記述式内観タイトル

NO.51〜60


 
 NO.51

私の人生は
・何をやってもつまらない
・常に何かに追われている感じ
・何をやっても空回り
・努力しても報われない
・心に安心がなく自信がない
・人の目を気にしすぎる
・本当の自分とは何か未だに分からない

といった「人生つねに曇り空」のイメージでした。
 
それを克服したいがために長年、
・プラス思考
・自己暗示
・座禅
・お経

などいろいろやってみて、それなりに学ぶところはありましたが、目に見える効果はありませんでした。
 
そんな流れでこちらにたどり着き、
ダメもと覚悟で研修を受けてみました。
 
「感情を書き出す」
ただそれだけで心が掃除できるという、
単純明快な方法論でした。
 
しかしこれが簡単ではなかったのです。
・どうしても頭で考えてしまって、うまくいかなくなる
・なにも感情が浮かばなくて、焦ったり、諦めそうになる
 
結局、母親編だけで7回もかかりましたが、
どうにかゴールまでたどり着けました。

それは「先生のもとで指導を受ける」
という形だからこそ可能だったと思います。
 
焦って先を急ごうとしてもすぐに見抜かれ、
諦めてごまかそうと思ってもまた簡単に見抜かれ、
やさしく、ときには厳しくアドバイスをくださり、
そしてつねに励ましていただきました。
 
結果として私は、
・子供のころからむやみに忍耐、努力を強要されていた
・母の価値観に縛られていた(いわゆるマザコン)
・自分で勝手に「家族の幸せ」という重荷を背負っていた
 
以上のことは以前から自己分析をしてある程度は自覚はしていましたが、
内観法をやることで出るわ出るわ・・・

溜まりに溜まった怒り、不安、恐怖、悲しみ、ゆううつ、といった想いが、
いつまで続くのかと思うほど溢れてきました。
 
そしてそういうネガティブな想いがだんだん出なくなるとともに、涙がこみ上げるような感覚が出てきました。
 
それは目新しいものではなく、
いつもそばにあるけれど忘れていたような感覚で、
「ああ、そうそう、こんな感じ」
といった、やさしい、いとおしい気持ちでした。
 
それはうまく表現できないのですが、
あえて言葉にすれば「感謝」「慈しみ」といった感覚です。
まさしくそれが「真我」というものだろうと思います。
 
おかげさまでうまくゴールにたどり着きました。
いきなり「人生の大転換」とまではいきませんが、
なにか目に見えない足枷がなくなり、心が軽くなった感じがします。

つまり「人生の大転換」に向かっての一歩を踏み出したということだと思います。
 
私なりにこの内観法でわかったこととして、
・努力の方向が間違っていた
・間違った努力はすればするほど苦しくなる
・思考の使い方が間違っていることが苦しみの原因
・思考しないことの重要性。知性の限界
・なにごとも独学ではほぼ不可能
・きちんとした先生の指導が必要
 
以上のようにいろいろ学ばせていただきました。
ここまで来るのに右往左往してきましたが、それもまた勉強だったと思います。
 
しかしながらまだまだ道半ば、これからもご指導をお願いしたいと思います。
本当にありがとうございました。



NO.52

内観をしてみての感想は、1日目、2日目の終わり頃まで、父親、母親のゴミ出しをして、自分はけっこう両親にだいじにされていたんだなーという感謝の気持ちが出てきたこと

親に対して何かしてほしいとか思うんじゃなくて、この世に生まれて来られただけでも、もうけものと思う位じゃなければいけないんじゃないかなーと思いました。
 
私が驚いたのは、自分の中にたくさんの不安と恐怖心があるのがわかったことです。
 
それらのゴミを取り除きたいとは思うのですが、あのときの気持ちがまた出てくるのはいやだなーという気がとても強いのです。

でも、これは避けて通れない事だというのは、自分でも分かっています。時間を見つけて、また、内観に参加したいとと考えています。



NO.53

初めての内観のときは、2日間母のゴミ出しをしました。
 
その後、母との関係がすごく良くなったかと言えば、そう簡単ではありませんでしたし、前回はこんなにあったのかと思うくらいゴミが出ましたが、まだまだ掘れば出てくるように感じていたので、今回も母から始めました。
 
始めてみると案外ゴミが出ず、「ごめんなさい」が少しずつ出てきました。
無茶をしていた若い頃、母とは何ヶ月も口を聞かなかったことがありました。
 
それでも頃合いを見ては的を射たアドバイスをくれたり、口では言わずさりげなく「悟りのお守り」を渡されたこともありました。
 
そのころの様子を思い出し、私が母の目を通して私を見ているような感覚を味わいました。
 
反対の立場であったら、できただろうか。ずっと見守ることの難しさ、懸命に努力している母の姿を見たように思いました。
 
そのとき、私は母に心からあやまったことがないことに気がつきました。
素直に「ごめんなさい」を言ったことがなかったのです。

「何で私があやまらなくてはならないのか、こんなふうに育てたのは母なのだから、母が悪い」とずっと思っていました。
 
先生には、分析しないで、ただ思ったことを書くようにと軌道修正されましたが、今回の内観を終えてもまだ母に対しては深いゴミがありそうです。
どうしても、心からの感謝が湧いてこないのです。



NO.54

内観を終えて、翌日は実に楽しい気分でした。
その次の日からは、かさぶたがはがれたように、いろんな感情がむき出しになりました。
 
今、子供の頃から弱かった扁桃腺がはれています。これも浄化のひとつなのだろうと、解釈しています。
 
それから、顔や、手足の自発動がしょっちゅう起こります。
今朝も出勤の地下鉄の中で、顔面が動き出すので、寝たふりをして下を向いていたわけです。ガハハハ。
 
正月には入院中の妹も含め、兄弟で集まりました。妹のうつ病はかなり回復しているようですが、何かに依存する性質がどうしてもよくならず、買物の次はお酒、人、などいろんなものに依存しています。

退院してからのことが心配ですが、次の内観まで、明るくくらしてみよう、そう思っています。そう思えたことが、今回の内観に参加させていただいた一番の効果であったかもしれません。

感謝の言葉は全くかけなかったけど、とても有意義でした。
重ね重ねありがとうございました。また、よろしくお願いします。



NO.55

今回内観には、自分のことが嫌い・いつも何か不安な気持ちが心の奥底にあってそれをみないふりをしてあえて明るく振舞っている・・・
 
そんな日々になにか糸口が見つかるといいかなと思い参加しました。
両親に対しては、特に不満もなく、自分では良い関係がつくられていると感じていま した。
 
先生のアドバイスで、両親に対してやってみてはとのことで初日は母へ2日目は父 へゴミだしをしました。
 
最初は感謝への言葉からあれこれと書いていたのですが、だんだん幼かったときに不安を感じていたときの記憶やもう納得していると思っていた母から遺伝した病気のことなど、心の中のゴミだしが始まりました。
 
何でこの世にうまれてきたのかな~居たくないな~など背筋が寒くなるような感じと不快な気持ちに取り乱してしまったとき、スタッフの方が声をかけてくださりまとまりのない私の言動にアドバイスをくださりました。
 
そのときのあたたかさと心地よさに支えられ、ゴミだしをつづけることができました。
 
その後ずっと大丈夫 大丈夫・・・・・・・の文字を何回も書きつづけながら、今までにはない母への感謝の気持ちが湧き出てきて「あ~守られている。」と、とっても、とっても、あたたかくなってきたのです。
 
あれれ・・・あの背筋の冷たい感じはどこに行ってしまったのかしらと自分でも不思議に思ったぐらいです。
 
2日の父へのゴミだしも 想像以上にでてきてびっくりしましたが、最後には、感謝の気持ちがじんわりと沸いてありがとうございますと、ひたすら紙に書いて終了しました。
 
両親に対して、感謝していると日々思ってはいたものの、今回の内観でこんな風に同じ感謝という言葉では言い表せない深い感謝を感じられて幸せでした。 
スタッフの皆様、ありがとうございました。



NO.56

先日は、内観でお世話になり、ありがとうございました。
母について内観をさせていただきました。
 
わたしは、最初から終わりまでずーーと書き続けていました。
我慢していた思いがたくさんあることに気づきました。

父と楽しく仲良くしてほしい。いつも笑っていて欲しい。母の笑顔が見たい。そんな思いがとても強く 自分がそのときどんな思いを感じていたのかを何度も何度も紙にかきだしました。

そのうちにだんだん自分から母へと意識が移ってきました。母の気持ちがわかるのです。
 
母も私と同じ一人の人間なんだなあ。ずるい時だって弱い時だって悲しい時だっていろいろあるんだなあ。それなのにいつもあきらめず私を産む決意をして育ててくれていたんだなあ。ありがたいなあ。お母さんありがとう。

私今、ここにいることが出来てとても嬉しいです。といった思いが次から次へとあふれだしどんなこともありがとうにつながるおもいをたくさん書き出しました。
 
内観から戻って先日母と会ったとき最高の笑顔に久しぶりに出会えました。
その瞬間私の中で幸せな気持ちがぶわーーと広がるのを感じました。
 
そして今日、内観から1週間がたちました。私の中で内観へ参加して以来確実に変わったことがあります。
 
しかし言葉にするのが難しくて。
なにかが生まれた感覚なのです。
それは、そして私の中で育ちはじめているような感じです。

”確信””いさぎよさ””覚悟”・・・
ネガティヴな感情が減ったわけではないですが、思いに引きずられることは、少なくなりました。
 
そのたびに川を汚すまいと思っています。(笑)
そして内観で感じた自分の体験を大切にして人の役に立てる自分でありたいです。
 
皆様に暖かく寄り添ってもらい内観をし続けることが出来たと思います。
ありがとうございました。



NO.57

先日、内観を受けてから1ヶ月が過ぎ、”もう後少しだけ前の主人に対して、内観する事を先生に聞いていましたが、自分では1、2時間時間があれば・・くらいに思っていたのですが

2時間ぐらいの予定が、お昼1時くらいから始めたのですが、結局、夕方6時半まで時間が経ってしまってました。
 
出来たから良かったのですが・・
でも、それは途中で、仕方なくその日は終わりました。
 
それからまた、2日くらい経って、先週です。
もう1度、内観をやれる事が出来ました。
 
そして 今、心は落ち着き、表現するなら・・
とてつもなく、大きな何かが・・本当に大きな私のすべてを支配していた何か・・・を・・取り去って行かれた・・

無くなったというより、取り去って行ってくれた。
ゴミ・・というなら、とても大きなゴミを取り去ってもらったんだ・・と 思います。

ブルドーザーで、掻きだし、その大きな固まりを持って行ってもらったような気がします。
 
今だけ・・というのではなく
この元に戻って来ている自分は、日に日に時間が経って行けば さらに進み、いつになっても『あの内観が きっかけで、あの時で 私は変われたんだ』と、それまでの地獄のような日々と共に、思うと思います。
私は救われた・・のでしょうね・・。

自宅で行った、2度目の内観が終わった時そう思いました。
なんだか少し、書くつもりがいろいろ書いてしまってます。
 
とりあえず・・で 始まったのですが、と、いう訳で、まだ日は浅いですが、
ありがたく、安らかな、すばらしい日を頂いております。うれしいです。導いて頂いて、本当にありがとうございます。



NO.58

こんばんは、○○です。

ところで、昨日またひとつ解った事がありました。
以前、母との何気ない会話の中で「あなたは産む予定の子ではなかった」と言われた事を思い出しました。

なので次回の内観ではこの言葉と向き合ってみようかと、ぼんやり考えていた時、突然、母のお腹の中にいた時の自分の決意を思い出しました。
 
母が私を産もうと決心してくれた時、私はその事がとっても嬉しくて
『お父さんとお母さんになるべく迷惑をかけない様にするからね!!』と、
自分自身に誓いのようなものをたててこの世に産まれてきたみたいです。

私の存在が両親や回りの人達に迷惑をかけませんように…
できる事なら私がここにいるという事実を誰かに喜んでもらいたい…
その気持ちがいつの間にか強迫観念にすり替わってしまったようです。
 
この事が解った瞬間はもう、またまたボックスティッシュを取り出して、ぽろぽろと浄化の涙を流し、自分の闇というか、ネガティブな行動の訳がすべてがつながった安堵感を覚えました。
 
この三日間で初めて知った両親の愛の深さ、自分の闇は誰のせいでもなく、ただ自分で自分を追い込んでいただけだと理解できた事、それのどれもが、ただただ嬉しくて・・・
 
では、次回の内観を楽しみにしています!



NO.59

こんにちは~ 先日は内観で、大変お世話になりました。
今からでも、父と母を好きになれて良かったです。ありがとうございます。感謝しています。

お化け屋敷に入るような覚悟で臨んだ内観でしたが、実際は、自分が主人公の涙の出るミステリー小説を読んでいるようでした。

両親の内観を受けさせていただいた後は、夫との間にあった見えないバリアがなくなった感じです。話も通じるようになりました。ミラクルです!
 
内観のおかげで、今まで気づかないフリしていた気持ちや、全く気づいていなかった気持ちを「やっぱり、そうだったのか~」 「本当は、そう思っていたんだ~」ということがわかって、おもしろかったです。
 
両親を許していない自覚はなかったけど、私の心は納得していなかったようです。「心から」「心より」という言葉には深~い意味があったのですね。
 
自分を許せないことで、自ら苦しみをつくっていたんだ。
『ゴミ』は『ギフト』だったのかもしれないなと、思えるようになりました。
これからは、もっと自分を受け入れて、もっと自由になりたいです。



NO.60

内観に参加させて頂き、ありがとうございました。
私は、内観を受けることに、期待をしていました。
終えた今、それは、想像以上であった事に驚いています。
 
私は、小学生の頃から母の事が嫌いでした。しかし、結婚して親になり姑で、苦労するうちに、だんだんと、母へのこだわりが消えていったと、思っていました。
 
母は、不器用な人で、家事が苦手で、要領が悪く何をしても時間がかかっていました。いろんな事が重なると、処理しきれず、パニックに近いような状態になっていました。
 
そんな時母は、『子供なんて産まなければ良かった』と言っては、ため息をついていました。

その言葉を聞くたびに、私は、『こんな母親には決してならない、母は反面教師なのだ母には頼らない』と自分に言い聞かせていました。
 
内観をはじめると、当時の記憶が甦り、涙があふれ出て、次から次にゴミが出てきました。それはまるで、心の叫びを手が代弁しているかの様に、書く手が動いていました。
 
何時間も、ゴミを出しを続けた後、ボォーと放心状態の様になり、母は、不器用で愛情表現が苦手だったけど、本当は、こんなにも、私の事を愛してくれていたんだと、愛されている事に気が付きました。

それと同時に、今まで感謝の気持ちを持たず、自分の力で生きてきたように思っていた自分の傲慢さ、謙虚さの無さに気づかせて頂きました。
 
今、母をとても身近に感じています。
その心地良さに包まれて、感謝の気持ちで一杯です。

そして私が、この世に存在している事のありがたさを、感じています。
感謝いたします。ありがとうございました。