NO.14 スーパーヘルス

 
誰もが皆、健康になりたいな~ とは、思うことではありますが、健康って、どのような状態なのでしょうね?
 
病気をしないことなのかな~~?
それとも、病院の検査で異常が見つからないことなのかな~~?
 
時々、肩こりがするけれども、病気らしき症状は見当たらないし
このような場合、その人は健康人と言えるのかな? 
それとも、病人という扱いになるのかな? 
うん~~ 便秘の人って、どうなるのかな?
 
今の世の中、その辺のことになると、なんとなく曖昧ですよね。
 
病名がつくような立派な病気にでもならない限り、「自分は健康だ!」と考えている人って意外と多いようですよね~~
 
真の健康とは・・・国連の世界保健機関、W H Oの憲章 によれば、「健康とは肉体的、精神的、ならびに社会的にも完全な状態であって、単に病気や虚弱でないということだけではない」とされていますが、まさにスーパーヘルスの目指すところはここにあります。
 
エッ スーパーヘルスって、いったい、なに?
 
日本語だと、超健康~~ ということなのかな~~
 
超健康って、身体は極めて健康だけれど、毎日、朝から晩までギャンブルに明け暮れているような生活をしていることではありませんよね。今まで病気で入院した経験はないにしても、3日も4日も便秘状態で、気にもならないな~ という感じでもないみたいだし・・・
 
どこまで、究極の超健康 ⇒ スーパーヘルスに近づけるか、先のことは分からないことですが、それでも生きている限り、更なる健康を求めて生きてゆけたらいいですよね。
 
 
 スーパーヘルスに年齢は関係ないみたいですよ~~
 
「もう歳だから、今さら健康だなんて無理ですよ。だいいち、一年一年歳をとり、下り坂路線を歩んでいるのだから、更なる健康だなんて・・・」
 
そう思ってしまったら・・・人生、なんとなく、つまらないですよね~~
 
体力は歳をとれば一年一年衰えてゆきます。それは避けがたい事実です。今まで楽にできた1時間の散歩が、最近では30分も歩けなくなってきた。これは別段、不思議なことではありません。いわゆる体力というものは、歳をとるごとに年々衰えてゆきます。
 
しかし、体力と健康状態とは必ずしも一致しないものです。体力は衰えても、健康感覚(爽快感)は死ぬ瞬間まで高めることが可能だそうです。
 
一般的に・・・ 
今現在、自分自身が健康と言えるのか?
それとも、そうでないのか? を判断するには、最新医療技術によって測定するデーターに委ねられております。血圧の数値がいくつなら健康。血糖値がこのくらいなら正常。というように、だいたいの健康状態は検査によって調べられます。いわゆる客観的健康判断です。
 
しかし、スーパーヘルスの世界からすると・・・
検査による客観的データーも無視できないことですが、それプラス、主観的な健康感覚 が必要なようです。
 
例えば、「3日も4日も便秘をしていても、でも、別に、気持ち悪くはないよな~~!」というようなことであれば、なんとなく感覚が鈍っているのかな~ いや、失礼なことを。 なんとなく、・・・なわけですが、それを正常に戻す必要があるのです。
 
体にしても心にしても、本来、「快、不快」という原始的な感覚を持ち合わせていますから、その感覚に従えば、心地よい方向、幸せな方向、すなわち健康に近づけるのではないでしょうか。
 
 ですから、その感覚を磨くことが、実は、スーパーヘルスに近づく、道でもあるようですよ。毎日の生活で、快、不快の感覚を養っていけたら、いいですよね。そして、その感覚に素直に従って生きてさえいれば、自然にスーパーヘルスに近づくことに・・・
 
そう考えますと、お歳を召したからといって、今よりも心地よい方向へ心身が向かわないというのはおかしな話ですよ。生きている限り心地よい方向、すなわち、スーパーヘルスの方向へ向かおうとするのは心身の自然な欲求なのです。
 
スーパーヘルスの実感とは、見かけの体力や、数値に表れる健康の尺度から生まれる判断(これなら自分は健康だろう?)ではなく、主観的感覚を伴う壮快感なのです。心地よさなのです。
 
ある人が40才の時に、肩こりを感じながらも、体のだるさを感じながらも、42キロメートルのフルマラソンを走れたとします。
 
その人が80才になった今となっては30分も歩くと疲れてしまうようになりましたが、それでも、日々、体が軽くて、とても爽快で、毎日毎日が楽しくて・・・ということであれば、その方には40年経った今日の方がスーパーヘルスに近づいたと言えるのかな。
 
病気をしないことが、すなわち、健康状態ということではないみたいですが、「気」を意識した生活を続けてゆきますと、年はとっても、年々、心身の「そう快感」は増すのかな~~ という感じでございます。