NO.2 気の種類
エ~~ と、エ~~ と、最初のスタートで、いきなり「人のからだ」ということでしたが、まだ、自己紹介していませんでしたよね。
エッ、私ですか? 実は、気功師なんです。貴公子だったら女性にモテモテで、ウキウキの人生だったんでしょうが、「キコウシ」は「キコウシ」でも、気を扱う気功の専門家のことなんです。
ですから、このサイトは、気のことがメインテーマなんですよ。
さて、氣に関する教室や集まりなどに参加すると必ず話題とされることですが、私は気を出せるようになったとか、まだ、そこまでには達していないとか・・・
そんな会話、あなたも、小耳に挟んだことはありませんか?
ヘェ~~ 氣って、出せるとか、出せないとか、そのようなものなのでしょうかね~~
確かに 氣を扱う気功の世界において、自由自在に気を操り、外気を発することができるようになるなんてことになると、それは、それは、とってもカッコイイし、魅力的に感じる内容かもしれませんよね~~
ですから、修行やトレーニングを積んだ結果に、氣が出せるようになったとなると、特別な気分になってしまうのもそのためなんでしょうかね~~
しかし、本当の事を申し上げると、気を出せるようになること自体は、それほど特異なことではありません。それよりも、いかに精妙な氣(波動=エネルギー)を扱うことができるのか、そちらの方が重要になります。
気を出せること云々はそれほど特異な事ではありません。・・・ と申しますのも、仮に、あなたが誰かに対して本気で怒ったとすると、あなたから怒りのエネルギー、つまり、怒りの「気」が相手へ、自動的に放出されてしまうからです。(本当は誰でも無意識的に気を放出しているものなのです)
世間では、「氣」の力で他者を投げ飛ばしてしまう武術家が、氣の達人として高く評価されたりしますよね。テレビ等で見たことありますよね。しかし、目に見える現象にだけに捕われると、氣(波動)の世界の本質は見えにくくなることもあるようです。
人を豊かにしてくれる気(波動)、人を健康へと導いてくれる気(波動)は、ダイナミックさには欠けるかもしれません。極めて地味です。しかし、心地よい雰囲気を持ったエネルギーであることは確かです。このような雰囲気を醸し出す「氣」を求められたら、もっともっと豊かに幸せになれるのだろうと思います。
外気功は2種類ある?
一つは、中国から伝えられた一般的な気功です。肉体的鍛錬を積み重ねることによって可能となりますが、気功師の生体エネルギーをうまく活用して行う正統派の気功法です。
そしてもう一つには、肉体的鍛錬をまったく必要としない方法、たとえば、宇宙空間に存在するエネルギーを巧みに活用しながら行う気功です。
相違点として、中国で行われている一般的外気功では、もし借りに、気功師(気を送る側の人間)が病気だとしたら、その人自身の病的エネルギーが、受け手の患者さんに伝わってしまうというリスクがあります。
ですから、気を送る側の人間が、いつ、いかなるときでも健康である。ということが前提となります。
それに対し、後者の肉体的鍛錬をまったく必要としない方法では・・・
例えば、気を送る側の人間が、たとえ病気であったとしても、その人からの悪影響が相手に伝わってしまうという心配はありません。
気を送る側の人間は、水道の蛇口のようなものであり、ただ、水を通過させているだけですから、その人自身の生体エネルギーを使うこともなく、本人はまったく疲れることもなく、むしろ、ヒーリング中に通過するエネルギーによって、ヒーラー自らも浄化されて(癒されて)しまうという利点に恵まれます。
気功師が錬功により気を蓄えてからでないと外気功が出来ないということでもありませんし、無限の宇宙エネルギーが宇宙空間より惜しみなく提供されますから、気を蓄えるという視点すら生まれません。
エーテル体、アストラル体をケアーするエネルギーに関して言えば、いくら修行をしても、それを得られるということではありません。
むしろ、修行には限界がある。ということを理解し、自分が行うというより、大宇宙の大いなる意識と直結するような意識を持ち、自然の流れに身を任せるという感覚の方が大切です。
最も素晴らしいエネルギー?
如何なる病気も改善し、如何なるトラブルも打破するエネルギー(気)があったらいいな~と、そんな欲張りなことを考えたことはありませんか?
信じがたいことですが、実はそれがあるそうです。
自分自身が、今、生かされていることに心の底から「感謝」している時の、その時に、その人自身からにじみ出てくるエネルギーは何にも優る崇高なエネルギーの一つだそうです。
その感謝のエネルギーに自分自身が包まれたとしたら、もはや、その人は、トラブルなり病気なり、自らのカルマの自縛からも解放されて、如何なるトラブルでも解決するではないのかな~~ という気がします。
ただし、このエネルギーに包まれるのは至難の業でもあります。修行とかトレーニングとか、努力を要することではとても得られませんし、こころの底から、「ありがたいな~」という感謝の思いが自然にやってくるというのが前提ですから、大変と言えば実に大変ですよね。
しかし、このエネルギーに、もし、自分自身が満たされることが出来たら、如何なる道も開けてしまうのではないかな~ 仮にあなたが不治の病になったとして、始めは悲観的であっても、「その病気が、とても、ありがたいな~」なんて、心の底から思えるようになったら、きっと、その病気も治ってしまうと思います。
逆に、「何で私だけがこのような病気にならなければ・・・!」というように、天を恨むような気持ちでいるうちは、なかなか道は開けにくいものです。
精妙な波動とは?
植物に水をあげるとします。植物と言ってもいろいろな種類の植物さんありますよね。たとえば、幹の太さが10メートル(周囲)もあるような大木でしたら、たぶん、消防車で放水する位の勢いで、水を掛けてもも大丈夫でしょうね。
庭に植えた松の木でしたら、水道の蛇口にホースを付けて、そこから水を与えるくらいがいいのかな。
花壇に植えた朝顔には、ジョウロで水やりをするのが適切なのかな。でも、咲いている花に水を強く掛けてしまうと・・・
もっと、華麗な花だったら、霧吹きなんてこともありそうですよ。そうですよね。与える水の勢いが強すぎても、量が多すぎても、植物の種類によってはダメージを受けるばかりで、ありがたい水ということにはならないと思います。気の世界も、実はこんな感じなのです。
気の世界に興味を持たれると、まず、意識してみたくなることは、気が強いか、弱いかです。力強く見える、ダイナミックに見える気の方が、魅力的であるに決まっていますよね。でも、それはまだまだ、・・・なのかもしれませんよ~~~
徐々に気に対しての理解が深まると、実は、気の強さではなく、気の質を意識し始めると思います。たとえばですが、気で相手を倒してしまうとか、気で相手を吹っ飛ばされたようなパフォーマンス的な気功ですが、その時、気功師から放射される気の質では、人の心の奥深く(深層意識)にある病気やトラブルの原因の領域にまでは入り込むことは不可能です。
なぜなら、気の周波数が肉体レベル(周波数が荒い)に対応(反応)する為の質を持っている為に、肉体よりも線妙な意識レベル(周波数が精妙)とは周波数が合わないからです。
周波数が精妙な気とは、植物に霧吹きで水を掛けてあげるようなものですが、周波数が高くなればなるほど、気が柔らかくなり、一般的には、気づきにくいという感じになります。
NO.2 気の種類
エ~~ と、エ~~ と、最初のスタートで、いきなり「人のからだ」ということでしたが、まだ、自己紹介していませんでしたよね。
エッ、私ですか? 実は、気功師なんです。
貴公子だったら女性にモテモテで、ウキウキの人生だったんでしょうが、「キコウシ」は「キコウシ」でも、気を扱う気功の専門家のことなんです。
ですから、このサイトは、気のことがメインテーマなんですよ。
さて、氣に関する教室や集まりなどに参加すると必ず話題とされることですが、私は気を出せるようになったとか、まだ、そこまでには達していないとか・・・
そんな会話、あなたも、小耳に挟んだことはありませんか?
ヘェ~~ 氣って、出せるとか、出せないとか、そのようなものなのでしょうかね~~
確かに 氣を扱う気功の世界において、自由自在に気を操り、外気を発することができるようになるなんてことになると、それは、それは、とってもカッコイイし、魅力的に感じる内容かもしれませんよね~~
ですから、修行やトレーニングを積んだ結果に、氣が出せるようになったとなると、特別な気分になってしまうのもそのためなんでしょうかね~~
しかし、本当の事を申し上げると、気を出せるようになること自体は、それほど特異なことではありません。
それよりも、いかに精妙な氣(波動=エネルギー)を扱うことができるのか!
これがとっても重要です。
気を出せること云々はそれほど特異な事ではありません。
・・・ と申しますのも、仮に、あなたが誰かに対して本気で怒ったとすると・・・
あなたから怒りのエネルギーが 〜 〜 〜
相手へ、自動的に放出されてしまうからです。
つまり、本当は誰でも無意識的に気を放出しているものなのです!
世間では、「氣」の力で他者を投げ飛ばしてしまう武術家が、氣の達人として高く評価されたりしますよね。テレビ等で見たことありますよね。
しかし、目に見える現象にだけに捕われると、氣(波動)の世界の本質は見えにくくなることもあるようです。
人を豊かにしてくれる気(波動)、人を健康へと導いてくれる気(波動)は、ダイナミックさには欠けるかもしれません。極めて地味です。
しかし、心地よい雰囲気を持ったエネルギーであることは確かです。
このような雰囲気を醸し出す「氣」を求められたら、もっともっと豊かに幸せになれるのだろうと思います。
外気功は2種類ある?
一つは、中国から伝えられた一般的な気功です。
肉体的鍛錬を積み重ねることによって可能となりますが、気功師の生体エネルギーをうまく活用して行う正統派の気功法です。
そしてもう一つには、肉体的鍛錬をまったく必要としない方法、たとえば、宇宙空間に存在するエネルギーを巧みに活用しながら行う気功です。
相違点として、中国で行われている一般的外気功では、もし借りに、気功師(気を送る側の人間)が病気だとしたら、その人自身の病的エネルギーが、受け手の患者さんに伝わってしまうというリスクがあります。
ですから、気を送る側の人間が、いつ、いかなるときでも健康である。ということが前提となります。
それに対し、後者の肉体的鍛錬をまったく必要としない方法では・・・
例えば、気を送る側の人間が、たとえ病気であったとしても、その人からの悪影響が相手に伝わってしまうという心配はありません。
気を送る側の人間は、水道の蛇口のようなものであり、ただ、水を通過させているだけですから、その人自身の生体エネルギーを使うこともなく、本人はまったく疲れることもなく
むしろ、ヒーリング中に通過するエネルギーによって、ヒーラー自らも浄化されて(癒されて)しまうという利点に恵まれます。
気功師が錬功により気を蓄えてからでないと外気功が出来ないということでもありませんし、無限の宇宙エネルギーが宇宙空間より惜しみなく提供されますから、気を蓄えるという視点すら生まれません。
エーテル体、アストラル体をケアーするエネルギーに関して言えば、いくら修行をしても、それを得られるということではありません。
むしろ、修行には限界がある。ということを理解し、自分が行うというより、大宇宙の大いなる意識と直結するような意識を持ち、自然の流れに身を任せるという感覚の方が大切です。
最も素晴らしいエネルギー?
如何なる病気も改善し、如何なるトラブルも、それを打破するエネルギー(気)があったらいいな~ と、そんな欲張りなことを考えたことはありませんか?
信じがたいことですが、実はそれがあるそうです。
自分自身が、今、生かされていることに心の底から「感謝」している時の、その時に、その人自身からにじみ出てくる感謝のエネルギーは何にも優る崇高なエネルギーの一つです。
その感謝のエネルギーに自分自身が包まれたとしたら、もはや、その人は、トラブルなり病気なり、自らのカルマの自縛からも解放されて、如何なるトラブルでも解決するではないのかな~~
ただし、このエネルギーに包まれるのは至難の業でもあります。
修行とかトレーニングとか、努力を要することではとても得られませんし、こころの底から、「ありがたいな~」という感謝の思いが、自然にやってくるというのが前提ですから、大変と言えば実に大変ですよね。
しかし、このエネルギーに、もし、自分自身が満たされることが出来たら、如何なる道も開けてしまうのではないかな~
仮にあなたが不治の病になったとして、始めは悲観的であっても、「その病気が、とても、ありがたいな~」なんて、心の底から思えるようになったら、きっと、その病気も治ってしまうと思います。
逆に、「何で私だけがこのような病気にならなければ・・・!」というように、天を恨むような気持ちでいるうちは、なかなか道は開けにくいものです。
精妙な波動とは?
植物に水をあげるとします。植物と言ってもいろいろな種類の植物さんありますよね。
たとえば、幹の太さが10メートル(周囲)もあるような大木でしたら、たぶん、消防車で放水する位の勢いで、水を掛けてもも大丈夫でしょうね。
庭に植えた松の木でしたら、水道の蛇口にホースを付けて、そこから水を与えるくらいがいいのかな。
花壇に植えた朝顔には、ジョウロで水やりをするのが適切なのかな。でも、咲いている花に水を強く掛けてしまうと・・・
もっと、華麗な花だったら、霧吹きなんてこともありそうですよ。そうですよね。
与える水の勢いが強すぎても、量が多すぎても、植物の種類によってはダメージを受けるばかりで、ありがたい水ということにはならないと思います。
気の世界も、実はこんな感じなのです。
気の世界に興味を持たれると、まず、意識してみたくなることは、気が強いか、弱いかです。
力強く見える、ダイナミックに見える気の方が、魅力的であるに決まっていますよね。
でも、それはまだまだ、・・・なのかもしれませんよ~
徐々に気に対しての理解が深まると、実は、気の強さではなく、気の質を意識し始めると思います。
たとえばですが、
気で相手を倒してしまうとか、気で相手を吹っ飛ばされたようなパフォーマンス的な気功ですが、その時、気功師から放射される気の質では、人の心の奥深く(深層意識)にある病気やトラブルの原因の領域にまでは入り込むことは不可能です。
なぜなら、気の周波数が肉体レベル(周波数が荒い)に対応(反応)する為の質を持っている為に、肉体よりも線妙な意識レベル(周波数が精妙)とは周波数が合わないからです。
周波数が精妙な気とは、植物に霧吹きで水を掛けてあげるようなものですが、周波数が高くなればなるほど、気が柔らかくなり、一般的には、気づきにくいという感じになります。