NO.83 内なる静けさ
あけまして、おめでとうございます
今年も宜しくお願い申し上げます
読者の皆様のますますのご発展をお祈り申し上げます
気の学校のご愛読者の皆様は、この新しい年に何を期待されていらっしゃるのでしょうか?
今年の目標は○○○です!
今年はこのような自分になりたいな〜〜!
今年こそは、○○○をやってみたいな〜〜!
などなど、夢や希望に満ちた1年のスタートですかね!
エッ この私ですか〜〜
エ〜〜〜 困ったぞ!
お恥ずかしい事に、特に思い当たる事がないので、今年一年、ただ、淡々と毎日を過ごしたいと思っています。
気の学校というからには、「氣」の事を書かなければ・・・ と思いつつ、ついつい脱線してしまっていますが、今日こそは気についての文章を書けたらいいな〜〜 と思いつつ、パソコンに向かっていますが、さて、どうなることやら?
突然ですが、癒しクリエーションのトップページ、ご覧頂いた事はございますか? まだの方は、ぜひ、一度、ご覧下さいませ。
http://www.iyashi.com
と、ページの最初に書いてあります。
なに? これ?
実は、これこそ、癒しクリエーションの究極のテーマでもあり、私個人の視点ですが、気の世界を求める上での方向性であって欲しいとの願いでもあるのです。
世の中には、気に関する様々な方向性があり、その方向性に向かう為に、様々なアプローチが試みられ・・・
実際に気に関する沢山のサイトが存在し、氣の事を語る方一人一人の気に対する捉え方もまちまちで・・・
まさに、多様性です。
ただ、一つだけ言える事としては、目指す方向性によっては、同じ気の世界であっても、まったく別の世界にたどり着くという事でございます。
という事で、癒しクリエーションでは、気を極める上での究極の目標として、
「内なる静けさ」
「内なる静けさ」
「内なる静けさ」
エ〜〜 なんだか、しつこい感じ? (ニガ笑)
私の知り合いにもいらっしゃるのですが、とってもお元気で、話し好きで、朝から晩までベチャベチャと、コミッション上手な、通称「おしゃべりおばさん」
オッと いえいえ、あなたの事ではございませんので、どうぞ、ご安心下さいませ。
いつでも明るく話し好きで・・・ となると、世間の評価としては、とても、お元気な人となりますよね。
確かに、お元気な事には違いありませんが・・・
ただ・・・
ケチを付けるようで申し訳ありませんが、更に、更に、もっと、もっと、気を高め、気が充実して参りますと、
残念ながら、人は静になるのでございます!
なんとも、不思議な話? ではございますが、この辺りの事をご理解頂けると、癒しクリエーション流の気の理解が更に深まるのではないのかな〜 と思います。
あくまでも、私個人(小野賢一)の独断と偏見の気の世界でございますので、もし仮に、癒しクリエーションのサイトに書かれている内容に違和感をお感じになられた場合には、聞き流して頂ければ幸いです。
自らの心の中に、「ある想い」が浮かんできたら、その想いに気づいて、それを流す。
想いを流すというよりは、やって来たその想いに乗らずに、その想いを通過させる。
それを繰り返し、繰り返し行っていると、人の心は徐々に徐々に静になって参ります。
ちょっとだけの時間でも結構ですが、次の事を実践して、日々、実践して頂けるといいのかな〜〜 と思います。
リラックスできる一人だけの時間が与えられたら、眼を閉じて、自らの呼吸に意識を向けてみます。
特に、呼吸法の練習をしているわけではないので、腹式呼吸とか、○○呼吸だとか、吐く息が長くとか・・・などなど、
そのような事は一切気にしないで頂いて、ただただ、息を吐く感じ、息を吸う感じに意識を向けます。
慣れてくれば、電車の中でも、お風呂に入っていても、どこでも、いつでも、できますよ。
実際にやってみると、必ずや、何かしらの想いが浮かんでるかと思います。
主婦の方が、夕方にこれをやられたとしたら、例えばですが、呼吸に意識を向けていると、「夕ご飯、何を作ろうかな〜〜」 なんて、想いがやって来るかもしれません。
その時に、「アッ 今、想いが来た」という事に気づいて頂いて、その想いを流して頂けるといいのですが・・・
慣れない内は、想いを流すと言っても、どうやって流すのかがよく分からない? という場合もございます。
そのような時は、
「夕ご飯、何を作ろうかな〜〜」という想いがやって来たら、次の瞬間に、意識的に「流します」と、心の中でつぶやいて下さい。声を出す必要はありませんから、「流します」と、心の中で思えば結構です。
そして、その次に、また、自らの呼吸に意識を向けて、作業再開です。これができれば最高ですが、「夕ご飯、何を作ろうかな〜〜」という想いを流す事に失敗すると、更に、2番目の想いがやって来るかもしれません。
「ああ、そうだ! 昨夜の残り物がまだ冷蔵庫に残っているから、あれを今晩の内に食べきらないと・・」(2番目の想い)
などなどと、2番目の想いが続いてしまうではないかと思います。
つまり、最初(1番目)の想いに、見事に乗ってしまったという事になってしまうわけでございます。
アッ 更に、次の想いがやってきた。という事に気づけないと、3番目の想いが続いてしまいます。
「昨日の残り物を食卓に出す? きっと旦那は反対だよね。どうしようかな〜〜?」(3番目の想い)
などなどと、想いが次から次へと続いてしまうわけです。
次から次へと想いが続く。即ち、心が静にならない。
「なんだか、心がうるさいな〜〜」という事になってしまうわけでございます。
今、この瞬間に、自分自身の心の中に、どんな想いがやって来ているのか。それを、リアルタイムで気づき、その想いを流せるようになるには、ひと言でいうと、自らが気に満ち足りる必要があるのです。
気が充実していないと、やって来た想いに気づく事もできませんし、仮に、ある想いがやって来た事に気づけたとしても、その想いを流す事ができません。
人が言葉を発すという事は、まず、その人自身の心の中に、何かしらの想いがやってきてからの事になります。そのやって来た想いを、ただ口にしている。言葉にしているだけなので、仮に、心の中に一切の想いがやってこなくなれば、当然のことながら、その人自身からは、一切の言葉は発せられません。あの人は静かな人だな〜 という事になります。
しゃべる元気すらなくなって、静かなだな〜 という雰囲気の人がいらっしゃる事も事実ですが、その人の心の中には、想いが常に湧いてきているのではないかと思いますが、気が充実した結果として、静かな雰囲気を醸し出しているとしたら、それこそまさに理想の姿です。
心が静になること、それが何をもたらすのかと言えば、本当の幸せです。
人が幸せになるためには、いろいろな条件が必要だ。と思いたくなりますが、でも、本当に必要な条件は、たった、一つだけ、それは、「内なる静けさ」でございます。
仮に「内なる静けさ」が得られたとしたら、生活する上で、必要な一切の事は、自らが望まなくても、あちらから、自然にやってくる。必要な事は天から与えられる。・・・ ということになるのではないかと思います。
自らの内側が本当に静になれたら、自分自身の天命が分かる。健康になる。人間関係のトラブルも改善される。お金でお困りの場合には金運が改善される。様々な悩みやトラブルが改善される方向へと向かう事になるのではないのかな〜 と思えます。
何故かと言えば、不幸やトラブルの原因となっているものは、人の心から発せられる「騒がしさ」「うるささ」などなどの粗い震動(波)だからです。
想いがあること、即ち、静ではありません。
どんなに楽しい事をおしゃべりしている時ですら、海に例えると、多少なりとは波立っています。
腹が立った時(怒り)などは、更に、その波が大きくなり、台風の時のように大波になります。
でも、風が一切ない時に、お月様が、湖面に、鏡のように映っている。
こんな心境になれたなら・・・
1日も早く、そうなりたいですね〜
あえて、申し上げるならば、この私の新年の願いは、これかもしれない!
最後までお読み頂きまして、ありがとうございます。
それでは、今年も宜しくお願い申し上げます。