NO.75 大和(ヤマト)感覚
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い申し上げます。
アッという間に、新しい年になってしまいました。
読者の皆様は如何お過ごしですか。
私といえば、仕事柄、お正月中といえども、病院に入院していらっしゃるお客様(気功治療の患者さん)もおりますので、平素と変わらぬ、新年の幕開けでございます。
昨年暮れ(12/23日)に、天皇陛下が、80歳(傘寿/さんじゅ)を迎えられ、
(謹んで、お慶び申し上げます)
皇居・宮殿で、記者会見をされて、80年を振り返り最も印象に残っていることとして「先の戦争」を挙げられましたが、天皇陛下のおことばを拝聴させて頂きながら、日本語って、とても不思議だな〜と思いました。
「先の戦争」って、第二次世界大戦の事だと思いますから、「過去」の事になりますが、
それに対して、
「先の事は心配しないように!」 この場合は、「未来」の事を指します。
ふたつとも「先の・・・」という言葉ではあっても、一方では「過去」
もう一方では、正反対の「未来」を意味するなんて、
恐るべし、日本語!
ただし、文字としては同じでも、「先の戦争」と「先の事」、微妙に発音が異なるみたいです。
私自身は、上手(?)に、ふたつの発音の使い分けが、できているつもりではございますが、
ですが、その二つを、具体的に、どう、発音するのかについては、英単語のようにアクセント記号を付けるわけにもゆきませんので、この場で、文章では、分かりやすくお伝えする事ができないのが残念ではありますが。
橋 と 箸
神 と 紙
柿 と 牡蛎(私の大好物/ですが、どうでもいいこと?)
私は、生粋の群馬県人なので、日頃は群馬弁、ちょっと、なまっているのかな?
いや〜〜 ちょっとどこじゃ〜〜 ないっぺ!
え〜〜 それって、すでに、やばいですよ!
もし仮に、「橋 と 箸」 「神 と 紙」 「柿 と 牡蛎」を、この私が、YouTube等で発信したら、インターネットは全国版ですから、たぶん、お叱りのメールを頂きそうな気配を感じるので、
どう、発音するのかについては、各地域にお住まいの皆様の「ご当地」ならではのご判断にお任せしたいと思います。
もし宜しければ、ご自分なりに、「橋 と 箸」「神 と 紙」「柿 と 牡蛎」
試しに、発声練習してみて下さい。
え〜〜 どちらも、同じだよ。・・・なんて、言わないで下さいね。頼みますよ!
そうなんですよね〜〜 エスカレーターに乗る場合ですが、
関東では、左側に立ち止まり、
関西では、右側に立ち止まり、
はじめて、新大阪駅に行った時、ビックリしたですよ〜
エスカレーターに乗り、進行方向左側に立っていたら、後から歩いて登ってくる人に、邪魔者扱いされましたよ(ニガ笑)
立場(地域)が変わると、「常識」といわれるものは常に変わりますし、あの場では正しい事とされていたことが、その場では通用しないという場合もありますし、あくまでも、自分を中心に、常識というものは成り立っているのですね。これが、この世の現状がありますから・・ 仕方がないですよね〜〜 トホホ〜〜
また、話が脱線したので、戻ります。
何か良いことがあったら、ついつい「ありがとう」って、言いたくなってしまいます。
だから、「ありがとう」っていう言葉は、感謝の言葉とも言われていますが、
「ありがとう」を、漢字で書いてみると、なっ なんと、「有難う」となるみたいです。
「有難う」って、実は、「有ることが難しい」
毎日、当たり前のように働き続けている「心臓さん」だって、ある日、突然、急に止まってしまっても、文句は言えません! となると、今まで当たり前だと思っていたことが、実は、「有ることが難しかったんだな〜〜」
「心臓さんは、今まで休むことなく、働き続けていてくれていたんだな〜〜」
「いま、やっと、気づいたよ。ありがとう 心臓さん!」
自分に起きているすべての出来事(有る事)を、一つ一つ見てみると、どれをとっても、実は、「有ることが難しい」という土俵の上に立っていた?
今まで、自分だけが、それに気づけなかっただけのことで、実は、陰でひっそりと、一生懸命に、有り(在り)続けるように、いてくださったんだな〜〜
なるほどね〜〜 日本語を作った古来の日本人の感性(大和感覚)って、本当に、すばらしい!
でも、嫌な事が起こってしまったら、「ありがとう」とは言えないですよ。
今まで、健康で有り続けてくれた「身体」さんが、急に調子を崩し、病気になってしまったら・・・
健康で有り続けてくれたからこその「ありがとう」だったのに、有る事が難しくなってしまい、代わり「難が有る」になってしまいました。すなわち、トラブル、災難に見舞われてしまいました。
「有る事が難しい」が逆転してしまい「難が有る」
なんで、「難が有る」ことが「ありがとう」になるわけよ?
またまた、古来の日本人の感性、大和感覚に寄り添わねば、この難しい疑問を解き明かすことはできないかも?
仏教の世界では、因(原因)があり、そして、その因が、縁(きっかけ)に触れると、結果(現象)が現れる。と説かれています。
例えばですが、1粒のひまわりの種(因)を、机の引き出しの中にしまって置いたら、いつになっても芽は出ません。
ひまわりの種は、土に蒔かれ、水を与え、適度な温度があって・・・ すなわち、これからのきっかけ(縁)によって、はじめて、種(因)から芽(結果)が出てくるのです。これを、「因縁果報」というそうです。
この一件を、ヒーリング的に見ると・・・
長年、気の世界に生きて来て、常々思うのですが、それが、その人に起こってしまったという事は、その人のどこかに、その原因(因)が、存在していたのかな〜〜?
でも、それを探しても、実際に、これだと言えるものが見つかることでもなさそうですし・・・
ここから先は、私個人の勝手な妄想の世界ですから、あくまでも、一個人の物の見方だと思って頂いて、理不尽と感じる内容は、適当に聞き流しながらお読み頂けたら、この上なく幸いでございます。くれぐれも宜しくお願い致します。
数年前のことでしょうか?
近所の日帰り温泉に行きました。温泉から出て、駐車場の車に戻ってきたら、
ナッ ナント! 左ドアの鍵穴が壊され、車の中に入れて置いた財布が盗まれてしまいました。
「まさか、盗む人なんて誰もいないよ!」と思っていたので、ダッシュボードの上に、財布を置いたまま、その場を離れました。
もちろん、そこに、財布が置かれている事は、私の車に近寄りさえすれば誰もが気づけるような感じで!
お風呂から上がって、「財布が盗まれた」と気づいた時、まず、最初に思った事が、
エッ〜〜 まだ、自分自身の中には、このような事に巡り会う因(ゴミ/マイナスエネルギー)が残っていたんだ?
自分なりには、一生懸命に、それ(ゴミ/トラブルの原因)を、落としてきたつもりだったけど!
ちょっと、ガッカリ!
そして、次に、思った事は、
でも、これで、私自身のゴミ(トラブルの原因)が、一つ減って、前よりも、きれいになったかな?
難が有る。即ち、この身にトラブルが起きてしまった。
でも、事(現象)が現れた事によって、その現象を起こした種(原因)は、減った。もしくは、消滅した。
物事が起こる原因はエネルギーのレベルに存在します。
つまり、物事が起こる原因の正体は、エネルギーそのものです。
エネルギーと言っても、原子力エネルギー、太陽光エネルギーなど、実際にはいろいろな種類のエネルギーがありますが、あえて申し上げれば、我々に起こる不幸な出来事(難)の原因は、人が作り出すマイナスの思念(意識エネルギー)です。愚痴だとか、文句だとか、怒りだとか、妬みだとか、悲しみだとか、その他諸々のマイナスの思念です。
エネルギーレベルにある思念エネルギーは、いつか、形となって現れるチャンスを伺っているようですから、きっかけ(縁)さえ与えられれば、いつでも現象化されてしまうようです。
それでは、いっこうに、ありがたい話ではないのですよ。
ですが、思念エネルギーは、形となって、現象化されると、エネルギーの量としては減ります。または、消滅します。
つまり、減少化の傾向を辿りますから、現象化 → 減少化 となるようです。
ここが大切なキーポイントで、これを知っているのと知らないのでは、これからの人生、大違いかも!
嫌な事が起こってしまった場合、
その嫌な事に対して、なんで、自分は、いつも、ついていないんだ。
・・・ というようなマイナス的な発想よりも、嫌な事が起こってしまったという事は、自分自身が抱えていた重荷(マイナスエネルギー)が、今、天の計らいによって、その出来事を通じて消してもらっているんだだな〜〜
だから、古来の日本人は、ありがとう を、難が有る とも、感じられたのかな〜〜
なるほど なるほど なるほどね〜〜
最近、この私、やけに、ひとりごとが多くなったかも!
誰だって、トラブルは嫌ですよ。
私だって、財布を盗まれて、運転免許証を再発行する手続きの為に一日を費やし・・・
車も壊され、修理代もバカにはならないし・・・
はっきり言って、嬉しいことなど、何一つ、ありません。
でも、今まで、私自身が抱えてきた目には見えない重荷(負債)が、その出来事によって、消してもらったのかな〜〜? ということであれば、本心としては、けっして、ありがたくはないけど、でも、
ありがとう かな?
まあ、いいや〜〜
と、長年、気の世界で生きて来た立場として、そんな風に、自分自身に起こってしまった難(トラブル)を流しています。
以前、お伝えしたような気が致しますが、
(1)思いを流す。
(2)そして、本日は、難も流す。
自分の元へやってくるものは、何でも流してしまう事が、もし出来たとしたら、この私は、必ずや、流れが良くなり、幸せになれるのかな〜 と、そう思って暮らしています。
嫌な出来事の原因は、ヒーリング的に観ると、人のからだ、専門的には、エネルギー体の中に存在します。気の学校NO.1で書かせて頂きましたが、肉体の外側には、エーテル体、アストラル体と言われているエネルギーレベルの「からだ」が存在しますが、もし仮にですが、これらエネルギー体にアプローチし、マイナスエネルギーを処理することができるとすれば、まだ、現象化されていないエネルギーレベルの「物事の原因」を、事前に消す事は可能かもしれません。大難が小難に、小難が無難になればいいですよね〜
良い事があっても、ありがとう
悪い事があっても、ありがとう
恐るべし、日本語! その日本語と作った大和感覚!
話の途中ですみませんが、お正月という事でもあり、予定の時間を過ぎてしまいましたので、本日は、この辺で失礼させて頂きます。長々とお付き合い頂きまして、ありがとうございました。
良いお年をお迎え下さい。