ヒヤリングセラピスト

 
今から30年位前の事だったと思います。都内に住んでいる、ある知人(会社経営)の紹介で、ある女性(当時45才位の主婦でした)とお会いするために上京しました。
 
彼からお聞きしていた彼女に関する情報としては、彼女はうつ状態で、4~5年位は寝たきりで、1日中、布団の中で過ごしているそうです。でも、身体はどこも悪くない。ということでした。当日は、私に会うために、やっとの想いで、外出してきたらしいです。
 
彼が用意して下さった広々とした彼の会社内の応接ルームで、彼女とお会いしました。たしか、マンションの10階で、眺めがとても良かったことが印象的。会ってすぐに、お互いの名前を伝えるなど、最低限のご挨拶だけは交わしましたが、それ以上のことは何もしゃべりたくないみたいな感じでした。
 
彼女は初対面の私に会って、とても緊張している感じでした。なんとなく、気が重そうな感じで、何も話したくないな~~ という様子だったので、世間話など、何もせずに、ただ、黙っていました。
 
もし仮に、たとえばですが、「今日は寒いですね~」などと私が話しかけたとしたら、「え~~ まあ~ そうですかね~」・・・というような、気の抜けた返事が返ってきそうな感じがしましたし、益々、そこに居ることが彼女にとって苦痛になりそうな、そんな雰囲気でもありました。
 
彼女に会う前から、ある程度、このようなことは予測していましたが、でも実際会ってみると、予想よりもずっと重い雰囲気でのスタートでした。
 
こんな雰囲気の時に、お互いに向かい合ったまま、黙り続けていたのでは、さらに重い空気が漂ってしまいそうだったので、高層マンションからの眺めがとっても良かったこともあり、私は、自分の身体の向きを少しだけ変えて、彼女から視線をずらすようにして、彼女が私の存在を気にしなくてもいいように、私は、窓から外の景色をボケ〜〜 と眺めていました。約1時間位、こんな沈黙が続きました。
 
と、ある瞬間に「すみませんが、私の話を聴いて頂けますか」と、彼女の方から、ひと言、語りかけてきたのです。
 
「はい、いいですよ」と、私は軽く返事をして、向きを変えて、彼女と向かい合いました。
 

「実は、私には、今まで、誰にも言えない「ある出来事」があり、そのことがきっかけとなり、この30年間、ずっと、一人で、悩み苦しみ続けてきました。
 
何度も、何度も、誰かに、聞いてもらおうと思いましたが、でも、実際には誰にも言えませんでした。ある時、決心して、キリスト教の教会へ行き、神父さんに、懺悔の場で、話を聞いてもらおうともしましたが・・・
 
でも、いざ、その瞬間になると、怖くて、言葉が出ず、肝心のことは何も言えずに帰ってきました。・・

 
というような感じの話しが続き、初対面の私に対して、今まで自分の中にしまっておいた「ある出来事」を語って下さいました。
 
プライベートに関わることなので、これ以上は具体的にはご紹介はできませんが、その日以来、彼女に変化が訪れました。
 
それから2週間後には、昼の時間帯には布団での生活は必要なくなり、通常の日常生活ができるようになり、1ヶ月後位には、うつ状態からほとんど抜けて・・ と、みるみる回復してゆきました。
 
私は、あの時、ただ彼女の話を聴いていただけでした。何もアドバイスなどしていません。彼女が語った話に対して、いいとか、わるいとか、そんな判断もなく、ただ、聴いてあげただけのことです。
 
実はあの時、1時間以上続いた沈黙の中で、私はある事をやっていた。いや、やっていたというより、ある意識状態の中に居たという感じでした。
 
どんな状態に居たのかを言葉にすると、なんとなく嘘っぽくなるような気がするので、あえて文章にするのを諦めましたが、でも実際の聴き方教室のセッションでは、このような事についても、雰囲気としてお伝えできれば幸いです。
 

味噌ラーメンを一度も食べたことがないという人に、味噌ラーメンの味を文章で理解してもらうのは至難の技だと思います。味噌ラーメンの味を、文章に書けば書くほど、本当の味からは離れてゆく感じがしてしまいますので、これ以上は、ごめんなさい。
 
余談ですが、気の学校を熟読して頂きますと、ヒントになるような事が沢山、書かれているかと思われます。

 
彼女の話をただ聴いてあげただけのことですが、でも、この事例は、その行為が相手の心を癒すことに繋がったという良い例だと思えます。
 
いま流に格好よく言えば、その時、その場で、
ヒヤリングセラピーが行われたという事になります。
 
一見、難しそうに見える、このヒヤリングセラピーですが、基礎的な事さえしっかり身につければ、誰でも相手の話を聴くだけで、人を癒してあげられる癒し人(ヒヤリングセラピスト)になることは可能です。