聴くこと/パワー

 
スタッフのひとりとして私(小野若子)が感じていること・・・
 
「聴く」ことのパワーが十分に発揮されると、どんなことが起こるのでしょう?
 
以下、少し長くなりますが、1986年に映画化もされたミヒャエル・エンデの物語
「モモ」から引用させていただきます。
 
「小さなモモにできたこと、それはほかでもありません。
相手の話を聞くことでした。
なあんだ。そんなこと! とみなさんは言うでしょうね。
話を聞くなんて、誰にだって、できるじゃないかって。
 
でもね~ ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものですよ。
この点でモモは、それこそほかには例のないすばらしい才能をもっていたのです。
 
モモに話を聞いてもらっていると、今まで、気が散って、自分の考えがまとならないな~
という人でも急にまともな考えがうかんできます。
モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問したりした。
というわけではないのです。
彼女はただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。
 
その大きな黒い目は、相手をじっと見つめています。
すると相手には、自分のどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが
すうっとうかびあがってくるのです。
 
モモに話を聞いてもらっていると、どうしてよいかわからずに思いまよっていた人は
急に自分の意志がはっきりしてきます。
ひっこみ思案の人には、急に目のまえがひらけ、勇気が出てきます。
不幸な人、なやみのある人には、希望とあかるさがわいてきます。
 
たとえば、こう考えている人がいたとします。
おれの人生は失敗で、なんの意味もない。
おれはなん千万もの人間の中のケチな一人で、死んだところで、こわれたつぼとおんなじだ。
別のつぼがすぐにおれの場所をふさぐだけさ、生きていようと死んでしまおうと
どうってちがいはありゃしない。
 
この人がモモのところに出かけていって、その考えをうちあけたとします。
するとしゃべっているうちに、ふしぎなことに自分がまちがっていたことがわかってくるのです。
いや、おれはおれなんだ、世界じゅうの人間の中で、おれという人間はひとりしかいない
だからおれはおれなりに、この世の中でたいせつな存在なんだ。
こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!」
 
どうやらこの物語の主人公「モモ」は、セラピストでもカウンセラーでもなく(笑)
相手を癒そうとか何かしてやろう、な~んてことは、これっぽっちも思っていない、
小さな子にすぎないのかも知れませんが、こんな風に聞いてもらえたら、
誰もが、モモに話を聞いてもらいたいなぁと思うのではないでしょうか?
 
私自身も、「モモ」に書かれているように今「ほんとうに聞くことのできる人は、
めったにいない」と感じます。
 
でも、この「本当に聞くこと」には、とても大きな癒しの力があること、
だからこそ「本当に聞いてもらえる」場というのは、とても大切だし、
今とても必要とされていること、と思うのです。
 
私自身もただ、ただ聞いてもらいたいだけなのに・・・
と感じる場面がいくつもありました。
 
私が気持ちを打ち明けた時に、それってこうじゃない?とか
こうすべきだよとアドバイスをくれる人がいます。
それは、ありがたくもあり、確かに、そういったアドバイスが必要で
私自身が相手にアドバイスを求めて、話をすることもあります。
そんな時は、相手の方の体験談や情報、励ましなどが大きな助けとなり、
問題解決の糸口や勇気になることもあります。
 
だから、アドバイスなんて私はいらないのよ、な~んて強がるつもりも
自分が助けを必要としていない人間だなんて気持ちは、全くないのですが、
でも、時々相手の言葉を聞きつつ、う~ん、なんか違うんだよね~
と感じたり、どこかホントのことを受け止めてもらえない空しさで
話さなきゃよかったかな・・・と思うこともあるのです。
そんな時、ただ、聞いてもらいたかっただけなんだけどな~と思うのです。
 
さらに、あるカウンセリングの勉強会で、お互いカウンセラー役と
クライアント役になって、模擬体験をする場面がありました。
私がクライアント役で、話し出してまもなく、カウンセラー役の方に
それは、あなたの中にこういう気持ちがあるからじゃないですか?
だから、これはこうで、こう思った方が楽ですよ、みたいな事を言われ、
すっごく腹が立った経験があるのです。
 
たぶん相手の方は、私に必要だと思うことを善意で、語ってくれたのに違いありません。
でも私には「わかったようなこと、簡単に言うなよ!」という怒りが湧いてきたのです。
 クライアントなのにね~(笑)
「まずは私の話をしっかり聞いてよ!!」って。
「聞いてもらいたいことは、そうじゃないの。」
「わかってもらいたいことは、そんなことじゃなくて・・・」と心の中で叫んでいました。
 
ホントの気持ちを言葉にしてわかってもらうことは、とても難しいことなんですね。
 
でも、ありがたいことに私は、別のワークショップでは
ただただ、心に感じていることをそのままに語り、
それを聞いていてもらうというチャンスに恵まれました。
 
そこでは、じっくり耳を傾け、聞いてもらう中で、私は少しずつ心の扉を開く
勇気を得、静かに聞いてくれる仲間がいることに安らぎを感じました。
それは、心に深く染みいるような静かなあたたかい時間と空間で
心の中の塊が溶けていくようでした。
 
ただ、そっとそばにいて、じっくりと聞いてもらえるということには、
想像以上の癒しの力があるんだなぁ~としみじみ、ありがたく感じた体験です。
 
なんの批判や評価をされることなく、ただじっと耳を傾け聞いてくれる相手が
いるということ、それは、安心して心の内側にあるものを感じながら、
言葉にできることを自分のペースで探っていく時間です。
自分自身の内側にじっくり向き合い、感じていく・・・言葉にし、その言葉を
自分でも耳にし、そこにうなずいてくれる相手がいる・・・
 
そんな過程の中で、気づかずにいた内なる自分に出会う。
それは日常生活の中では、なかなかできないことでもあり、ひとりであれこれ
考えることとは全く違います。
相手がいるからこそできるような気がするのです。
 
じっくり聞くというのは、話している相手の中に起きていることを、一緒になって
じっと耳を澄ませているような時間だと思うのです。
この一緒になって同じものを静かに見つめるような姿勢が、話している人の中に
何かを引き起こすような気がします。
言葉にはないパワーが、そこにあるような・・・
「気」の交流があることで、起こる何かが・・・
 
同じ心の内を語るという場面でも、どんな相手かによって
私自身の内側で起こる変化は、天と地ほどの違いがありました。
聞く側の持つ力というのは、いずれにしても大きな力、影響力があります。
 
その態度や言葉によって時には、語る側を深く大きく傷つけることもあり、
そこで味わった不信感や絶望感が、相手に対してだけでなく、それ以外の
場面での多くの他人に対しても大きな溝となってしまうことさえあります。
実際、そんな体験のために心を閉ざし、人と関わることを拒否してしまった
方がいます。
そうする事でしか自分を守れない状況があるとすれば、それはあまりに
痛々しくて、つらいことです。
 
ひとは、誰かと自分の思いを分かち合いたい、気持ちをわかってもらいたい、
という深い欲求や願いを誰もが持っていると思います。
わかってもらえた、受け止めてもらえたと感じる事は、やすらぎや喜びでもあり
自信や勇気、優しさや思いやりにつながります。
 
私には立派なアドバイスをすることはできでしょうし、力強いメッセージや
優れた表現力は持ち合わせていません。
 
でも、できることならば、
モモみたいにじっと耳を傾け、話を聞くことで、「聴く」ことの癒しの力を
分かち合えるような場を創っていきたいと願うのです。

※モモ(本のタイトル) ミハエル・エンデ著 
 興味があったら、ぜひ、読んでみて下さい。