究極の幸せ 内なる静けさ
我々が感じられる幸せは、2種類
一つには
幸せだな〜と感じられる理由(条件)が、そこにあります。
・念願の子供を授かることができた
・一戸建ての家に住むことができた
・治らなかった重い病気が治った
・希望していた大学へ入学できた
などなど、「何々だったら、幸せ」というように、幸せと感じられる具体的条件があるという幸せ。
そして、もう一つには
幸せと感じる理由がないのに、ただ、ただ、幸せ |
「何々」だったら幸せという「何々」がありません。無条件で、ただ、ただ、幸せと感じられる世界です。
両者の明確な違いは
1)前者の幸せは、幸せの対象があります。
外に目を向け、自分を満たしてくれそうな幸せの対象を探し、それを得るために、ひたすら努力を続ける必要があります。
2)後者の幸せは、幸せの対象がありません。
自らの内側に意識を向け、心の奥へと潜水ダイビングのように、深く、深く、潜ってゆく事で出会える真の幸せです。
人のこころの深い奥を
もっと、もっと、深くつき抜けて
更に、さらに行ってみなさい。
そこには、歓びも悲しみの流れもなく
一片の思考のさざ波さえもない
静謐で時間なき空間
全体のなかの部分は
部分のなかの全体であって
ただ、「一なるもの」
これこそ叡知、慈愛、善性、神聖
そのものであると気付くでしょう。
私は、この詩がとても好きなので、額に入れて、自分の部屋に飾って、日々、眺めながら暮らしています。
人のこころを、深く、深く、掘り進んでゆくと、そこには、幸せの原点(光)がある。その光に触れたとき、真の幸せを感じられます。要約すると、こんな感じかな〜?
たとえばですが、台風の時には、海の表面は大荒れ(高波)です。
その海を、10メートル、20メートル、100メートルと、深く潜るにつれて、波の影響が少なくなり、辺り一帯が静かになってゆくと想像できます。
人の心も同様に、深く潜れば潜るほど、静かになります。
静けさ 即ち 究極の幸せ |
何々だったら、幸せ! 何々であれば、幸せ!
という「たら、れば、幸せ」とは、ひと味違います。
「何もないけど、ただただ幸せ」と感じられる究極の幸せ。
そんなに素晴らしい「幸せ」があるということでしたら、誰もが皆、自からの「心」の海を潜ったらいいじゃないの! と思うわけですが。
ですが、そう簡単にうまい具合にはならないのです!
何故かというと
自らの心の中を潜る過程において、必ず、様々な心のゴミ(ネガティブ因子)が邪魔をするからです。
心のゴミとは
「怒り」「憎しみ」「恨み」「恐怖」「不安」「悲しみ」「後悔」「罪悪感」「自己否定」「辛い過去の記憶」など、さまざまなネガティブ因子が、我々の心の奥深くの領域には溜まっています。
仮に、人の心を海だと思って下さい。
そして、その「心の海」をダイビングのように深く潜ってみて下さい。必ず、上記した「ネガティブ因子」と、ぶち当たります。
仮に、恐怖という「塊(かたまり)に、ぶつかったら、それはもう、大変なこと。
「わ~~ 怖い!」ということで、怖くて、怖くて、引き返すか、逃げ出すか、それとも、最初から、そんな怖い思いをしてまで・・・と、もう、二度と、心の海を潜ってみることはしないでしょうね?
以前、記述式内観を体験された、ある方からメールを頂きました。
そのメールの内容を一部拝借しますと・・・
魂の深い所に触れるのは非常な恐怖感を伴うもので
人はそれを避けるためには何でもする
ということが、そのメールには書かれていましたが、まさに、そんな感じなのです。
あまりにも「的を得た素晴らしい表現」だったので、そのまま使わせて頂きました。
ありがとうございます。
昔から、自分自身の心をよく見つめなさい。と言われていますが、言うのは簡単 でも、しかし、いざ、実践となると、なかなか大変な事なのです。
記述式内観ですが、「内観」という字をよく見ていただくと、エッ、内を観ると書いてあるではないですか?
記述式内観のやり方に関する内容だけを読んでいると、親に対しての悪口を書くことが、記述式内観だと勘違いされてしまうようなところがあるようですが・・・
実は、
記述式内観とは、自らの内側を観る。
そして、必要のないゴミは断捨離する。
この作業をして頂いているだけなのです。
自らの内側を観るといっても、今までの人生の中で、たくさんの心のゴミを心の奥深くに溜めてしまっているので、いきなり光の部分(感謝)を発見できる人は稀ですから、まずは、心の断捨離から始めることをお薦めします。
実際に自分自身の内側を観察して頂くと、よく分かりますが、あまりのゴミの多さに嫌気がさして、続ける気力がなくなります。
「もうこれ以上、心のゴミと向かい合うなんて、うんざりです!」となってしまうこともあります。
ですので、それを、独りで、やり続けることは、なかなか難しいという感じのです。
そこで、登場したのが、 研修スタイル!
心の断捨離に焦点を絞り、短期間の内に、一気に消す!
心のゴミさえ、うまく捨て去る事ができれば、誰でも光(感謝の領域)の意識にたどり着くことができる。
・・という発想の元に「心の断捨離」に特化した研修となっております。