと書き続けました。
 
その次は「邪魔だ」という言葉が出てきました。書いているうちに心の奥底に潜む恐怖感が邪魔だと分かりました。
じゃまだじゃまだと何回も何回も書いていきました。
すると2日目の最後の方ではフッと軽くなり暖かさを感じるようになりました。感謝がしたくてたまらない気分になりました。
 
それは父、母への感謝を越え、大いなる源 への感謝でした。
私を含め親はもちろん世の中に存在するもの全てに、ありがたさを 感じました。
もう、私の心に愛はある。必要以上に他者から愛を求める欲張りな気持ちが親への感謝を遮断し、苦しめていたようです。
 
私の場合は本来の親のゴミ出しとは、まったく違う形で、内観を終了しましたので、みなさんの参考にならないかもしれません。
私の中にある、「限りない欲望」「失うことの恐れ」が私をがんじがらめにしていたことが、守護霊様の導きによって分かり、光を見付けだすことができました。ありがとうございます。
もう私の心は十分満たされています。もっと愛が欲しいと思う気持も、失ったらどうしよー!という気持もないのです。
 
自分のいわば、下劣な部分との真っ向勝負は苦しく大変厳しいものでした。まさかこんな事を感じているなんて、思ってもみませんでしたから…。両親はちゃんと私を愛してくれていました。
恋人は失うことが恐かった事もありました。でも、いつも私を認めて、支えてくれる、共感して進んでいってくれる人です。会う時間もTELもメー ルもあまりくれない人ですが、深い愛を感じます。
 
私をとりまく人に愛をありがとう と言いたいです。
ちょっとオーバーな表現で、内観未体験の方には!?マークかもし れませんが、私の今の気持を素直に書いてみました。
 
言葉では言い尽せないほどの感謝が溢れています。
スタッフのみなさまにも感謝申し上げます。ありがとうございました。みなさまの後おし、本当に素晴らしかったです!
そして大いなる源にありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます。
これからまた乗り越える課題もあるでしょう。しかし私に夢があります。やっとスタート地点に立つことができました。この気持を忘れずに、前に進もうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
 
NO.125
23~24日の集中内観から1週間経ちましたが、内観の感想及びその後、について報告させていただきます。
 
初日の内観では父の事から始めたのですが、書きながら『あ~自分はこんな事思っていたのかぁ~』というようような、自分自身にすら隠していた”本音”と いうものに出逢えたような気がしました。
 
主に昔の事を思い出すような作業で、父に対する不満や一定の時期に抱いた憎しみのようなものを書き出すような形 になっていったのですが、内観中はやはり涙がたくさん出たのでボーっとしてしまい内観中以外 は自然と何も感じず考えず、といった状態になっていました。
 
2日目もやはり前日の延長のような形で内観が進んで行きましたが、面接時にアドバイスされたように内観のやり方自体をもっと絞って、特に 今現在に影響されてると思われる過去のその当時の父への不満や要望などを出していくというようにしていったのですが、それをやっているうちに『もう書き たくない』という気持ちになってきたのです。
 
1ページ前まで書けていた事が次のページでは書けない。書こうとがんばっても文の流れが父の素敵なところとか感謝とか理解に変わってったのです。
 
白 の紙は不満を書かねば!と思ってまた書き出そうとするのですが『もう充分。もうないです』という感覚になっていったので、ピンクの紙に変えて『大好きなお父さんへ』というような手紙のような物を書き出していました。それからは白の紙に戻る事もなく終了しました。
 
結局は母の事の途中で時間が来てしまいましたが、内観終了直後はなんだか、目が良くなったような感覚というか、カメラのピントが合った感覚というか、上 手く表現できませんが、とにかくちゃんと真実を見られるようになったのではないか、という気がしました。
 
普段は両親に対して内観で書き出したような事を常に思って接しているわけではなかったのですが、内観を終えてみますと違いがはっきりと分かり、溜め込ん でいたゴミの重さを感じました。こういったことは文章にするのが困難ですが、とにかく両親との関係は本来の姿に近づいてきたという事がいえます。
 
私の気 分がすっきりして いますのでそれがそのまま両親に反映される、短くいえばそれが全てです。
『なにか いい感じ』といったようなムードが両親と私の間に漂っ ています。
 
今回の内観で自分が両親と繋がっている存在だということを実感した事とそれに対する感謝の気持ち と嬉しさがあふれてきたのは本当にありがたいことだと思っています。
そして、この与えられた命を大切に一生懸命生きよう、と前向きに心機一転することができました。
 
実生活では内観を終えて2日後に、ここ数年抱えていた1つの大きな問題、仕事に関してなのですが、その事で大きな進展がありました。暗闇の中に灯りを見 るようなそんな希望にあふれた展開です。ゴミを捨てて光をいただいたような、そんな感謝の気持ちで一杯です。
 
NO.124
先日は群馬での内観でお世話になりありがとうございました。
不思議な感覚を体験し、あれは一体なんだったんだろうと思います。
 
内観は一日内観に続き2回目でした。
母に対しては、娘である私のことを理解してもらおうと長年対話を試みていたのですが、いつもケンカ別れになってしまい、就職してからは冷たいあきらめの関係になっていました。
 
自分としては理性であきらめ、納得し、夫と子供との生活を大切にすればそれでいいと思っていました。にもかかわらず、何かが邪魔をして普段の生活がうまくいかないのです。それは理性や理屈ではわかっていても又他人にどんなアドバイスや励ましの言葉をもらっても、体がいうことをきいてくれないというジレンマでした。
内観で何か変わるだろうか。。。。?と半ば相手任せの気持ちで群馬に向かいました。
 
初めはあきらめた醒めた言葉しかでてこない状態でした。
ところが。面接でヒーリングをしてもらったときです。映像が浮かんできました。
それは、象徴なのか、それとも忘れていた事実なのか、それとも自分が作っている作り話なのか。。。。??
恐ろしく、寂しい、悲しい シーンでした。
それと共にその時の感情が少しずつでてきて、それを必死に書き出しました。
 
二日目の面接でヒーリングをしていた時です。
突然涙がでてきてて、今の自分ではない人(子供)の感情が出てきて止まらなくなりました。
私だけれど、今の私じゃない、誰かの感情。
 
それは泣いて、怒って、だだをこね、ていました。なんとか冷静に寝ている姿勢を保っていましたが、今にも毛布を放り投げ足をばたつかせ・・・
 
しばらくすると、その子は今度は○○さんと遊びたい、くっつきたい、困らせたいと言い出しました。
今の自分の意識もしっかりありながら、子供の頃?の意識がはっきりと感じられ、驚きと共にそれを書き出しました。
私の中に遊びたくて遊びたくてしょうがない、4歳ぐらいの子供の感情が一気に出てきました。
 
その子の感情を書き出すうちに次第に当時の母の置かれている状況や精神状態がぼんやりと感じられるようになり、やがて、感謝とまではいかないまでも、いたわりの感情がでてきました。
それは4歳のこどもらしいあどけないいたわりの言葉でした。
おかあさんの病室にお花と絵のプレゼントを持っていってあげようというものでした。
 
ここで2日の内観が終了となりました。
なんだか楽しく爽快な気分になれました。
 
帰り際、おなかの中にざわつきを感じました。
ん??これは何??と思っていながら、電車に乗りました。
別の子??が私にも気づいて!!といっているような気がします。
まだあるような。。。。感じがするのですが。。。。
その子が早く私も!!って訴えている気がします。
 
あれ以来、今の自分の感覚と、それとは別のお腹あたりからくる感覚とを別々に感じることがあります。
どうもありがとうございました。
 
NO.123
終わって2日が経過しました。
初めての経験でしたが、本当に心の中がクリアになり、イライラすることがなくなりました。極めてポジティブ(笑)
まだ終了して二日目ですので、今後どのような変化があるのかとても楽しみです。
 
内観は書くことにより、自分の内面を吐き出していくという私にはとても有り難い方法でした。しかも思いつくままにランダムに書いていいと。書くことでこんなに気持ちがあふれてきて泣いたり、思い出し笑いする自分に驚きました。
 
ライターという仕事をしているお陰で、書くことは全く苦にならず、困ったのはあまりにも自分の中から言葉が溢れ出してきて、右手が腱鞘炎にならないか心配だったほどです。書いてる途中は痛くて痛くて。しかし終えてみてびっくり。あんなに痛かった右手。翌日にはなんともありませんでした。
これも内観効果でしょうか?
 
スタッフの方が途中、声をかけてくださり面談を行ってくれたのですが、今までの人生でありえないこと、つまり否定される言葉が一度もなかったのに私は感動しました。仕事ではありえないことです。「それでいいんですよ、眠くなったら寝ていいんですよ」という言葉がどんなに有りがたく、人を心地よいものにしてくれるものであることを痛感しました。
 
今後の経過はまた少しづつですが、ご報告できればと思います。
11月に実家に帰り、両親に会うのが楽しみです。
 
NO.122
内観が終って10日が経ちました。
母にはまだ会っていないので、わからないのですが、私と子供との関係は違ってきたように感じられます。
それまで、何か息子との間にあった、透明の壁のようなものが取り払われて、以前よりストレートに気持ちが伝えられる、感じ取れるようになった気がします。
あれ?こんなにかわいかったかな??(親バカでごめんなさい)って感じです。
 
母から子供の頃受け取った感覚はずっと私の中にとどまり、いつのまにか、私を縛っていたように思います。
幼稚園の先生を職業に選び、たくさんの親子を見てきて、自分ではうまくやっているつもりだったのに、根本のところで、縛られていたことに気づいて愕然としました。
 
この経験はいつか、仕事が再開できた時に役にたつように思います。同じような事で苦しんでいる人がたくさんいるように感じます。
 
NO.121
参加者の方から、改めて書き直すとの事で、掲載した内容を取り消すようにとのご指示を頂いたので、一旦、消去致します。
その後、NO.126番の内容を、書いて頂きました。ありがとうございます。(小野賢一より)
 

NO.120 
あれから私は頭の中がいろいろごちゃごちゃになって、小さい頃のこととかいろいろ思い出しては、さみしくもなったりしました。だけど私はいま19で、一人暮らしもさせてもらってる、大学でやりたいことをやってる、私はもう世間一般には独立した状態なんです。
 
そしてしなければならないんだと思います。だから、もういまさら親をせめる気などおこらなくなりました。
まだ少しぎこちないかもしれないけど、あれほど憎い父親の存在も私の中で許せてきているようです。
 
内観から帰ってしばらくはとても父を憎みました。
いまさらそんなことを言わないでって。でも、私は19だって。
もう過去なんです。私の中で、生まれてしまったさみしさや憎しみはどうしようもない。責めても恨んでもなににもならない。そこからはなにも生まれません。
離れているからこう思えるのかな、とも思います。
 
だけどもういいやって。なんか自分の中で帰ってきてからゆっくりゆっくり心の糸というんでしょうか、父親に対しての憎しみがゆっくりとほどけていくのがわかります。私はきっとさみしかった。ずっとずっとさみしかった。
 
気付いてほしかった。それがたまりにたまって、憎しみというものに変わってしまったんですね・・・。
でももういいんです。
いま、愛情をそそいでくれていると、そう父親が言っているなら、いまさら遅いよ、とはじめは思いましたが、それはわたしのわがままです。
 
19にもなって親にさみしいとか頼るのはもういやです。
いや、というのはつまり・・・私が成長してしっかりした人間(?)一人前になることがある意味言い換えれば、親への復讐です。
 
復讐とは悪い意味ではなく、それが私の在り方なんです。
私が成長して一人前になることが、それが私の目標でもあるし、きっと親もそれを望んでる。
もう、それでいいんです。それで十分です。
 
とてもすっきりした気分で大学にいけそうです。
だけどね、まだ・・・親孝行できるほどの気持ちはない。
それは父親の気持ちを知りたいからです。
 
だから勇気を出して、言ってみることにします。今の私ならきっと言えると思います。
 
はじめはなにも変わってないじゃないって、思いました。
内観から帰ってきて。それどころか憎しみがつのるばかりだって。
でもゆっくりゆっくりほどけていくのがわかる。
 
こんなに親に対して穏やかな気持ちになるのはきっとたぶん、はじめてです。
内観に行って本当によかった。心からそう思います。ありがとうございました。
 
NO.119
先日の、個人内観では大変お世話になり、ありがとうございました。
あれから父に対して今まで感じた事のない優しい気持ちが湧いてきて、本当にビックリです。
 
そして父の笑顔など見た 事がなかったのですが、いい顔して笑っているのをみると、今まで見ようとしなかったのは、私の心だったんだ、とつくづく感じました!
父がこの世にいる間?にこうし た気持ちになれ、本当に感謝でいっぱいです。
ありがとうございます。
 
先生がおっし ゃっていた、゛ありがとうございます”日々実践していきたいと思います。
 
必要なものは与えられている。物凄く守られて生きているんだと感じ全ての神様、人々に、生きている事に感謝です。ありがとうございます。
 
とても、充実した時間を送る事が出来ました。ありがとうございます。
 
NO.118
集中内観を8月に参加して、9月に個人内観を受けました、
私は、恋愛について、内観しました。
 
8月に集中内観を終了したあとに、すっかり終わったと思っていたのですが、帰ってきてから、もんもんとしてマイナスとプラスがいったりきたり、涙は出るし、気分悪い。
 
そのあと、私は、父の内観がまだでしたので父と彼の残りと、個人内観をうける事にしました。
すると、父との間はこれと言って問題はなかったのですが、お互いに喧嘩をする事がないだけに、お互い我慢をしてしまい感情に蓋をしていたようです。瞑想をしながら、でてきたら、彼のことも一緒に答えが見つかりました。
 
本音でぶつかり合う場面になると、引いてしまい逃げてしまう。無言の怒りを蓋していたのです。 
とことんぶつかる事、途中で逃げださないこと、これが必 要だったと解りました。
 
その後、父はよくしゃべる様になるし、家の雰囲気がかる~く、明るくなりました。
彼との事も前向きにとことん信じられるようになり、神様からのサインが少し、感じやすくなってきたようです。
 
内観とは、ゴミだしをする事と、方向性をみつけるための方法だそうです。
私は両方、経験できました。 今はもんもんはありません。 
本当に先生初め、スタッフの方々に感謝致します。
これを読んでくださった皆様、ありがとうございます。
内観後、もんもんと向かいあっている方々、もんもんを超えて、すっきり出来ますように、祈ってます。 
 
NO.117
初めての集中内観では、近年母との関係はずいぶん良くなり感謝の気持ちも持っていたのですが、改めて昔を振り返りゴミだしをしました。こんな書き方でいいのかな、先生の仰った潜在意識の言葉ってどういう意味かな・・・・と戸惑いつつも母への手紙というか、会話のような感じでたくさん言葉が出てきました。
 
先生から「潜在意識というより本音を書けばいいんだよ」と教えて頂いてから、さらに昔のことが鮮明に思い出されて「あんなことして欲しかったのに~」とか、「親失格だよ~」とか「だから○○(弟の名前)がこんな風になるんだよ!!」とかもう言いたい放題(書きたい放題)書い続けました。
20枚くらいは書いたでしょうか。ところが、昼食が終わって午後1時半頃から「私何でこんなこと書いているんだろう」と自分を振り返るようになりました。
 
「私って何様なんだろう?そんな親を非難できるほど私ってすばらしい人間なの?」とそんな思いがいっぱい出てきて「母も完璧じゃなかっただけなんじゃない?こんなこともあんなこともいっぱいしてくれたじゃない親も子もお互い成長途中だったのかも知れない」と急に意識が変りだしました。(突然の変化です!)
 
胸がぐっと熱く締め付けられ、次第に母に対する感謝の気持ちばかりが込み上げてきて、それから全然ゴミが出なくなったのです。
 
そんな時、スタッフの方がサポートして下さって、スタッフの前で栓が切れたようにぽろぽろと涙が出てきました。
お手洗いへ行って一人ひとしきり泣いたらもうすっきりして、それからはこの気持ちが本物かどうか、もう母に対するマイナス感情がないかどうか、しばらく様子を見ていましたが、やはり感謝の言葉と自分の未熟さが身に染みるだけでした。
「ありがとう、ありがとう・・・・」と感謝の紙に書いているとすごく眠たくなって来ました。
 
もうないのか?
 
ほんとに不満はないのか?と自問するのですが眠気の方が勝って、すごく気持ちよくなって来ました。終了の時間までその心地よい空気にどっぷりと
浸りきりました。
 
面接の時、「本物ですね、突き抜けましたね」と言って、最後にしっかり握手してくださいました。
とても嬉しかったです、ありがとうございました。
 
相手を変えようとするのではなく、自分から出る波動が変ると相手の受け取り方も変わると教えて頂き、やはり何事も自分次第なんだと改めてわかりました。
これからは母に対して、もっと穏やかに接することができると思います。更に感謝の気持ちと、さらなる母の幸せを祈って行きたいと思います。
 
NO.116
今回、私は父に対してゴミ出しをしようと思いました。
前回、前々回と母に対して行い、感謝の気持ちも感じることができたので(とはいえ、まだまだゴミがたくさんありそうなのですが…)、今度は父に向き合ってみようと思った訳です。
 
父はいるかいないかわからないような存在感の薄い人で、日常会話はもちろん挨拶さえろくにしたことがないという関係でした。必要のある時は、お互い母を通してやりとりをしていましたが、子供に冷たいとか愛情がないという訳ではなく、異常にシャイな人なのだと感じていました。そんな訳でゴミが出るのか、とても不安でもありました。
 
ゴミ出しを始めると、そんな父のことを「情けない」とバカにし、軽蔑していたことに気づきました。
父自身は実の父・二度目の母と折り合いが悪く、同じ敷地内に住んでいながら「あんなもの、犬か猫だと思っとりゃいいだ」と(母には)平然と言
い放ち、憎いという気持ちだけでなく、感情そのものが枯れ果てたように無表情に暮していました。
母は両親との関係を放棄してしまった父の代わりに舅姑小姑などと闘っていたように思います。
 
父は不幸な生い立ちからくる自己憐憫や被害者意識にどっぷり浸かっているだけで、そこから這い上がろうという気力がなかった人でした。
そんな態度に、私はいらだちを感じていたのだと思います。
 
そんな父に対して「昨日死にたいって言ってたのに、今日床屋に行っとるわ~、ぎゃはは」「いくら変わり者のとーちゃんでも、お向かいの偏屈でいばり散らしとるだんなさんに比べればだいぶマシ!」と明るく(?)受けとめていた母の強さも改めて感じることができ、思わぬ発見もありました。
 
「そういうお父さんに対して、他の家のお父さんと比べてこんなふうだったら、あんなふうだったらって思ったことを書き出してみたら」と先生よりアドバイス頂きました。
(それに、父→家族、への期待を押し込めてしまったことから、一人での行動を好むようになったのでは?とのご指摘も頂きました)
 
ところが、何も書けないのです。別人を連れてきてもらえるならいろんな要望もあるのですが、あの父には何も期待できなかったし、何にも探すことができず、ただ時間が過ぎていくばかりでした。ただ出てくるのは「情けない」という言葉ばかりでした。
 
最後の面接でそんな状況をお話すると、「お父さんを思い浮かべると出てくること(情けない)を繰り返し繰り返し書き出せばいいですよ」とおっしゃって頂き、残り時間はひたすら「情けない」ばかり書きまくっていました。
 
今回は時間切れとなってしまいましたが、次回ゴミだしに励みたいと思います。
 
NO.115
私は、6月にはじめて内観を受けさせていただき今回は2回目となりました。
一回目の6月の内観は父についてしてみましたが、なんとなくよくわからない・・・といった状態で終わりました。が・・・あのあと私自身の体に変化がおこりました。
 
私は3・4年前から右手がひどくあれて、毎日朝おきて「手が痛いなあ」が私の目覚めでした。いろんな皮膚科に通い、いろんな薬もためしましたし、体の中の栄養が悪いのかと食事やサプリ・健康食・漢方にとチャレンジしました。でもよくならないんです。
 
そんな時先生のホームページと出会い、私の体が何か訴えてているのかと考えるようになりました。
 
しかし、何もしなくても皮膚が切れてジンジンしたりすることは、私にとってイライラにつながりました。
内観を終え7月に入った頃、母に「近所の皮膚科に行ってみなさい」と言われました。
でも以前に行った事のある皮膚科だったのになぜか「行ってみようかな」と思い、行きましたら、薬がきいて一週間で腫れはひき、今ではマニキュアもぬれる爪(以前は爪もボコボコで)と手になりました。
 
まだ全快ではありませんが、お料理ができるようになったり、物をしっかりもてたり、たわしのような感触で化粧水をつけていたのが・・・・もう最高なんです。本当にありがたくて。
 
『手さん、ありがとう、ありがとう、すごいよ、すごいよ』と話してしまうぐらいです。
つらかったけれど、いかに「手さん」が働いてくれているか、右手がだめなら左手と左手で電卓を早打ちしたり(仕事)、皮膚が切れてもまた、朝起きると新しい皮膚が薄くできあがっていたりと、いろんなものが私のためにがんばってくれていて、本当に感動でありがたいなぁと思えるようになりました。そして回復なので嬉しくて。
 
毎朝、目覚めてまず手をみて『素敵だなぁー』とながめているしだいです。
変な話のようですが、あまりの嬉しさで短くまとめて書く事ができませんでした。
 
NO.114
先日、内観を受けたことが夢のようです。両親については内観を終了したつもりでしたが、28才のときまで一緒に暮らした父方の祖母についてどうしてもやりたくなったので、また参加させていただきました。
 
祖母は、初内孫の私を、かわいがるというよりは思いっきり甘やかしていました。母へのあてつけのように。しつけようとする母に、私が泣くと、必ず「こっちへおいで」といってかまうため、母としてはいつも面白くないようでした。
 
そういった母と祖母との闘いのようなものを、ずっとどこかに記憶していて、私は二人の争いの道具にされた、祖母に甘やかされたためこんなわがままな性格になったんだと、恨みに思っていたようです。
それは、すでに、母に対する内観をしたときに、出てきていました。
 
母への感情を出し切って感謝まで行き着いたとき、区切りがついたように思っていましたが、祖母に対する恨みの気持ちがむくむくと沸き上がってきたのです。
 
祖母は、自分の都合の悪いことは言わないし、聞かれても黙ってて答えない人でした。うそつきで、外では母の悪口を言いまくり、内では特にけんかするわけでもないのですが、母の問いかけに無視で答えていたり。そして、叔父と叔母をかわいがり、ふたりや、その子ども達には、父母や私たちに黙って、お小遣いをあげたりしていました。
 
私は祖母にかわいがられていたので、小さな頃はその仲間のように思っていましたが、ある日、叔父夫婦と叔母の一家と共に祖母はお墓参りに行き、帰ってきたとき、仲の良いいとこから見せられた写真を見てびっくりしました。いとこたちは、そのころまだ珍しかった飛行機で行っていたのです。私は心底びっくりし、なんで私を連れて行ってくれなかったのだろうと、子ども心に思いました。そのことを、祖母の口からでなく、無邪気ないとこの口から聞いたことがショックでした。
 
人からみたら他愛のないことかもしれませんが、私は「祖母に裏切られた思ったようです。
書き出すゴミは、「うそつき」「きらい」とかが多いのですが、結局そこに行き着き、母との闘いに私を道具として使った、私はかわいがられていたのではなく、道具に過ぎなかったんだとわかり、それがショックだったと、どんどん出てきました。
 
そのうち、ばからしくなってきました。
「もういい」というのが出てきて、祖母と母が互いに対して持っていた気持ちを私に反映させていたとしても、それが何なんだと感じました。
私には関係ない、もう充分だという気持ちになり、そのうち、祖母も淋しかったんだと思いました。
 
そのとき、「成仏したい」と思う祖母の気持ちを感じたような気がして、ピンクの紙に「成仏してください」「もういい」という言葉が書けました。
そして、そのとき、そういう祖母とのやりとりで神経をすり減らしながら育ててくれた母に対する感謝が沸き上がってきたのに驚きました。
 
幼い私を祖母に取られたと思ったこともあったかもしれないけど、あきらめず、見捨てず、育ててくれて、今は一人で生きようとしている母に対し、ありがたい気持ちがわーっと出てきました。
一人で一生懸命に生きようとしている母の姿が光にあふれているように思えて泣けてきました。
 
母に対して残っていたわだかまりが、溶けていくような感触でした。
祖母のおかげで母の姿がよく見えたような、そう思うといろんな人に感謝したくなりました。
 
大嫌いだった叔父にも、気がついたら、ありがとうございます、ありがとうございますと書き続けていました。
妙にうれしくなり、なんだか、構えずにいられるような気がしました。
 
NO.113
集中内観の感想ですが、私は、父の事が昔からとにかく関わりたくなくて、同じ空間にいるのが嫌で、食事も私だけ時間をずらして、一人で食べていました。
 
なぜ、父の事を嫌って避けてしまうのか、あまり深く考えないようにしてきましたが、自分の中の無気力さや対人恐怖症や、その他諸々のゴミは、父の事を抜きには、解決できないだろうなあ・・・と思い父についての内観にしました。
 
「あなたを見ていると悲しい。なさけない。私の心の中に入ってこないで欲しい。」と書き始めたのですが、何か頭だけで考えて書いているようで、しっくりきませんでした。
 
先生に、同じ空間にいる時の嫌な気持ちについて書いてみたら?と言われて、そうか!と思い、
「その声が嫌」
「せっかちな喋り方や歩き方が嫌、落ち着かない、イライラしてくる」
「ごはんをポロポロこぼして子供みたい」
など「嫌な感じ」について書き出し、それから、家の仕事や用事をあまりしない事など、日頃の細かい不満を書いていました。
 
そして、兄達には車を買ってあげていたのに、私には買ってくれなかったことや、三番目の兄が以前、車で交通事故をおこし、意識不明の重体になり、その当時買ったばかりの車は廃車になってしまったのですが、その手術費やら車のローンの支払いの為、畑にしていた土地を一つ売り、残りのお金もローンで支払っていたのですが、私が病気で入院した時には、一円も出してもらえなかった事が不満として出てきました。  
 
お金がなかったんだから仕方がなかったと、頭では分かっていたし、私ももう大人だし、働いているんだから、そんなの自分で払うのが当たり前・・って心から思えていないのはなんでだろう・・・って思っていたら子供の頃の事が少しよぎりました。
 
子供の頃から、あまり裕福な家庭ではなかったのですが、三番目の兄がわがままでかんしゃく持ちな所があって、「あれが欲しい!」と言い出したら聞かなくなって、私は何も買ってもらえず我慢する、という事がしばしばありました。 
私は兄の様にはならないでおこう、私が我慢していれば、丸くおさまる、問題のない良い子でいよう、と自分を抑えていました。
そして、しぶしぶと三番目の兄のわがままをきいてしまう父を、どこか頼りなく情けなく感じていたのです。
 
しばらくその事を書いた後、「うっとうしい」「どけ!」「向こうへけ!」という気持ちが出てきて、その言葉をずっと書いていました。 
幼い頃、母とお風呂に入っていたら、後から父が入ってきて、「どけどけ」「さっさと出ろ」と言ってよく追い出されていました。それ以外にも、私が父にとって邪魔な所にいると「どけ」とか「向こうへ行け」と言われていたのですが、なぜか、その言葉が自分の怒りの気持ちとして、出てきたようでした。
 
午後になると、急にあまり書けなくなって、ただ「むなしい」という言葉だけ書いていました。
先生に、感謝の方を書いてみたら、とかお父さんに対する情けないとかかわいそうな気持ちについて書いてみたら、と提案して頂いたけど、結局「むなしい」「やるせない」という気持ちしか湧いてこなくてその言葉を延々と書きました。
 
だんだん、それが父に対しての気持ちなのか、どうかが分からなくなっていました。
父は、一月から入院中なので、父に対する気持ちがどのように変化しているかは、まだよく分からないんですが、何か少し気持ちが軽くなったような気がします。
もし一人であんなことをしたら間違いなく、ドーッと重くなっていただろうなあと思います。
ありがとうございました。
 
何か、ほかの方の体験談や文章を読んでいると、自分はすごく意識の次元が低いのかもしれない・・・と思ってしまいますが、まだまだ自分自身と向き合えていないのかもしれないですね・・・。
次回、もっと深いところまで、潜っていけるようにしたいです。
 
NO.112
さて今回の内観では、私は何故か書き出す作業よりも外で緑を眺めながらお天道様の下にいたくて、一人ベンチに座ってぼ~っとしたり、歌を歌ったりしていました。
内観部屋?に戻っても寝ている時間が多く、2日間通してのゴミ出しは意外に少なく(顕在意識の私には期待はずれ)、皆さんの筆を運ぶ音を聞いては多少の焦りを感じつつも、先生の「すべてあちらにお任せ」との言葉を思い出し、自分の気持ちに正直に動いていました。
 
1日目は母に対してゴミ出しと自分の好きな歌を心の中で歌いながら歌詞を白紙に書き続けていました。
頭痛と頭部全体(特に頭頂部)の何かを噴出しているような強いむずむずとかゆみは終始ありましたが、「分かりやすいゴミ出しサインだわ♪」と気にせずにいました。
丹田調整では腰を軸にして頭がぐわんぐわんと直径1mくらいの円を描いている感じがしていました。
 
2日目は母宛ての少しの手紙(もっと自然体でいてほしい。)と自分の好きな歌を心の中で歌いながら永遠と書き続けていました。
ただ初日は黄紙に書こうとすると体が拒否反応を起こしていましたが、2日目は黄紙を選んで書いていました。(→嬉しい変化(#^.^#))
そしてタイムリミット1時間前になって、今まで気になっていながら漠然とした姿さえも掴めなかった心の奥底に潜んでいる、大きな黒い物体の門前に到達しました。
 
「むかむか」「いらいら」「出て来い!」「上がって来い!」魔物に向かう気持ちで足を踏ん張ってこの言葉を書き続けていたら「怒り」が出てきました。
両親に対する不満の次元ではない大きな怒りでしたので「お前の正体は何だ!」と書き続けていたら「恐怖心」が出てきました。
恐怖心が私を威嚇する為に怒りに姿を変えて表現していた・・・。
驚きました。
でもその恐怖心はまだ心の奥底の壁に必死にしがみついていたので「もう隠れる場所は無いから、光が照らされて来て、暗がりはないんだから
出てきてよ!」「私を威嚇していた位なんだから、うじうじしていないでよ!」と書き続けていたら、何と何とひょっこり顔を出したのは私の「エゴ」でした。
 
ずっと以前から感じていた心の奥底に潜んでいた黒い大きな魔物が私だったとは…。
愕然とし、体から力が抜け、しばし放心状態。
新しい自分に生まれ変わるのがなぜ嫌なのだろう?私は成長したい、前進したいはずなのに。
 
そのままタイムリミットになってしまいましたが、胸の支えが取れたようで、風通しが良くなった体がとても軽く感じました。
 
 
NO.111
・1日目
腕を痛めての参加だったので、書き続けられるだろうかとの不安が合ったけれど、ご加護を頂いて何とかこなしそんなに腕が痛まずに眠れました。
3回の面接とも「(ゴミを思い切りしたいのに)出ない、出ない」と言っていた程、大ざっぱにしか書けませんでしたが、「1つの事のみでもいいんだ」と分かってからエンジンが掛かりました。
 
・2日目
書き出し作業は初日と比べ順調。
母に対してのゴミ出し途中、同じ事を書き続けていたら突然「母としたら(その行為は)当然だ」と思うようになり、またありがたい事なのだとも思えるようになりました。
この変化が光に通じる道なのだと嬉しくなり、そこで時間切れとなりました。
 
91歳の母はひざが悪く、正座はもちろん、続けて長くは歩けません。
見守りは必要ですが、自分の事は自分で全て出来て元気が良いです。
いつも「ありがたい、ありがたい」と言っているのでその姿を見ていると全て許されてしまいます。
私の体調が芳しくない為、出来るだけ世話を掛けまいと気を配り、家事も進んで手伝ってくれます。
 
が、少し度を越すと、無理をして動けなくなるパターンを繰り返す。お互いを思いやっての事だけど、歯車が少しずれてしまいます…。
私と娘も同じパターンだと気づきました。娘からは自分のしてほしい事はしてくれないで、してほしくない事ばかりする、と言われます。
 
5歳下の妹との関係での気付きもありました。
「良い人、良いお姉さん」をずーっとやっていたと。やっとこの頃「ノー!」と言えるようになったばかりです。
ノーと言えなかったら、その事柄は進んでやっていこう、受け入れていこうと思えるようにもなりました。
 

 
NO.110
今回内観には、自分のことが嫌い・いつも何か不安な気持ちが心の奥底にあってそれをみないふりをしてあえて明るく振舞っている・・・
 
そんな日々になにか糸口が見つかるといいかなと思い参加しました。
両親に対しては、特に不満もなく、自分では良い関係がつくられていると感じていま した。
 
先生のアドバイスで、両親に対してやってみてはとのことで初日は母へ2日目は父 へゴミだしをしました。
 
最初は感謝への言葉からあれこれと書いていたのですが、だんだん幼かったときに不 安を感じていたときの記憶やもう納得していると思っていた母から遺伝した病気のことなど、心の中のゴミだしが始まりました。
 
何でこの世にうまれてきたのかな~居たくないな~など背筋が寒くなるような感じと不快な気持ちに取り乱してしまったとき、スタッフの方が声をかけてくださりまとまりのない私の言動にアドバイスをくださり、何度か丹田を整えてくださいました。
 
そのときのあたたかさと心地よさに支えられ、ゴミだしをつづけることができました。
その後ずっと大丈夫 大丈夫・・・・・・・の文字を何回も書きつづけながら、今までにはない母への感謝の気持ちが湧き出てきて「あ~守られている。」と、とっても、とっても、あたたかくなってきたのです。
 
あれれ・・・あの背筋の冷たい感じはどこに行ってしまったのかしらと自分でも不思議に思ったぐらいです。
 
2日の父へのゴミだしも 想像以上にでてきてびっくりしましたが最後には、感謝の気持ちがじんわりと沸いてありがとうございますと、ひたすら紙に書いて終了しました。
 
両親に対して、感謝していると日々思ってはいたものの今回の内観でこんな風に同じ感謝という言葉では言い表せない深い感謝を感じられて幸せでした。 
 
先生 スタッフの皆様 そしてあの場に参加された皆様方ありがとうございました。
内観終了後2週間が過ぎました。
 
不安な気持ちや後ろ向きな考えがふっとよぎる ことがありますが、大丈夫~という言葉が心のどこかから響いてきて、いつのまにか大丈夫にリセットさ せることが多々ありました。言い聞かせるというより本当に自然とです。
 
ひょんなことから忙しく体調を崩してやめた職場に8月から戻りまた仕事をしているのですが、さらにハードになっていて帰りが20時30分過ぎの毎日。
 
前ならダウンしてしまって夫にもあたってギクシャクしていたのですが、今は体も心も動けているんです。夫ともくだらないことで笑いあえり・・・
なにかが変ってきているように感じます。足がやっと地について歩いているという感覚です。
 
こうあるべきとか、頭がかた~い部分やまわりにながされていまったり、人の目をきにしすぎてしまったりなど、まだまだ私の中にはごみはたくさ~んつまっているのですが 少しづづゴミだししながら、自分をみつめなおしつつそしてもっとまわりのものをみていけるようになりたいです。
 
 
NO.109
今回初めて参加させていただきました。
参加するまでは、そんなに2日間も言いたいことなんてでてくるんだろうか?・・という感じで、今まで両親に対する本当の感情には、何事もないように
ふたをして生活をしてきました。
 
今回、母についてやることは決めていたのですが、小さい頃いやだったシーンなどを思い出すうちに、ものすごく強烈な感情が噴き出してきて、文字で書くのが追いつかないくらいでてきました。途中で姿勢や手が痛くなっても感情の方がおさまらず、どんどんでてくる感じでした。
 
書いているうちに、その言葉の中で一番反応が大きいものがいくつか絞られてきて、自分の『怒りの核』のようなものが少し見えてきたような気がしました。
 
子を思うあまり、すべてを束縛してしまうような行動が、監視されているように重く、うっとおしく、自由を奪われているようにずっと感じてきたということ。
勝手に何でも決めてしまう態度に、表向きには従ってこざるを得なかった、でも本当は自分で決めて、自分で行動したかったのにそれが伝わらずに今まで怒りをためて生きてきたんだなーということがわかりました。
 
自分の中に今まで、こういう種類の怒りがこんなにあるんだということに気づいたことはとても収穫だったと思います。その時々ではなんとなく感じてはいたものの大人になって、すでに離れて暮らしているにもかかわらず、親に本当のことを言うとすべて干渉され、台無しになってしまうような気がして、いつも警戒してあたりさわりのない会話しかしてきませんでした。
 
それで逆に母のほうがさみしい思いをしていることも分かってはいましたが、どうすることもできないまま今まできてしまっていたんですね。
 
最終日の2時間くらい前から、ようやく書いていてもあまり怒りが出てこなくなって、そのうちに、「自分も人に対してそういうこともあったじゃないか」とか、「母も人間なんだよね。人として自然な行為の結果だったのかもしれない・・」という思いが沸いてきて、書いている言葉が自分にそのまま向けられているように感じてきました。
 
その後は、感謝の紙のほうにも書きましたが、とても冷めた感じでたんたんと書いていた感じでした。怒りも感謝もどちらの感情もないようなそんな感じで終了になりました。
 
感謝しか出てこない状態にはまだ至っていないような気がしますが、はじめに感じていた大きな固まりにはほとんど怒りを感じなくなりました。まだ奥に別の何かが残っているかもしれないので、また今度挑戦してみると何か気づくものがあるような気がします。
 
今回参加させて頂いてほんとによかったです。
いままでこんなに怒りを持ちつづけたままでいたことに気づかせてもらっただけでも自分にとっても家族にとってもよかったんじゃないかと思います。先生、スタッフの皆様ありがとうございました。
 
NO.108
内観に参加させていただきありがとうございます。
自分の場合は、精神世界に興味があり、ある程度知識があったので内観の効果が信用できないってことはなかったです。
ただ、ネガティブな感情を出せば出すほど自分に還ってこないのかと不安はありました。でもいざ作業をはじめてみると書く前は考えるだけでイライラしてた事も、何度も書いていくうちにそのことを考えてもなんの感情も起こらなくなりました。
 
ごみが消えていってるんだな~と思いすごい不思議な感じでした。
自分の場合は、両親に対してって言うより自分に何かわだかまりがあってもやもやしてる感じでした。でも先生に両親に対しての事が近道だという話をきいたので、まず父親に対してゴミ出しを行ってみました。
 
自分の家は6人家族で金銭面で裕福とはとてもいえませんでした。
そんな家の状況と長男ということもありいといろと遠慮したり我慢したりしてたようで、その事に対する抑圧された思いがすごい溢れてきました。
頭では仕方がないと思って納得してた事も自分の中でゴミとしてたまっていたようです。
 
1日目は父、母、自分とゴミだしを行いました。
その時はスッキリしたと思ってたのですが、まだゴミが残っているらしく後でモヤモヤとした気持ちになってきました。
2日目がはじまってもそのモヤモヤがとれずにいました、両親に対しては出しつくしたと思っていたので、なんでこんな気持ちになるのかわからず、イライラしていました。
 
理想とのギャップにイライラしていて先生に相談してみると二つの紙に理想と現状を書き比べてみて、その心の動きを見てはどうかと提案いただいた
ので実行してみました。
 
すると理想と現状を比べて「こうならなあかん、ああならなあかん」と脅迫観念みたいなものがあるのに気づきました。
その感情をみつめていくと、途中で小さいころに熱を出した時の事が浮かんできました。
 
風邪で熱をだした時に、母親に「おまえみたいなんはどっかいけ」とつきはなれて、その時はなんで怒ってるのかもわからず不安でどうしていいのかわからなくなった事を思い出しました。
今思えば育児に疲れてたのかなと思えるけど、その当時はわけもわからず、できるだけ怒らさんとこうとビクビクして、顔色ばかりうかがってたような気がします。
 
心のどこかで条件つきの愛情というか、怒らせたら捨てられるとか、愛してくれないとか、思っていて、書いていくうちに、ありのまま愛して欲しい
とか、どんな事をしても変わらず受け止めてとか、ありのままの自分を愛してという気持ちがあふれてきました。
 
それを何度も何度も書いてるうちにスッキリして自分のモヤモヤの原因がわかった様な気がしてきました。
同時に自分がこのままでもいいんだという気持ちになってきて、理想どうりにならないと愛してもらえない、つきはなされるという思いが消えていきました。
 
それが自分に対するモヤモヤでもあり、それがすべて幼い頃の出来事が原因だったんだと気づきました。
まさかその時の事が今の自分にも影響を与えてるとは思わなかったのです。
それと幼い頃の愛情ってすごい大事だな~と思いました。
 
終わった後は、すごいスッキリして自分の中でわだかまってたものが消えた気がしました。
今はなんとなく物事がうまくいくような気がしています。
 
本当にありがとうございました。
 
NO.107
「母の愛の形は、私が求めているのと違うかもしれない。でも、それも愛なのですよ」この言葉が、毎日 頭から離れません。
 
私は「私が感じたい愛」だけを求めていたことに気づきました。
他の愛の形は受け入れたくなかったのです。
お任せしているつもりが、ちっともお任せしていなかったにも気づきました。
 
「自分の受け入れたくない物事を避けて嫌う心の狭さ・いつも何かが足りないと感じる飢餓感・こだわり・決め付け・」・・・いつも棄てたいと思っているのに、どぉしても消え去らない私のゴミが、内観の場でも現れていたことに気づかされました。。
 
母の愛が求めていた形ではなくても、喜んで受け入れられる心になりたいです。
その形だからこそ、私が気づき成長できるのだと感謝したいです。
でも、まだその「違う形」がなんなのかは感じられませんが。
 
群馬から帰った夜、母はいつものようにご近所や仕事仲間の悪口を私に話しました。。(以前より増えたような気がします・・)
この場合私は、返事をしないか「へ-」と聞き流すようにしています。
以前は「そんなこと言わない方がいいんじゃない??」と諭すような(?)言い方をしていましたが、それが母は頭にくるようで、余計に不機嫌になるので、辞めました。
 
でも、その夜は悪口を言う母に例えようもない嫌悪と悲しさを感じてしまい、必死に感情を押さえて「人の家のコトは分からないから、私には分からないよ」と応えると、母は機嫌が悪くなり、逆に攻められてしまいました。
 
母が私に「そぉなんだ~。へ-」と同調してほしいのは分かります。
そぉすれば母にとってストレス解消になることも分かってます。
でも、出来ません。。悪口を聞くこと自体イヤですし、母がゴミをどんどん溜めていくのを黙って観ているのもツライ。
それとも、総てをありのまま受け入れればいいのでしょうか。。
総てを受け入れるという事は、悪口を言う母に対して、どのように接することなのでしょうか。。。
 
皆さんの内観感想を拝見すると「母がやさしくなった・変わった」という素晴らしい変化を遂げているのに、、私は、群馬から帰った夜に早速、母と険悪な雰囲気になっている、、。
 
ここ数日間、頭の中を、どぉしたらいいんだろう、がグルグル回ってます・・。
私自身が変わるしかないことは分かります。。。
今の状態から、私が気づける何かがあるのだとも思えます。。
でも、どぉしたら変われるのか。。。 何に気づけるのか・・
 
人や物事に心を開きたい・有りのままの自分でありたい・総てを受け入れたい、と願っているのに、、それが出来なくて苦しいです。
人と接している時に、自分を出せないことが苦しいです。
 
・・感想と言うより、泣き言になってしましました。。
今回の内観は、今までとは何か違いました。
内観を受けるたびに、自分の中の捨て去りたいゴミが浮き彫りになるのに、そこから自分が動けないでいるような違和感と疲れや焦りを感じ、カラ回っています。
 
考え過ぎなのだろうと思います。
この文章を書いていて、やっぱり私は何事にしても「お任せ」していないのだなぁ・・と今気付きました・・(苦笑)
 
随分後ろ向きな文章を長々と読んでいただきすみません。。
ありがとうございました。
 
NO.106
小野先生、スタッフのみなさん、3日間 どうもありがとうございました。
たくさんのゴミがでました。 自由を奪いたいとか 殺したいとか、その他色々。
 
今回僕が感じたのは僕は感謝の気持ちが少ないということでした。
内観をしていくたびに自分がどんどんやなやつに思えてきました。 
なんとかそれを正当化せずに受け入れるので必死でした。 
中学くらいだったと思います。親に反抗しまくって、挙句ひとりで、もう こいつらは金や、金の為だけに存在しろ、などと思ったことが、あります。
 
このあたりに、人にお世話になるイコール自由をうばわれるのような式が僕の中にねずいたような気がします。 
理由ははっきりと覚えていませんが、おそらく僕は、この辺からずっと一人で孤独な汚い戦いを現在まで続けてきた気がします。
後将来、絶対金持ちになってこいつら買収したる、とまで硬く決意したのも覚えています。 
 
僕はとても悪い子です。 でもいい所もたくさんあります。
僕はこの当時の気持ちをずっと持ち続けていましたし、こんな自分がとても好きです。でも何かおかしいというのもわかります。 
一度あきらめていた少し壊れ気味の僕ですが、自分の良い部分、悪い部分、ごめんなさいといいたい部分を知って、本来の自分に戻りたいと思いますのでどうか、よろしくお願いします。 
 
NO.105
8月の内観に1日だけ参加させていただきました。
1度めの内観に引き続き、父のことを書き出していました。
午前中は、前回書いたのとほぼ同じ内容のことを黙々と書き出している感じでした。
 
ところがお昼をはさんで2時過ぎたころからだったか、不思議なほどイライラとして息苦しくなり、すぐにでも席を立って外に出たい!叫びたいような気持ちになり、どうしたものかと自分でも驚いていました。
 
そこで、丹田の調整とカウセリングのために来てくださったのでそのことを伝えると「いい感じじゃないですか~。逃げないで頑張ってください」とおっしゃって頂き、これでいいのか・・と安心してひたすらムカムカしていました。
 
どれくらい経ったのか、あるところで言葉が浮かばず、頭がからっぽになって思考が停止しているような時間が15分くらいありました。
そのとき何故か誰もいない湖のイメ-ジを見ました。夕方近くで波がゆったり押し寄せていて心安らぐ感じがしました。
これは何だろうと思ってしばらくすると、また少しずつゴミが出てくるといった感じでした。これはゴ-ルとは違うらしいと悟りました(笑)
 
ゆっくり、焦らずゴミ出ししていこうと思います。
今回一日でも参加をしてみて、やっぱり良かったんだなぁと感じます。
長文ですみません。。ありがとうございました。
 
NO.104
先日は内観にて大変お世話になりありがとうございました。
初めての内観でしたが、「きっととても時間がかかるだろうな」と思っていたので、2日間では、母をクリアーできませんでした。
 
しかし幼いころに感じていたブラックホールの中に吸い込まれるような尽きることのない不安感、孤独感、悲しみ、あきらめ、疑い、また大人になってからの価値観の相違からくる悲しみ怒りそんなネガティブな思いを涙と書き出す作業で出させていただいたおかげで大分すっきりしました。
 
面接時に、書き出しの取っ掛かりに気付かせて頂くと感謝の言葉や、文句も再び書き始められたのですが・・・
ただ「わが子に苦労をさせたくない」と思う気持ちから出るエゴでも「自分さえよければ他はどうでもいい」という母の考えは、私にはどうしても納得いかずそこで感謝の気持ちはふんづまってしまいました
 
もし私一人でこんな作業をやってもすぐ投げ出していただろうな。まさしくネガティブな思いだけが残って気分が悪いままだっただろうなと改めて思いました。
 
NO.103
私は、両親に対してのゴミは、少ないと思うんですね。
感謝の気持ちでいつもいっぱいです。
それに到達するような出来事があったため、私は、その、出来事に対して絡んだ人のごみだしを今回させていただきました。
 
ゴミは出し切れていませんが、内観2日目、その出来事のゴミを書いていたペンが止まり、母への感謝があふれて、胃の辺りが熱くなり、そして体中が震えてきました。
 
出てる? 私のゴミさん。そんな気がして、少し軽くなりました。
感謝の紙まで到達できませんでしたが、帰って、自分がいつもは見えないものに敏感になっていることに気づきました。
今までは見えなかったものを感じれると言うか・・・・・・・
浄化された証拠でしょうか?
 
NO.102
GWは父、そして今回の内観は母をさせていただきました。
書き始めにものすごい雑音の記憶がよみがえり、辛辣な言葉が出てきました。
それが消えたとたん、感謝が始まり・・・1日目はとにかく、眠く寝てました。
 
実際、まわりで、勢いよくカタカタと書く物音が絶え間なくしているところを私は寝てました。ただ、その音を聞いているときに、「私のかわりに内観をしていてくれるのがうれしいな~」って勝手な解釈をしてました。普段、試験の時など、人が書いている音はすごい気になるのに不思議でした。
 
 母の記憶を辿るとただただ、よく怒られてました。
「子供は子供の世界があるから大人の中にははいってこないように」と。
先日は私は何度かの「お子様連れでいらっしゃってください」とのメールに母へのいらだちがこみ上げ出来ました。
 
メールを読んでいると4歳か5歳への自分に戻っていったようで、どうして、大人は自分の理由で、子供と大人の世界を区別したがるのだろうかとわき上がってくるものがありました。
あの時から私の内観はすでに始まっていたようです。
 
1日目が終わり、私はホテルのベットから落ちました。
子供のころものすごく寝相が悪く「夏は毎日3回転半」くらいしてたらしいです。
 
2日目になり、母親にかまってほしいと思う記憶が出てきました。
自立した大人になるように昔から母は私の甘えはゆるさなく、よく、屋上に裸足で出されてた記憶、勉強やおりがみ、あやとりを教えてもらっていたのも祖父で一番かまってほしいのにあまりかまってもらえなかった記憶がよみがえりました。
 
そうしているうちに、昔の癖が出てきて、子供っぽい言葉使いや文字で書いていたり「どうしておこるの?なんでおこるの?」という訴えかけるような言葉が出てきて落ち着きがまったくなくなり、鉛筆をにぎってぐるぐる線を書いていたり、ほおっぺたをふくらまして怒ってみたり・・・幼児退行意識に入っていきました。
もともと左ききだったのを直されていたので、左手で書き始めたり・・・面接に行った時、大人の自分にかえっていたようです。
 
お腹の中の意識が出てきた時に、あの最初に味わった雑音と苦しくて息ができなくて流されそうになったことが思い出しました。そしてその後、母が救ってくれたのではなく「阿弥陀様が救ってくれた」ということにハタと気がつきました。母のストレスを私は肩代わりしていて、それをアトピー性皮膚炎ということで免除していただいたのも「阿弥陀様」ということに気がつきました。そのあと、感謝の言葉しか出なくなりました。
 
面接に呼ばれて、「母への感謝とは少しずれてしまうかもしれないのですが、私は『阿弥陀様に救ってもらった』」という意識が出てきました。」といったら、それでもいいですよ。とのことだったので・・・ありがとうございました。
 
私は、中学から大学まで浄土真宗の学校に通ってました。高校から大学まで真宗のお寺でアルバイトもしてました。
単に、偏差値もそのくらいだったし、なんとなくたいした意識もせずに入学しました。それ以上、何か縁もゆかりもあるとも思わなかったのですが、生まれてくる前に「阿弥陀様と約束」を交わしていたようです。
 
思い起こせば、中学に入って、高校に入るくらいから母に怒られることもなくなり関係はよくなっていました。
最近、ふと本やで立ち読みしていた本が五木寛之の本。ここにも他力の話やらいろいろと共感できる部分が出てきて・・・「法然、親鸞、蓮如」と出て来ました。
源の光が使わしていただいた、阿弥陀様のお導きにより自分の歩んできたルーツの理由がわかったことに私はびっくりしました。
 
一年くらい前にある方から「あなたのアトピーはお母さんのお腹の中のストレス」と言われたことがあります。「まず、お母さんを許しなさい」と。ただ、今関係も良好なのに「??」と思いはありました。
内観を受けてみて、その意味がわかりました。
 
自分が親になる前に、小さい頃に作った大きなわだかまりを取り除くことが出来てほんとよかったなと思います。
「ゆるすこと」は「自分への癒しにつながる」と感じた瞬間でもありました。
自分への癒しが世界に広がるようになれたらな・・・。
 
今日、電車に乗っていると小さな女の子がまだ電車にのるんだと駄々をこねてました。もう降りる駅で、お母さんはその子に「静かに!」と。
私は「昔は私もあーだったんだなぁ」とほほえみながら電車に乗ってました。
 
夏休みにまたひとつ大切な経験をさせていただきました。
あの場にいらした方々、あの場を提供してくれたすべての方々、そして、見守り続けていただいた方々、ありがとうございました。
 
NO.101
私が集中内観に参加したのは6月に続いて2回目でした。1回目と同じ母について今回も行いました。
私は学生の時に父親を亡くしています。そんなに早く亡くなるとは思ってもみなかったので、その当時は父に対して、邪険な態度をとっていた時期でもあり、もっと父にやさしくしてあげてればよかった。と激しく後悔しました。
 
父に親孝行できなかったという思いがあるのだったら、今まだ元気にしている母親に対して、親孝行してあげればいいんだ。ということは理屈ではわかっているし、そうしてあげたい気持ちもあるのですが、現在、母親と一緒に暮らしていないこともあり、何かと母親を避けていたり、電話がかかってきても、早々と話を終わらせて、きってしまったりしていました。
 
だからといって、特に母親と仲が悪いというわけでもなく、また母親に対してわだかまりがあるということは意識していませんでした。ただ、自分が母親に対して、やさしい気持ちになれないことに、何か原因があるのだろうと考えていました。
 
今回は内観の作業で、母親の何に対して自分が、悲しかったり、納得できなかったのかをはっきり知ることができました。でもそれがわかって紙に何度も何度も書き出しても、許せる気持ちにはなかなかなりませんでした。
途中、作業そのものが進んでいる気がしなくなったり、やっている方向が間違っているのかと思ったり、私にはこの作業をやりとげることはできないんじゃないかと感じたりしました。
 
それでも面接でアドバイスを受けたり、励まされたりしながら、作業を続けていたら、なぜか紙に書き出すごみがなくなって、「私は母親に愛されてるんだ」ということを感じました。
少し前まで、悲しくて涙がでていたのに、自分を愛してくれている母に対して感謝の気持ちで一杯で涙が出てきました。とても不思議でした。
 
この内観で自分が今までとは少し違う自分になったような気がします。うまく伝わらないかもしれませんが、とにかくこんな気持ちになることができて本当によかったです。自分ひとりでは到底このような気持ちに到達することはできなかったと思います。先生をはじめスタッフの方、ご一緒させて頂いた皆様、本当にありがとうございました。